000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

うっかり熊公のガラクタ箱ブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2006.10.23
XML
カテゴリ:読書
      初代総料理長

    サリー・ワイル



 神山 典士:著 2005年9月1日  講談社 発行


 平成18年現在において

 ドリアという料理はまずまずの知名度を持っている。

 しかし、知名度は高くても好感度はどうだろう。

 ドリアが目の前にある時、またドリアの話題になる時、

 その場にいる一人くらいは

「ドリアなんてご飯だかオカズだかわからないから気に入らない。

 グラタンは好きだけどドリアなんて認めない。」
 
                       と言ったりしていないか。



ドリアは体調の優れなかった1人の客人に「喉越しの良いものを・・・」

と気遣ってある料理人が考えた即興メニューだった。

この本の主人公サリー・ワイルこそ、そのドリアの考案者である。

ユダヤ系スイス人のワイルは関東大震災で壊滅した横浜の復興シンボルとして開業した

ホテル ニューグランド の初代総料理長として貢献した人物。

来日以来20年もの間、日本の洋食文化を牽引し続けた人物。

しかし、第二次世界大戦で殺伐とした時期には軽井沢の外国人管理区域に追いやられ

飢えや寒さ、労働や荒廃した人心の禍中で心身を蝕まれた末に体を壊し日本を去った。


しかし、在日中に彼の教えを受けた料理人達はワイルの技術と人柄を慕って止まず

カンパを募ってワイルを日本に招きもてなした。

またこれを機に、ワイルは日本の若い料理人をスイスへ呼び、

彼らの料理修行のサポートに奔走するようになる。

戦時中に酷い仕打ちを受け日本を去ったにも関わらず

ワイルは晩年の多くの時間を日本の若い料理人達の為に費やした。

そしていつしかスイス・パパとよばれるようになる。

1976年  79歳ワイルがこの世を去って早31年。

彼の足跡を記した資料や手帳、接した人物やその記憶が途切れようとしていたまさにその時に

奇跡的に繋がれた縁でかたちを成した本書。

ドリアなんて」発言がいかに罰当たりか痛感する一冊。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.10.23 20:05:56
コメント(6) | コメントを書く
[読書] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X