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毛針酔人日記

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2019.01.02
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カテゴリ:日本は広い
一年の計は、元旦にありという言葉があるので、昨年暮れに​京都とかを旅行​してきた記録をブログにまとめていたら、3月に函館に行ったのの記録があと一回残っていたことに気が付いたった…

まずは皆さま、新年明けましておめでとうございます。


今日で、函館も最後かと思ったら、みそ汁の代わりに塩ラーメンを盛っていたった…


前の晩に、大勢いの観光客がなだれ込んできたために、取っぱぐったイカ納豆などを取ってみた…


ちょっとくたびれた感じのデザートだったが、力の限り盛ってしまった…


これが泊まったホテル。
安いところには、安いなりの理由がある…


函館市熱帯植物園が近くにあったので、歩いて行った。
猿が温泉に入っていた。
受付のおばさんが言うには、大部分の猿が温泉に入り過ぎて毛が抜けているとのこと。
なので、時々、人が入っているように見えたりした…


日向ぼっこしている猿は、毛が抜けていない…


熱帯植物園には、コイが泳いでいた…


こんな花が咲いていた…


こんな花も咲いていた…


これは、サボテンの花…


もう食べられそうな実がなっていたった…


お昼は、函館朝市に行った。
これは、嫁が選んだ、ウニカニホタテの海鮮丼。


こちらは、オイラが頼んだウニカニエビの海鮮丼。
店内に紙が貼ってあって、イカとイクラは不漁のため、量が少なくなるというもの。
なので、こういうチョイスになってしまいました…


駅に着いたら時間があったので、


大門横丁に行ってみたり…


土方歳三最期の地を探検したりした…


これは、新函館北斗駅1階のケンシロウ。
北斗市と北斗の拳つながりらしい。
函館では、すっごくカッコいい二人の銅像が見られて、とってもよかったなぁ…​






Last updated  2019.01.02 15:58:17
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2018.05.05
カテゴリ:日本は広い

3月11日の朝、とても早く目が覚めたので、外を見ると百万ドルの景色が見えたった…


こちらのホテルは、朝ごはんが美味しいホテルで有名とのこと…


なので、こんな感じで海鮮丼に仕上げてみた…


嫁が、美味しそうなのがあるというので、オイラもいただくことに…


部屋に戻ってから、セットしたあったコーヒーをいただくことにした。
豆を挽くことから始めないといけなかった。
でも、それなりに美味しいコーヒーに出来上がった…


これが、前の晩にジンギスカンを食べたお店…


市電に乗る前に、豊川稲荷に寄って、五穀豊穣はもちろんのこと、いろいろとお願いごとをしてきた。
狭い路地を選ぶと、雪があっても車が入って来ないので、真ん中が歩ける…
ネットで調べたら、
度々の大火で焼失し、この建物は、昭和15年のものらしい…


魚市場通から市電に乗って、湯の川で降りた。
泊まるホテルの場所が分からなかったので、キョロキョロしてたら飛行機が飛んできた。
あとで調べたら、すぐ近くに函館空港があった…


そしたら、湯倉神社というのがあったので、参拝していくことにした。
ネットで調べたら、
 ここには、500年以上前に木こりが湧き湯で湯治し、病気が治ったお礼に小さな祠を建てたという伝説が残っていて、そんな湯の川温泉“発祥の地”と言われる場所とのこと…
 境内には、樹齢370年、湯川一の古木と言われるイチイ(別名オンコ)の木があり、兎の石像「神兎(なでうさぎ)」があった…


これは、市電乗り放題のカード。
誕生日の記念に買った。
600円なので、3回乗るともとが取れる…


いろんなデザインの市電が走っている…


湯の川温泉から向かったのが、五稜郭公園…






これは、五稜郭タワーにいた土方歳三さん。
写真よりも老けた感じだった…


これが、五稜郭。
五月には、桜が見事らしい…


これは、五稜郭タワーの1階。
ここにいる土方歳三さんは、身長が約2mと、本人の1.2倍の大きさとのこと…

箱館戦争のことをネットで調べたら、
 明治2(1869)年春、新政府軍は反撃を開始。
 4月9日、乙部に上陸した新政府軍は、三方から箱館に向かって進軍。圧倒的な戦力差により、4月末には箱館を除く道南各地をほぼ制圧。
 5月11日、新政府軍は箱館総攻撃を開始。
 四稜郭が陥落し、箱館市街は新政府軍が制圧。
 元新撰組副長・土方歳三が戦死、箱館港では旧幕府脱走軍の艦隊が全滅。
 五稜郭からは、土塁の上に配置したカノン砲を七重浜方面に向けて援護射撃したが、射程距離は短く港まで砲弾は届かなかった。
とのこと…

宮古湾海戦​のこともあったし、オイラにはとっても興味深いものがあった…


これは、五稜郭の中の箱館奉行所。
ネットで調べたら、

 日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で,当初は箱館山の麓に置かれていましたが、内陸の地に移転が計画され、五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。

 1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、1871年(明治4年)にわずか7年で解体されました。

 その後、古写真や文献資料・古図面などの調査を元に検討を重ね、2010年(平成22年)に140年の時を経て箱館奉行所が復元されました。

とのこと…


復元されたといっても、すべてが復元されていなかった。
ここは、奉行所で一番偉い人がいた部屋とのこと。
東日本大震災発災から7年目のこの日、14時46分に、嫁と二人この部屋で、ひっそりと黙とうをさせていただいた…


五稜郭タワーの近くを飛行機が飛んで行った…


ホテルの夕食は、カニ食べ放題コースになっていた。
オイラたちは、五稜郭をしっかり探検したかったので、19時からの夕食コースにしていた。
生ビールが飲み放題だったので、サーバーに行ったら、3つあるうちの1つが壊れていた。
おそらく、17時半からのコースの方がたに酷使されたのかもしれない…


カニは、当たりと外れがあったので、刺身に切り替えた。
タコとサーモンが美味しかった…


20時近くに団体さんが到着して、メチャクチャ騒がしくなった。
ブワッと集まって、ワオワオ言いながら、ガサっと持っていくのを繰り替えてしていた。
その頃、オイラたちは、もうデザートをいただいていた。
あの渦に巻き込まれなくてよかった…


最後に、メロンのフローズンドリンクかな?を飲んだ。
部屋に戻ると、腹が苦しかったので、すぐ寝てしまった。
​二晩連続になった食べ放題、もうそういう歳じゃないことを改めて認識した誕生日だった。
五稜郭は、すごく勉強になった…






Last updated  2018.05.05 22:16:17
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2018.04.18
カテゴリ:日本は広い

娘夫婦が函館に旅行に行った時、宿泊したホテルでお楽しみ抽選会があって、孫が見事に一泊宿泊券を当てたとのこと。
孫の誕生日に行くことにしてたとかの話だったけど、部屋が空いてなくて、部屋が取れた3月10日にオイラ達夫婦が代わりに行くことになった…


新函館北斗駅行きの新幹線は、こんなにも空いていたが、何故か、3人掛けのシートのもう一つに若い男性が座っていた。
ネットで、調べて席を取ってくれって感じだったが、青森辺りで降りて行ったので、よかった…


新函館北斗駅で降りると、やたら変わったゆるキャラの迎えてくれた。
お尻がオレンジなのが北斗市の公認キャラクターのずーしー・ほっきー。
手前にいるのが、よく分からないキャラ。
実は、3月10日は、青函トンネル&瀬戸大橋線開業30周年イベントの初日だったのだ…


新函館北斗駅の天井は、こんな感じでオシャレ。
そういえば、旭川駅も木材をふんだんに使った駅だった…


腹が減ったということで、隣のビルのラーメン屋に入った。
函館なら塩ラーメンだろうってことで、これにした。
実は、前の晩から、チョー腹が痛かったが、この一杯で取り戻した感じだった…


函館駅に向かうホームは、こんな感じ。
想像以上に、雪が積もっていたった…


これは、函館本線0マイル地点記念碑。
函館本線の起点を示すもの。
最初は、函館市海岸町10番地にあったとのこと…


さすがに、北に住む動物の体はデカい。
態度もふてぶてしい…


これは、ホテル近くの赤レンガ倉庫。
さすがに、盛岡市青山のレンガ倉庫とは、スケールが違う…


函館の夜景を見に行く前に、二十間坂辺りを探検した。
これは、東本願寺函館別院。
あとで調べたら、西本願寺があった。まるで、京都みたい…


これは、ハリトリス正教会だったかな…


いよいよ、日も暮れて来たので、函館山ロープウェイに行くことにした…


函館山の頂上は、とっても寒くて、前に立ってる人がいなくなるのを待って撮ったのが、この写真…


これは、帰りに建物の中から撮った写真。
なんだか、こっちがいいかも…


帰りは、とっても混んだった…


これは、函館正ヨハネ教会。
真上から見ると、十字架の形をしているとのこと…


赤レンガ倉庫は、いい感じだった…


こんな感じもものもあり…


こんな感じのところもあり…


楽しみにしていたジンギスカンのお店は、20時半まで予約でいっぱいという貼り紙がしてあったので、いったん、部屋に帰ってから電話したら、20時からは入れたった…


ジンギスカンとか、野菜とかの食べ放題を選んだ。
左の味付けジンギスカン、軟らかくて美味しかったので、3回くらい頼んだ…


部屋に帰って、赤レンガ倉庫の夜景を見て、ちょっと感動したった。
でも、腹が苦しかったので、すぐ寝てしまった…​






Last updated  2018.04.18 22:21:10
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2017.12.29
カテゴリ:奥州一関

金曜日に、中尊寺に行くと、献燈が飾られていた。
この献燈の下には札が付いていて、奉納された方々の名前が書いてあった。
一番多いのは36口のようだ…


これは、滑り止めの縄。
つま先に三重になるように巻くようにと、注意書きにあった。
アジアからの観光客の皆さんのほとんどが使っていたが、オイラは遠野出身なので、こういうものは使わないで、さっさと追い抜いたりした…


ここは、弁慶堂の入り口。
ここだけは、提灯がセットされていた…


幼い子供を連れた夫婦がお参りをしていた…


これは、地蔵堂。
ご覧のとおり、やたら人がいた。


これが中尊寺の本堂。
やたら記念写真を撮っている人が多くて、この一枚を撮るのに、しばらくかかった…


初詣の準備が進んでいる。
木も縄で吊るされていて、しっかり役目を果たしているという感じ。
新しいお米「金色の風」のことなど、いろいろと今年のお礼などをして参りましたった…


これは、金色堂の覆堂。
提灯は、まだセットされていなかった。
この日は、観光客が多かった…


これは、経蔵の内部。
骨寺村荘園のお米が収められていた…

ネットで調べたら、

 一関市厳美町の本寺地区は、その昔、「骨寺村」と呼ばれた荘園で、中尊寺の経蔵別当の所領でした。

 骨寺村については、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に村の四方の境が示されていて、その範囲が明らかです。 また、中尊寺に伝存する古文書や、一枚の『陸奥国骨寺村絵図』によって、中世の村の姿を視覚的に体験することができます。
とのこと。
このお米は、12月17日に収められたものだ。
オイラは、出張のために、見に来られなかった…



こちらは、古い覆堂。
この日は、見学コースから外れていた。
屋根に雪止めが付いてないから、上に注意して歩かないといけない…


これは、大長壽院西谷坊に門に乗っていた石。
全ての横木に、石が乗っていてびっくり…
看板には、
 かつては大規模な阿弥陀堂で、源頼朝はこれを模して鎌倉に永福治二階堂を建立した。
と書いてあった…


これは、白山神社の能楽殿。
よく見ると、舞台の上には、しっかり雪が積もっていた。
確かに、そういう構造になっている…


これは、辨財天。
看板には、
 本尊の辨財天十五童子は、宝永2年(1705年)、仙台藩主伊達綱村公正室仙姫の寄進。
 池や河川とともにまつられ、水流の美しい響きにちなんで「妙音天(みょうもんてん)」とも称し、言葉や知識、音楽や芸能の神として信仰される。
 また15人の童子を使ってさまざまな利益をもたらす福徳神である。
 福徳円満、子宝天授、安産、学業成就と所願に応じて利益を授ける。
と書いてあった…


これは、讃衡蔵の屋根の雪。
当然、屋根の下辺りは、立入禁止になっていて、ロープが張ってあった。
確かに、この日は、頭上の雪に注意するように放送があったり、雪が積もっている木の枝の下にパイロンが置かれたりしていたった…


これが帰りの月見坂。
坂道から坂を撮ったので、それほど急な感じに写ってないが、一度この坂を歩いたことがある人は、まるで、スキー場の斜面を歩いて登るようだと気が付くと思う。
オイラは、靴に縄を巻いて、キャアキャア騒ぎながら歩いているアジアの子供たちを横目に、サッサかと下っていったのだった…






Last updated  2017.12.31 17:21:50
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2017.11.19
カテゴリ:奥州一関

11月19日の朝、千厩は青空が見えていた。
これから、大東町の京津畑に出発…


砂鉄川を渡って、県道262号に入ると、道路が濡れてて、たまに吹雪いたりした…


会場が近くなると、一段と風雪が強くなってきたった…


会場では、こんなのが迎えてくれた…


これが会場の体育館。


こんな人とか…


こんなシカが迎えてくれたった…


これは、京津畑の神楽。
ネットで調べたら、
 明治三五年頃、丑石新田の伊藤千松より神楽の話があり有志で習い始めた。
 明治三七年、小山忠治が庭元となり、田河津高金の佐藤金治郎夫婆を招き、二ヶ年間滞在し神楽の指導を受けた。面、装束、用具等すべて佐藤金治郎夫妻の手作りで、京津畑神楽を創設した。
 初代庭元小山忠治、現在の庭元菊地照夫は五代目である。
とのこと…


これは、穂玖扇志誉舞さんの踊り。
何曲目かの時、カラオケになってしまって、本人もびっくり。
福田こうへいさんの唄にあわせた踊りは、実に見事だった…


こちらは、​オキタブルージーンズ​の皆さん。
最初は、頼りない感じで入ったので、どうなることかと思ったけど、さすがに寺内タケシが認めた男の演奏は素晴らしかった。
寒かったので、最初は調子が出なかったらしい…


奥州FMに出演されている井上ゆかりさんのステージ。
迫力に圧倒されましたった。
残念ながら、一関にもFMがあるので、奥州FMは聞くことがないもんで…


食の文化祭は、今年で17回目の開催。
新聞によると、

 同地区は49世帯、約120人の山あいの小集落ながら、まつりは県内外から約千人が訪れて「和食の原点」を味わい、山里の暮らしの豊かさを実感した。

 午後1時ごろ、出品された料理の試食会が始まると、来場者は次々に箸を伸ばし、あっという間に「完食」となった。

そのとおりだった…


ここが会場の京津畑小学校…


今は、グリーンツーリズムの施設となっている。
宿泊ができるし、食堂もあるし、お弁当、お惣菜、お菓子もある。
地域の特産品が詰まった「夏セット」や「冬セット」のまごこと便もある。

夏セットは家族にすっかり食べられてしまい、冬セットは千厩の単身寮に置いてきてしまったので、帰ってから食べることにする。
興田川にはたくさんイワナとかがいそうなので、来年は、探検に行こうと思っている…​






Last updated  2017.12.31 16:01:33
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2017.11.12
カテゴリ:奥州一関

土曜日と日曜日に、道の駅平泉で大秋穫祭というイベントが開催されるということで、土曜日に嫁と行ってみようかと思ったが、なにせ、盛岡はひどい天気だったので、やめておいた。
なので、日曜日に千厩に戻る途中に寄ってみることにしたのだった…


中のベンチに腰を掛けていたら、背中でホタテをPRしているケロ平が歩いて来た。
そして、部屋の中に入ってモゾモゾし出したので、オイラは、子どもの夢を奪うことになりはしないか気が気でなかった…

ガンライザーの撮影会まで時間があったので、隣にある柳之御所遺跡を探検しに行った。
ネットで調べたら、

 北上川の西岸に広がる約10万m2の広大な遺跡。
 発掘調査により掘立柱建設跡や屋敷群跡、園池跡が見つかり、藤原氏三代秀衡代の平泉館(政庁)跡の可能性が高いと考えられています。
 国内初の印章など貴重な出土品は、近くにある柳之御所資料館に展示されています。
とのこと…



これは、廃棄穴。
廃棄されてた状態がコンクリートとかで、リアルに再現されているのにビックリした…


これは、井戸。
平成21年までに、64基の井戸跡があったとのこと…


こちらの廃棄穴は、糞尿などを捨てたものとのこと。
全部で40基ほど、集中して見つかっている…


栗駒山の辺りには、雪が積もっていたった…


平泉も空が広い。
今も当時も、空は一緒だったんだろう…


この近くには、無量光院跡がある。 
ネットで調べたら、  
 三代秀衡公が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡。
 調査の結果、阿弥陀堂の柱間や翼郭の左右が鳳凰堂より大きく、平等院を超えようとした意欲が感じられる。
 建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む極楽浄土をイメージした浄土庭園の最高傑作と言われているとのこと…



道の駅に戻ったら、ガンライザーとの撮影会が始まっていた。
追っかけの怪しいオジサンに間違われないよう、地味に写真を撮ってみた。
天気は良かったが、風は冷たかった。
帰りに、「金色の風」を買ったら、眼鏡拭きが付いてきたった…






Last updated  2017.12.16 23:34:02
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2017.11.02
カテゴリ:奥州一関

11月2日に、中尊寺で岩手県のお米では、最高級品に位置付けられている「金色の風」の奉納式があるということで、アルトに乗って行って来た。
最初に、金色の風だけに、金色堂に向かった…


アジアの方がたドンドン入っていく。
オイラは、ここで、金色堂の御朱印帳を買った。
この御朱印帳の最初のページには、見開きをいっぱいに金色堂の御朱印が書いてある…


これは、岩手国体に天皇・皇后両陛下がおいでになった時に詠まれた歌が刻まれたもの。
ジーンときたった…


これは、金色堂の旧覆堂。
ネットで調べたら、
 鎌倉時代のものとされる木造建築物で、重要文化財である。
 700年以上、金色堂を守り続けて来たが、昭和の改修に伴い、新覆堂に役目を譲った。
とのことで、この中では、昭和の改修の様子をテレビで見ることができる。
でも、金色堂は建ってから50年くらいは、雨ざらしだったようだ…


これは、今年デビューした岩手県の最高級品種「金色の風」ののぼり。



ここが奉納式が行われた中尊寺本堂。


これは、本堂近くの池。


これは、鐘楼だったかな…


紅葉がギリギリって感じだった…


このくらいだと、ライトアップも綺麗だと思ったった…


これは、弁慶堂。
この弁慶像の大きさは、1m86㎝とのこと。
ここでも、御朱印帳が売ってて、カバーのデザインは、弁慶の刀のツバの模様とのこと。
ちなみに、金色堂の御朱印帳の方は、国宝の金銅華鬘で、カバーが付いてくる…


実にいい感じだった…


こちらも見事…


月見坂は、けっこうキツい。
ちなみに両脇の杉は、樹齢350年を超えていて、伊達藩が植えたものとのこと…


坂の入り口のドウダンツツジは、真っ赤に燃えていた。
今年は、日がよく当たっていたので、いい色になったとのこと…


11月12日まで、参道はライトアップされていた。
奉納式の後で、移動して打合せがあったので、戻って来ようかと思ったが、盛岡に帰るのがおそくなるので、やめておいた。
そしたら、土曜日だったかに地元のテレビで中継があって、それを見たった…






Last updated  2017.12.16 22:31:11
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2017.09.24
カテゴリ:カテゴリ未分類

宮古の朝、きれいな朝焼けだった…


千徳から宮古道路に入り、金浜の交差点に到着。
ご覧のとおり、金浜の堤防を越えた津波の高さは、これくらいあったということ…


これは、山田・大沢の山田IC手前にある防空壕。
大沢には海軍航空基地があり、水上飛行機が飛び立ち空から潜水艦を捜索するなど沿岸警備をしていたとのことで、2つあった防空壕のうち1つは、道路を建設する際に壊されたしまったようだ…

この辺りの花壇に、津波の後でも花を咲かせていた「奇跡の桜」があったはずだが、その時は見つけられなかった…


これが山田湾。


9月も下旬になると、ススキが出ていた…


これは波板海岸の北側…


これは、ホテルのある方。
サーファーがいっぱいいたった…


パーキングには、こんなのぼりが立っていた…


交差点を右折し、遠野に向かう…


前にいるこの車の運転がビックリで、曲がる直前にウインカーを点ける人は多いけど、この人は曲がってからウインカーを点けてた。
それって、Uターンの合図か?


この日は、SL銀河が釜石から帰ってくる日。
遠野の道の駅「風の丘」の駐車場で待ち構えた。
人も増えてきた…


こんな感じで走って行った…


赤羽根から大船渡方面に行こうかと思ったが、ナビを見て、増沢から荷沢峠を越えて行くことにした。
これは、国道343号のループ橋の脚…


ちょっと、皆さんのご迷惑かなと思ったけど、ループ橋でアルトを停めて写真を撮った。
それにしても、見事なループだ…


これは、大東町大原の稲。
ここは、まだまだ青い感じだった…


中には、もう稲刈りをしてるところもあって、この辺りはご覧のようにハセがけだった。
この方法は実家と同じだが、今は、コンバイン・乾燥機体系になっている。
でも、技は身についているのだ…






Last updated  2017.10.14 21:42:16
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2017.09.01
カテゴリ:盛岡辺りで

会議に出かける時、嫁から今日は息子が休みなので、久しぶりに外食しようと言われた。
息子の仕事は、休みの日が稼ぎ時の仕事なので、「いいよ」と言って家を出た…


これは、盛岡・大通のユリノキ。
ベロベロと皮が剥がれていて、ちょっと気持ちが悪かった…


会議が終わったので、嫁に迎えに来たもらった。
この日は、やたらに救急車に会う日だった…


これは、前九年の大きな樹。
盛岡市の景観重要樹木の敵見ヶ森稲荷のケヤキ。推定樹齢は160年を超えている。
この樹の下にあった狐森稲荷神社は、北山の榊山稲荷神社に合祀されてなくなっている…

敵見ヶ森には、解説を書いた看板があり、
 この小山の辺りは、前九年の役(1051~1062年)のさい、安倍軍が櫓を組み敵を見張っていた場所と言われている。
 その戦いのさなか安倍貞任の奥方がたくさんの女性たちを連れて魯に登り、歌い踊り、見方を励ましたと言い伝えられている。

また、稲荷の由来の看板もあり、
 …、この辺りは敵味方数万の将兵が戦死したる激戦地である処から後人この祠を建て将兵の霊を弔うたと言う…
と書いてあった。


これは、家に着く頃の空…


そして、焼き肉屋に近づいてたあたりの空…


久しぶりに来た、いつものお店で、初めて頼んだ牛スジの煮込み。
けっこう美味しかったけど、これが腹が苦しくなって調子を悪くする原因になった…


これは、嫁が大好物の牛タン。
一人前の盛りだと、非常に淋しく見えた…


こちらは、オイラが必ず食べているジンギスカン。
もちろん、独り占め…


いつも、嫁は、牛タンを最後に焼く。
最初に焼いた方が、鉄板にコゲもなくて美味しく焼けると思うんだけど… 


とどめの冷麺。
岩手県人は、焼肉屋に行ったら、これを食べないと帰れない。
でも、生ビールを2杯も飲んでたので、腹が痛くなるくらい苦しかった。






Last updated  2017.09.16 16:47:50
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2017.08.04
カテゴリ:釜石辺り

5日の朝には、法事があるというので、千厩から大東、陸前高田のループ橋を通るコースを選んだ。
ここは、大東町大原の手前にあるかっぱ井戸
いきなり、道草を食ってしまったが、けっこう楽しかった…


遠野のかっぱ渕とは違った雰囲気があった…


これは、有名が国道343号のループ橋。
サッと停まってパッと撮って、うりゃーと走り出した。
後から見て、夜景モードで撮っておけばよかったと反省した…


これは、釜石大観音の後ろ姿。
ネットで調べたら、
 ここのお寺は、曹洞宗の寺院・明峰山石応禅寺で、寛文5(1665)年、釜石を訪れた長安林存和尚が、軽米出身の小軽米左京之介の寄進を得て開創。
 当初寺院が建立されたのは狐崎腰懸岩付近(現在の浜町)だったが、数度の火災で被災。明治16年の大火を受けて全焼した後、明治26年、現在寺が建つ大只越町に場所を移し、十五世・中興智賢和尚が再建に着手。
 明治26年に始まった寺の再建が、鐘楼堂落成の完成までに費やした時間は実に40有余年。
 大正11年4月、東北有数の仏閣を持つ寺院として再興を果たした。
 昭和52年に安置されたご本尊・釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩は、大東町の京仏師・佐久間白雲の作。寺院建築の棟梁を務めたのは花巻市の宮大工・南館喜六で、その一生を石応禅寺再建に捧げたとのこと…


 十七世・雲汀晴朗和尚は、昭和40年、境内に無縁仏を供養する多宝塔を建立。
 供養を終え安心していたある日、和尚は霊夢のなかで、無数の無縁仏より観音様の建立を催促され、走馬灯のように周囲を回転する仏達と、観音様の建立を約束したのとのこと。
 明治29年6月の三陸大津浪、戦時中の2回にわたる大空襲で多くの犠牲者を出した釜石市。
 そんなこの地の歴史も踏まえ、幽明両界の苦悩する人々を救い、皆の幸せと世界平和を念願とし、大観音は建立された。


オイラが到着したのは、17時過ぎ。
すでに閉門していた、残念!!
だが、8月11日から15日までは、拝観終了時刻が17時30分になるとのこと…


これは、駐車場の電線に留まっていたスズメとカラス。
微妙な距離を保っているのが、素晴らしい…


宮古に向かう国道に出たところまでは良かったけど、17時過ぎだったもんで、なかなか進まない…


ようやく、市内に入った。
この景色を見ると、あー釜石だなぁって思う…


これは、山田の道の駅。
やっぱり閉店していたった…


建物の裏には、こんなものが。
オイラも同じように歩んでます…


これは、山田町役場の近くに建っていた、おそらく災害公営住宅。
6階建てになっている。
豊間根にも、3階建てだったようなのが建っていたった。
このビルのようなものの他に、地産地工の山田型復興住宅というのがあっせんされてるようだ。






Last updated  2017.08.13 23:32:55
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