明治神宮を参拝して来ていたった…
午前中の打合せが2つ終わり、原宿駅に到着。3つ目の打ち合わせまで時間があったので、明治神宮を参拝することにした…原宿駅から神宮橋を渡ると、この公衆電話がある。やはり、何かあった時は、公衆電話が大事だ…これは、最初の鳥居。写真を撮ろうとしてると、次から次へと旅行客が通って行く…これは、禁止事項を書いた看板。今だと、馬で乗り入れるのは、かなり難しい…全国各地から献上された酒樽が置いてあった。こちらは、ワインの樽。看板を見ると、 ここに奉供されている葡萄酒樽は、ブルゴーニュ東京事務所代表でブルゴーニュ名誉市民、シャトー・ドゥ・シャイイホテル・オーナーでもある佐多保彦氏の呼びかけにより、葡萄酒産地として名高いフランス共和国ブルゴーニュ地方は醸造元各社より献納されたものであります。と書いてあった。これが大鳥居。看板には、 我が国で最も大きい木造の「明神鳥居」。 昭和50年12月23日建替竣功、篤志家により奉献。 形式寸法共に大正9年創建の鳥居に同じ。 原木は台湾丹大山の樹齢1,500年に及ぶ扁柏(ひのき)。 高さ12メートル、柱と柱の間9.1メートル、鳥木の長さ15.5メートル 柱の径1.2メートル、笠木の長さ17メートルと書いてあった。これが、明治神宮御苑の案内図。広さは、70万平方メートル。看板には、 明治天皇御製 うつせみの代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ この御苑は江戸時代の初めから大名加藤家、井伊家の下屋敷の庭園でありましたが、明治初年皇室のご料地となり、明治天皇の思召により所々模様替えがなされ、昭憲皇太后にはたびたび行啓になられた由緒深い名苑であります。 面積は、約83,000平方メートル(二万五千坪余)で、武蔵野特有の面影を残した苑内には、隔雲亭、御釣台、四阿南池、菖蒲田、清正井などがあり四季折々の眺めは誠に趣きがあり、殊に六月に咲き競う御祭神ご遺愛の花菖蒲の美しさは格別です。とあります。これが、御社殿前の鳥居。明治神宮のネットによれば、 明治45年7月30日に明治天皇さまが、大正3年4月11日に昭憲皇太后さまが崩御になり、御神霊をおまつりしたいとの国民の熱誠により、大正9年11月1日に、両御祭神と特に縁の深い代々木の地に御鎮座となり、明治神宮が創建されました。 昭和20年4月14日、大東亜戦争による空襲に見舞われ、創建当初の主要建物は焼失しました。 33年11月、国の内外から多くの浄財が寄せられ、神社建築の粋を集めて復興造営がなされ現在の社殿が完成しました。とのこと。明治天皇のおぼしめしにより昭憲皇太后のために植えられた美しい花菖蒲は、6月1日から見られることになっていて、けっこう残念…。 東日本大震災では、お世話になったので、少しだけだったけど協力してきた…この門は、工事中だった。でも、御社殿からは、このくらいに暑い日だと、それらしく見える。ここは、文化館と宝物展示室。とにかく暑かった…これは、南参道にあった橋。しっかり、川が流れていたった。魚を捕ることは、禁じられています…そして、最初にくぐった鳥居まで戻った。相当暑かったが、木陰が多かったので助かった。ちなみに、ここの林は、全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林とのこと。これが、原宿駅。オリンピックのために建て替えになるとか。大正13年に建てられたこの駅舎は、洋風の木造2階建てで、都内の木造駅舎としては最古とみられるらしい。ぜひとも残してほしいと思ったりして…にほんブログ村