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ふらりかずたま ひとり言 

ふらりかずたま ひとり言 

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2008年11月01日
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カテゴリ:旅行・山関係
回向院のあるあたりは小塚原と呼ばれていて、時代劇でも名の知られている小塚原刑場があったところです。日光街道の沿道に刑場を作るとは何とも悪趣味ですが、見せしめだったのでしょう。東海道・品川宿の近くにも鈴ヶ森刑場が設けられていました。

小塚原刑場では、明治初年に廃止されるまで磔・斬罪・獄門などで20万人が刑に処せられたそうです。当時の記録によると、処刑された人の遺体は埋葬されるのですが、浅くしか埋められなかったため、雨が降ると遺体が露出して腐乱し、それを野犬が食べるといった凄惨な光景だったとのこと。
いま、刑場跡には延命寺が建てられ供養の首切り地蔵(右肩写真)が安置されています。
その北隣が回向院。刑死者・牢死者数万人が葬られています。品川の鈴が森には八百屋お七、白井権八、天一坊など芝居で有名な人物の墓があり、小塚原にも高橋お伝、ねずみ小僧次郎吉などがいます。

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回向院に設けられた吉田松陰の墓(合掌)

しかし、小塚原は尊王攘夷以来の国事犯の墓が多くあります。有名人では吉田松陰、橋本左内。安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変などで刑死した志士の墓もズラリと並んでいました。
また、回向院入り口には解体新書のレリーフが掲示されています。「ターヘル=アナトミア」という解剖学の書籍を片手に、前野良沢、杉田玄白などが刑死者の解剖を行って検証したのがこの場所。のちに「解体新書」として翻訳・出版され、日本の医学発展に多大な貢献をしました。

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回向院門前(右)と観臓記念碑のレリーフ

回向院前で他のチームを待っている間、ほろ酔いのじいさん・ばあさん集団と会話。
日光街道について教えてくれたり、ついには「千住新橋を越えて旧日光街道に入った
ところに、モツ鍋の●●(店名忘れた)という店があるから、千住のSに聞いたと言って寄んな。サービスしてくれっから…」と、何とも親切な話まで。ありがたいことです。
また、解体新書のレリーフを見ていると、老夫婦が「なんで解体新書なの?」と話しています。説明文はありますが、薄暗くて読みづらいようです。「袖振り合うも多生の縁」とはこのこと。「あのですね」と解説して、事のついでに「この奥に吉田松陰や高橋お伝の墓もありますから是非」と、臨時観光案内ボランティア。親切は気持ちいい!

コツ通り(骨が散らばっていたから、そう呼ばれるとのこと)という悪趣味な名前の道を北上して4号線との合流点に向かいます。

4号線に入ってすぐに「素盞雄神社」。荒々しい神輿振りの大祭と子育て銀杏(いちょう)、松尾芭蕉句碑で、参拝者は少なくありません。
蘇芳に近い色彩の社殿に、やや黄金に色づき始めた銀杏の枝がかかり、風情を醸し出しています。本殿ではお宮参りと見えるご家族が祈祷を受けていました。

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社殿にかかる子育てイチョウの黄葉。右の石碑は芭蕉句碑

この神社は安産と子育てで御利益があるとされ、今も信仰が絶えません。子育て銀杏は高さ30メートル、幹の周囲は3メイルの巨木ですが、その太い幹には子供の成長と安産を願う絵馬がびっしりと掛けられています。
ここでも、地元の老人に話しかけられ、神社脇にある派出所のおまわりさんたちからも「日光まで行くのか? 気をつけてな」と励ましを受けました。

ここまでで約半分。草加まではあと11キロほどあります。しかし、ひざの痛みを訴える人が出てきました。わがチームのリーダーとYさんが足を押えています。「彼らもか」と心配していたら、木立のなかのやぶ蚊にボコボコ刺されていたのです。
「前の晩に酒飲んだから体が酸性になってるんだよ。蚊は酸性体質の血が好物なんだ」などと、憎まれ口をきく私でありました(年のせいか?)。

隅田川に架かる荒川大橋を渡ってすぐ左に「奥の細道 矢立初めの碑」が建てられています。階段を下りて川岸に降りるとそこは芭蕉「奥の細道」旅立ちの場所。深川から千住までは見送りの人たちと舟でやってきました。

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芭蕉の矢立初めの句はあまりにも有名です。

    行春や鳥啼魚の目は泪((ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)

別れに際し、見知らぬ東北への長い道中に不安と惜別の思いが込み上げてきたのではないでしょうか? 護岸には、千住宿の浮世絵、旅立つ芭蕉と弟子の曽良(そら)の姿が描かれています。

私も負けずに俳句に挑戦。でも難しい!

  宮参り 社殿かざりし 黄の公孫樹

  後れ蚊の ひそと寄りくる 芭蕉句碑

  秋陰り 映す隅田に 舟ひとつ


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いよいよ、草加に向けて国道4号線を北上し続ける単調な行程が始まります。次の集結ポイントは草加市の富士浅間神社。普段歩き慣れていない人には、足の疲れも加わってキツイ9キロになると思われます。
私は足立区の地元民ですから、この先の単調さを紛らわすために、あまり知られていない「観光スポット」を案内することにしました。

北千住駅入り口交差点を越えて、荒川本流に架かる千住新橋を渡ります。
「整備された河川敷で草ぼうぼうの個所には、ホームレスの小屋が必ず建っています」
「高層の建物は足立区の生涯教育施設で、上層階は都営住宅です」
橋の上で説明していると、自転車のオジサンが「どこまでだ~?」と声をかけてくれました。下町の人たちは心優しい気さくな人ばかり。話しているうちに疲労感が消えて、「よっしゃ~」となるから不思議です。この後も、おじさん・おばさんたちの声がけで、背中を押してもらったと感謝しています。

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町の人たちに背中を押され、元気いっぱいの黒チーム

「あそこが元キャンディーズのスーちゃん(田中好子)の実家」
「ここで殺人事件があった」
「ここの鮨屋はいい値段をとるがおいしい」
「この卸問屋は、会員になると問屋価格で食料品が買える」
「超ムダな足立区役所。でも最上階のレストランは安くて見晴らしも良い」
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私の変な「観光案内」は果てしなく続き、会話も弾んで歩行ペースは快調、黒チームは集団の先頭を進みます。リーダーの携帯に実行委チームから、途中で1時間ほど休憩するように指示が出ました。
「?」と首をひねりましたが、とりあえず「デニーズ」で大休止。そうこうしている間に他のチームも次々と入店してきました。店内はオレンジのヤッケがやたら目につきます。

再出発! 秋の日はつるべ落としと言いますが、もう夜です。
相も変わらず、私の「観光案内」は続きます。
「ド●キ●ーテはこのマンションの住民ともめた」
「あのホテルは、もと目●エンペラー。繁盛してる」
「このラーメン屋はラーメン220円、餃子150円で結構うまい」
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「じゃぽん」の看板と激安ラーメン店「夢屋」(別の日の写真)

足立区北部の保木間には「じゃぽん」という温泉施設があります。
その案内板を見たときにチームみんなが「あっ!」と気づきました。ここで休憩すればよかったのに。ただし、温泉に入ったら、そのあと歩けなくなるのは確実! ということで、埼玉県境向けて前進です。

草加・富士浅間神社に到着。すでに真っ暗です。富士浅間神社は富士山信仰に由来し、江戸時代初期に建立されたそうで、境内には高さ5メートルほどのミニ富士山が作られています。今はフェンスで囲われていますが、以前はこれに登れば富士山に登ったと同じ御利益があるとされていました。同じようなミニ富士山は都内の浅間神社でよく見かけます。他県にもあるのでしょうか?
弱い外灯の光を頼りに神社の境内を見て歩きました。お寺と違って怖くは感じません。

ここを出ると本日のゴール草加駅入口交差点は目前。
街道の両側には草加せんべいのお店が多数あります。昔、おせんというお婆さんが、残りご飯を搗いて餅にし、薄く延ばして焼き、醤油をつけて売り出したのが草加せんべいの始まりとか。そういえば、お腹もすいてきました。

ゴール! 実行委員会のメンバーがドリンク・サービスをしてくれます。冷たい飲み物がのどを滑り落ち、同時に、胸の奥から熱いものがこみ上げてきました。そのあと、チームのメンバーが手をつないで本日の感想を発表し合いました。

私は、日本橋を出発するときに定めた目標「楽しく、思いやりを持って」が達成できたことを感謝するとともに、背中を押してくれた町の人たち、サポートし続けてくれた実行委員会の人たちへの感謝の言葉を述べました。

当初スケジュールより1時間以上遅れましたが、参加者全員がみごと歩き切ったのです。
徒歩行軍、参加できてよかった! 
ES開発協会、実行委員会、参加者の皆さん、本当にありがとうございました。





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最終更新日  2009年08月06日 15時49分27秒
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