残酷な刑罰
電通の女性社員が亡くなった。まだ若く美しい女の子が 痛ましいかぎりだ。この事件に関して、ある大学教授が「たった100時間程度の残業で過労死とは情けない」「僕らのころはもっと過酷だった」などとツイートした。この愚かな人ならずとも、同じ思いの輩も少なからずいただろう。「今の若い子たちは脆い」「俺たちはもっと長時間働いた」と。多くは中高年のオヤジさんだろう。オヤジさんたちは我武者羅に働いた企業戦士だという思いが強い。そのタフぶりを自慢したいことだろう。電通は今後、残業時間短縮をめざして努力するそうだがオヤジさんも電通も本当に分かっちゃいない。若い人を酷使して、メンタルを壊して死に追いやる。その本質は何だ?彼女は休日返上で作成した資料をボロクソ言われ「君の残業はムダ」と誹謗された。彼女は長い残業に負けたのではない。彼女はほんの少しも「理解」されないことに苦しんでいたのだ。・・ある国での話。そこでは刑務所に収容された受刑者に毎日運動場に「杭」を打たせる。受刑者は横にずらっと並び50cmくらいの杭を足元にハンマーで打ち込み始める。一本打ち終わると、次は前に少し進み また杭を打つ。これを繰り返し、運動場の端まで行ったらこんどは今まで打ってきた杭を順番に抜き始める。また元の場所に戻ったら ふたたび杭を打ち始める。これを一日に何度も何度も繰り返す。看守はこの作業の意味も何も一切受刑者には伝えない。・・ひと月も経った頃、受刑者の中には精神的におかしくなる者が続出した。作業自体は単純で重労働というほどのものでもないのに。受刑者は考えていた、自分の作業の意味を。いったい自分のやるこの行いは何に役に立つのだろうか?と。人間は意味不明な作業を強要させられると、おかしくなるということなんだろう。なんと恐ろしい刑罰であることか。実はこのことは我々のよく身近にあることなのだ。一所懸命にやっていることを誰も評価しない。褒めてくれない。存在を軽んじられる。侮辱される。誹謗される。たった一言でも良かった。「よくやってくれた また頼むよ」その言葉が多くの労苦を救っただろう。無理解な無能な上司がどれだけ多くの若者の心を傷つけメンタルを壊していったことだろうか。会社の責任は長時間労働などではない。無能な(あるいは人の痛みを理解しない)者を上司に据えたことだ。会社は友達集団では無い。厳しさは必要だ。でもそこに温かい人の心が通ってこそよりよく人も企業も成長していけるのではないのだろうか。