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カテゴリ:盛岡辺りで
雨が降っていたけど、高松の池に白鳥を見に行った。
高松の池というのは、高松公園由来の看板を見ると、 盛岡城築城下創建の際最初に造られた堤。盛岡城築城以前は上田沼と称されていた。 上中下の三段になっていた小沼には雑魚が多く、冬から春にかけて鶴・雁・鴨などが群棲したそうだ。 おー、今でもいっぱいいる。 南部藩主27代利直公になって、この沼に堤防を築き、池の水は上田一帯の水田化の用水源として利用された。 明治39年には、日露戦争記念事業として吉野桜千数百本が植えられた。 大正の中頃に名称が「上田堤」から「高松の池」と改められ、平成2年4月には「日本のさくら名所100選」に選ばれている。 市のホームページなどを見ると、 当時、上田方面は湿地帯で、池方面からの浸水が町づくりの大きな障害となったため、治水を目的として、上田に三段の堤防が築かれた。 上堤、中堤、下堤のうち、最も大きかった中堤が,現在の高松の池とのこと。 満水面積は10.5ヘクタールもある。 氾濫された困る。 それから、冬季の湖面では、戦前からスケートも行われていたとのこと。 昭和33年には第13回冬季国体、第7回全国高校スケート大会の会場ともなったが、昭和53年頃から氷が薄くなり、現在は氷上の利用が禁止されている。 うーん、確かに小さい頃に、今年も池に氷が張ってスケートができるようになったというニュースをやっていた。 学生時代には、花見でずいぶんお世話になりました。 同級生の下宿が池のほとりにあって、ずいぶん遊びに来ました。 近くに女子高があったからではありません。 その女子高の名前が変わったのは、「日本のさくら名所100選」に選ばれた時と同じだけど、なんか関係があるんでしょうか。 まぁ、オイラには、関係のないことですけど… あっ、それから写真は、20日に撮影したものです。 なにせ、今週は、高松の池特集にしてしまったもんで… 19日の写真は、別荘の方で使ってますから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.11.20 17:33:57
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