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毛針酔人日記

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全8件 (8件中 1-8件目)

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奥州一関

2017.12.29
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カテゴリ:奥州一関

金曜日に、中尊寺に行くと、献燈が飾られていた。
この献燈の下には札が付いていて、奉納された方々の名前が書いてあった。
一番多いのは36口のようだ…


これは、滑り止めの縄。
つま先に三重になるように巻くようにと、注意書きにあった。
アジアからの観光客の皆さんのほとんどが使っていたが、オイラは遠野出身なので、こういうものは使わないで、さっさと追い抜いたりした…


ここは、弁慶堂の入り口。
ここだけは、提灯がセットされていた…


幼い子供を連れた夫婦がお参りをしていた…


これは、地蔵堂。
ご覧のとおり、やたら人がいた。


これが中尊寺の本堂。
やたら記念写真を撮っている人が多くて、この一枚を撮るのに、しばらくかかった…


初詣の準備が進んでいる。
木も縄で吊るされていて、しっかり役目を果たしているという感じ。
新しいお米「金色の風」のことなど、いろいろと今年のお礼などをして参りましたった…


これは、金色堂の覆堂。
提灯は、まだセットされていなかった。
この日は、観光客が多かった…


これは、経蔵の内部。
骨寺村荘園のお米が収められていた…

ネットで調べたら、

 一関市厳美町の本寺地区は、その昔、「骨寺村」と呼ばれた荘園で、中尊寺の経蔵別当の所領でした。

 骨寺村については、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に村の四方の境が示されていて、その範囲が明らかです。 また、中尊寺に伝存する古文書や、一枚の『陸奥国骨寺村絵図』によって、中世の村の姿を視覚的に体験することができます。
とのこと。
このお米は、12月17日に収められたものだ。
オイラは、出張のために、見に来られなかった…



こちらは、古い覆堂。
この日は、見学コースから外れていた。
屋根に雪止めが付いてないから、上に注意して歩かないといけない…


これは、大長壽院西谷坊に門に乗っていた石。
全ての横木に、石が乗っていてびっくり…
看板には、
 かつては大規模な阿弥陀堂で、源頼朝はこれを模して鎌倉に永福治二階堂を建立した。
と書いてあった…


これは、白山神社の能楽殿。
よく見ると、舞台の上には、しっかり雪が積もっていた。
確かに、そういう構造になっている…


これは、辨財天。
看板には、
 本尊の辨財天十五童子は、宝永2年(1705年)、仙台藩主伊達綱村公正室仙姫の寄進。
 池や河川とともにまつられ、水流の美しい響きにちなんで「妙音天(みょうもんてん)」とも称し、言葉や知識、音楽や芸能の神として信仰される。
 また15人の童子を使ってさまざまな利益をもたらす福徳神である。
 福徳円満、子宝天授、安産、学業成就と所願に応じて利益を授ける。
と書いてあった…


これは、讃衡蔵の屋根の雪。
当然、屋根の下辺りは、立入禁止になっていて、ロープが張ってあった。
確かに、この日は、頭上の雪に注意するように放送があったり、雪が積もっている木の枝の下にパイロンが置かれたりしていたった…


これが帰りの月見坂。
坂道から坂を撮ったので、それほど急な感じに写ってないが、一度この坂を歩いたことがある人は、まるで、スキー場の斜面を歩いて登るようだと気が付くと思う。
オイラは、靴に縄を巻いて、キャアキャア騒ぎながら歩いているアジアの子供たちを横目に、サッサかと下っていったのだった…






Last updated  2017.12.31 17:21:50
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2017.11.19
カテゴリ:奥州一関

11月19日の朝、千厩は青空が見えていた。
これから、大東町の京津畑に出発…


砂鉄川を渡って、県道262号に入ると、道路が濡れてて、たまに吹雪いたりした…


会場が近くなると、一段と風雪が強くなってきたった…


会場では、こんなのが迎えてくれた…


これが会場の体育館。


こんな人とか…


こんなシカが迎えてくれたった…


これは、京津畑の神楽。
ネットで調べたら、
 明治三五年頃、丑石新田の伊藤千松より神楽の話があり有志で習い始めた。
 明治三七年、小山忠治が庭元となり、田河津高金の佐藤金治郎夫婆を招き、二ヶ年間滞在し神楽の指導を受けた。面、装束、用具等すべて佐藤金治郎夫妻の手作りで、京津畑神楽を創設した。
 初代庭元小山忠治、現在の庭元菊地照夫は五代目である。
とのこと…


これは、穂玖扇志誉舞さんの踊り。
何曲目かの時、カラオケになってしまって、本人もびっくり。
福田こうへいさんの唄にあわせた踊りは、実に見事だった…


こちらは、​オキタブルージーンズ​の皆さん。
最初は、頼りない感じで入ったので、どうなることかと思ったけど、さすがに寺内タケシが認めた男の演奏は素晴らしかった。
寒かったので、最初は調子が出なかったらしい…


奥州FMに出演されている井上ゆかりさんのステージ。
迫力に圧倒されましたった。
残念ながら、一関にもFMがあるので、奥州FMは聞くことがないもんで…


食の文化祭は、今年で17回目の開催。
新聞によると、

 同地区は49世帯、約120人の山あいの小集落ながら、まつりは県内外から約千人が訪れて「和食の原点」を味わい、山里の暮らしの豊かさを実感した。

 午後1時ごろ、出品された料理の試食会が始まると、来場者は次々に箸を伸ばし、あっという間に「完食」となった。

そのとおりだった…


ここが会場の京津畑小学校…


今は、グリーンツーリズムの施設となっている。
宿泊ができるし、食堂もあるし、お弁当、お惣菜、お菓子もある。
地域の特産品が詰まった「夏セット」や「冬セット」のまごこと便もある。

夏セットは家族にすっかり食べられてしまい、冬セットは千厩の単身寮に置いてきてしまったので、帰ってから食べることにする。
興田川にはたくさんイワナとかがいそうなので、来年は、探検に行こうと思っている…​






Last updated  2017.12.31 16:01:33
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2017.11.12
カテゴリ:奥州一関

土曜日と日曜日に、道の駅平泉で大秋穫祭というイベントが開催されるということで、土曜日に嫁と行ってみようかと思ったが、なにせ、盛岡はひどい天気だったので、やめておいた。
なので、日曜日に千厩に戻る途中に寄ってみることにしたのだった…


中のベンチに腰を掛けていたら、背中でホタテをPRしているケロ平が歩いて来た。
そして、部屋の中に入ってモゾモゾし出したので、オイラは、子どもの夢を奪うことになりはしないか気が気でなかった…

ガンライザーの撮影会まで時間があったので、隣にある柳之御所遺跡を探検しに行った。
ネットで調べたら、

 北上川の西岸に広がる約10万m2の広大な遺跡。
 発掘調査により掘立柱建設跡や屋敷群跡、園池跡が見つかり、藤原氏三代秀衡代の平泉館(政庁)跡の可能性が高いと考えられています。
 国内初の印章など貴重な出土品は、近くにある柳之御所資料館に展示されています。
とのこと…



これは、廃棄穴。
廃棄されてた状態がコンクリートとかで、リアルに再現されているのにビックリした…


これは、井戸。
平成21年までに、64基の井戸跡があったとのこと…


こちらの廃棄穴は、糞尿などを捨てたものとのこと。
全部で40基ほど、集中して見つかっている…


栗駒山の辺りには、雪が積もっていたった…


平泉も空が広い。
今も当時も、空は一緒だったんだろう…


この近くには、無量光院跡がある。 
ネットで調べたら、  
 三代秀衡公が、宇治平等院の鳳凰堂を模して建立した寺院跡。
 調査の結果、阿弥陀堂の柱間や翼郭の左右が鳳凰堂より大きく、平等院を超えようとした意欲が感じられる。
 建物の中心線は西の金鶏山と結ばれており、その稜線上に沈む極楽浄土をイメージした浄土庭園の最高傑作と言われているとのこと…



道の駅に戻ったら、ガンライザーとの撮影会が始まっていた。
追っかけの怪しいオジサンに間違われないよう、地味に写真を撮ってみた。
天気は良かったが、風は冷たかった。
帰りに、「金色の風」を買ったら、眼鏡拭きが付いてきたった…






Last updated  2017.12.16 23:34:02
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2017.11.02
カテゴリ:奥州一関

11月2日に、中尊寺で岩手県のお米では、最高級品に位置付けられている「金色の風」の奉納式があるということで、アルトに乗って行って来た。
最初に、金色の風だけに、金色堂に向かった…


アジアの方がたドンドン入っていく。
オイラは、ここで、金色堂の御朱印帳を買った。
この御朱印帳の最初のページには、見開きをいっぱいに金色堂の御朱印が書いてある…


これは、岩手国体に天皇・皇后両陛下がおいでになった時に詠まれた歌が刻まれたもの。
ジーンときたった…


これは、金色堂の旧覆堂。
ネットで調べたら、
 鎌倉時代のものとされる木造建築物で、重要文化財である。
 700年以上、金色堂を守り続けて来たが、昭和の改修に伴い、新覆堂に役目を譲った。
とのことで、この中では、昭和の改修の様子をテレビで見ることができる。
でも、金色堂は建ってから50年くらいは、雨ざらしだったようだ…


これは、今年デビューした岩手県の最高級品種「金色の風」ののぼり。



ここが奉納式が行われた中尊寺本堂。


これは、本堂近くの池。


これは、鐘楼だったかな…


紅葉がギリギリって感じだった…


このくらいだと、ライトアップも綺麗だと思ったった…


これは、弁慶堂。
この弁慶像の大きさは、1m86㎝とのこと。
ここでも、御朱印帳が売ってて、カバーのデザインは、弁慶の刀のツバの模様とのこと。
ちなみに、金色堂の御朱印帳の方は、国宝の金銅華鬘で、カバーが付いてくる…


実にいい感じだった…


こちらも見事…


月見坂は、けっこうキツい。
ちなみに両脇の杉は、樹齢350年を超えていて、伊達藩が植えたものとのこと…


坂の入り口のドウダンツツジは、真っ赤に燃えていた。
今年は、日がよく当たっていたので、いい色になったとのこと…


11月12日まで、参道はライトアップされていた。
奉納式の後で、移動して打合せがあったので、戻って来ようかと思ったが、盛岡に帰るのがおそくなるので、やめておいた。
そしたら、土曜日だったかに地元のテレビで中継があって、それを見たった…






Last updated  2017.12.16 22:31:11
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2017.06.22
カテゴリ:奥州一関

この日、一関市内で会議があり、終了後に懇親会。
オイラは、早々に切り上げて、バスで帰ることにした。
バス停まで歩いて5分、トイレに行ったり、飲み物を買ったり、準備は万端…


これは、一ノ関駅の前にある洪水の水位を表す看板。
2年続けて大変なことになっていたことが分かる…


これが、オイラの乗るバス。
特急なので、旧道は走らないことから、列車よりもかなり早く着く。
そう、千厩駅から単身赴任寮まで、テクテク歩くこともない…


体によさそうな飲み物をセットして、出発を待っていた…


バスは、定刻どおりに出発した…


外は、だんだん暗くなる…


25分で、道の駅川崎に着く…


オイラがバスを降りたのは、45分頃だった…


これは、千厩町内の製紙工場…


これは、久伝橋の太夫黒。
そう、千厩生まれの源義経の愛馬。


せっかくなので、町内にある太夫黒の広場に行ってみた。
この碑には、義経が千厩に来る時に様子が書いてある感じだった…


これは、太夫黒の碑。
漢字ばっかりでよく分からない…


これは、あとから分かったけど、オーブがみたいなのが写っている。
いろいろ調べたら、雨粒でもこうなるらしい。
オイラは、てっきり太夫黒が来てたのかと思った。雨も降ってなかったし…


これは、太夫黒を紹介している看板。
 もともとは、藤原秀衡公の愛馬で、淡墨(うすずみ)という名前だったが、義経とともに連戦し、義経が功により五位之尉に任官した時に、馬にも仮に五位の位を与え、太夫黒(たゆうぐろ)と呼ばれるようになったとのこと。

 元歴2年(1185年)屋島の戦いで、佐藤継信が義経の身代わりとなって戦死。その菩提を弔うために志度寺に太夫黒が寄進されたが、後に厩から抜け出し、継信の墓前に倒れていたのを里人が見つけたと言われている。

それで、隣にある漢字ばっかりの碑は、水戸光圀公の嫡子、松平頼常公が、太夫黒を讃えるために家臣に命じ作らせたものの、公の急逝により建碑に至らなかったものを、初めて碑に刻み建立したものとのこと。

ちなみに、太夫黒のお墓は、四国香川県の牟礼町佐藤継信墓苑内にあり、昭和63年に千厩町の参拝団が供養碑を建てたとのこと…


これが、太夫黒の広場からみた千厩のストリート…


これが、まちの駅。
源義経という石碑には、
 千厩というところは、後三年の役のときも、八幡太郎義家が安倍貞任と戦った古戦場であり、むかしから馬の産地として名高い。
 そして又、東海岸の気仙沼へ出る宿駅でもあり、馬飼いが住んで一つの里を作っているという。
と刻まれていた…







Last updated  2017.07.02 12:22:38
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2017.04.30
カテゴリ:奥州一関

日曜日の午後、千厩町磐清水にある福寿山安楽寺に行って来た。
境内にある看板によると、
 このお寺は、907~920年頃に菅原道真公(菅公)の四男菅原敦茂公(菅秀才公)が父母の菩提を弔うために開山したと伝えられている。


ここは、梅とかがたくさん植えられている。
一週間前は、見事だった…


開山時、安楽寺は天台宗だったが、天正19年(1591年)曹洞宗に変わったとのこと…


秋葉山という看板につられて歩いて行くと…


こんな祠があった…


これは、お寺の裏にある菅秀才公の精霊塔。


看板によると、
 向かって右が菅公夫妻と菅秀才公を弔う精霊塔、左が菅公を祀る石祠と伝えられています。
とのこと…


このお寺には、けっこう池がある。


これは、「八房の梅」とのこと。
看板によると、
 安永4年(1775年)の風土記に「安楽寺境内に八梅座論梅(中略)右之樹延喜年中(中略)安楽寺閑心法印開之節筑紫安楽寺より持参被植置候(以下略)とあり、また、古書に、この梅は「八顆梅(やつふさのうめ)」と称し、毎年花一萼に八つの実を生じ、長ずるに及んで欠け、実るのは1、2顆である、と見える。
とか書いてあった。

さらに、
 ここにあった梅はほとんどが枯損し、昭和30年頃には庫裡の前に僅かに根本を残すのみとなり、この梅は、覆堂建立落慶にあたり大宰府天満宮の御協力により、その記念として植樹したもの
とのこと…



白い花と赤い花が咲いていたった…


安楽寺は、往古から学業成就・家内安全等にご利益があると信じられ、近郷近在の信仰を集めているとのこと。
看板によれば、太宰府天満宮も以前は「安楽寺」と称し、菅公を祀る菩提寺でもあったとのこと…


お寺の帰りに、紅白の花が付いている梅の木を発見…


これは違うタイプ。
さらに、後ろには、真っ赤な花が咲いていた…

安楽寺について、さらにネットで調べたら、
 3月まで、千厩町内参加12店舗の“受験に勝つ”メニュー、カツ丼やカツカレーなどを食べて、スタンプを2個以上集めると、
学問の神様 菅原道真公ゆかりの福寿山安楽寺天満宮の合格祈願お札』と
合格祈願梅干し 秀才梅
がもらえたらしい。

ということで、なんかの試験を控えた方は、どうぞ参拝してください。
うーん、秀才梅の梅干しは欲しいかも…






Last updated  2017.05.07 11:13:45
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2017.04.23
カテゴリ:奥州一関

これは、奥玉という地区の入り口辺りで咲いていた桜。
22日に会議があったので、帰りに撮った…


とても青い空に映えてた。
実は、会議の会場の庭にも見事な桜が咲いていたが、恥ずかしかったもんで…


帰りにある交差点で、スイセンがたくさん咲いていた。
おやおやと車のスピードを緩めたら、後ろからクラクションを鳴らされたった…


夕飯のおかずを買いに行くついでに、旧千厩町役場の夜桜を観に行った。


すでに、満開を過ぎていたけど、ライトアップされていると、そんなことには気が付かない…


やっぱり、何組か花見に来ていた。
けっこう寒かった…


ついでに、夫婦石の桜を観に行った。


暗くて分かりにくいけど、これが夫婦石の名前の由来が分かるように撮った微妙な写真。


いやぁ、こちらも見事なライトアップだった…


これは、舘山公園の桜。


ネット調べたら、
 千厩町内を一望できる高台にある舘山公園。
 約100本の桜はソメイヨシノ、ヤマザクラなど数種類が順に咲き始めるので、長い期間にわたって花見を楽しむことができる。
と紹介されている…

しかし、行き方が分かってなくて、すぐに行けると思った道路を走って行ったら、途中から砂利の細い急な坂になって、とっても焦ったった。

公園に着いてから看板をみると、それは歩行者用道路だった。
結局、遠回りに見えた道路を行くのが一番近かった…


その一望した写真がこれ。
中央のちょっと上あたりにあるのが、旧千厩町役場の桜。
その左上が、千厩小学校の桜。

この日は曇っていて、しかも寒かったけど、たまに日が射しそうな感じがあったので、この瞬間をずっと待っていたのである…


ここには、かなり昔に千厩城があったらしい。
今は、憩の広場だの、多目的広場だの、花木広場だの、芝生広場だの、幼児広場だのがある。
確かに、奥の方から、子供たちが騒いでいる声がした。
時間あれば、朝の散歩コースにいい感じ…






Last updated  2017.04.30 18:31:45
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2017.04.09
カテゴリ:奥州一関

ここは、ユネスコの世界文化遺産にお登録されている中尊寺の、月見坂の登り口。
本堂まで、560mとある…



これが中尊寺本堂。
金色の風ののぼりがはためいていたった…


ここは、白山神社能楽殿。
手前が能舞台…


これは、弁財天堂の内部…


これが金色堂の覆堂。
金色堂は、中でピカピカ光っている。

パンフレットによれば、
 天治元年(1124年)の造立で、現存する唯一の創建遺構です。
 ご本尊は阿弥陀如来、脇侍に観音・勢至菩薩、さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天が本尊を取り巻いています。
 堂全体を金箔で覆い、皆金色(かいこんじき)の極楽浄土を現世に表しています。
 内部は螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金で荘厳され、平安仏教美術の最高峰をなしています。
ということで、是非とも、見学してください…


これは、大日堂。
アメリカンショートヘアを迎えてくれた…

内部は、こんな感じ…


これは、薬師堂。
看板によれば、
 藤原清衡公が中尊寺境内に建立した四十数余の堂塔の一宇で、当初建立の地は山内他所(南谷)とされ、明暦3年(1657年)に現在地(東谷)に移転された。
 現在の堂は明治18年(1885年)に改築された。
 本尊に慈覚大師作と伝えられる薬師如来像が奉られ、脇仏として日光菩薩立像、月光菩薩立像が安置されている。
 また薬師如来の分身・化身ともいわれる十二神将が奉られ、中尊寺山台で薬師十二神将像が建立当初より併置されているのは当堂のみである。
とのこと…


内部は、こんな感じ…
 薬師如来は現世の人々に病気平癒・健康長寿・開運福徳と限りなき仏果をお授けくださる現世御利益の仏として古来より人々の最も身近な信仰の対象とされ、この東北の地でも中尊寺を中心に広く深く崇敬され続けている。
とのこと…

それから、特に目の病気にご利益があるとのこと。
ということで、目のお守りがあったった…


これは、観音堂。


内部は、こんな感じ…


これは、地蔵堂。


内部は、こんな感じ…


これは、辨慶堂。
看板には、
 藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を杞愛宕宮と称した傍らに義経公と辨慶の木像を安置す
 辨慶像は文治5年4月高館落城と共に主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立往生悲憤の姿なり
点も〇もなくて、非常に読みにくい看板だった…



これが弁慶堂の内部。
正面が義経で、左のちょっと切れてしまったのが弁慶。
額は、明治14年8月に書かれたもののようだ…


修学旅行の学生たちにとって、必須アイテム。
うーん、懐かしい…


これは、東物見から見た風景。
山の名前は分からないが、右側に、27日に道の駅ができることになっている…

近くに、小松宮殿下御休憩御奮蹟と彫られた石碑が建っていた。
ネットで調べたら、
上野恩賜公園に銅像が建っているとのこと。
ここにおいでなったのは、薨去(こうきょ)の2年前、明治34年10月4日のようだ…


これは、月見坂。
けっこうきつかった…


これは、八幡堂。
立て看板によれば、
 やおよろずの神々の中で、八幡神は最も早く仏教にとけ込み、八幡大菩薩と尊崇されてまいりました。
 祭神を応神天皇とする伝統的信仰から、皇室の祖神、国家の守護神として、ことに源氏の氏神として、八幡宮は諸国に造建され、広く信仰されてきました。
さらに、
 天喜5年(1057年)鎮守府将軍源頼義、義家、安倍氏追討のためこの地に至り、ここ月見坂で戦勝を祈願しました。
 いわゆる前九年の戦いです。
 かくて長い戦いを収め、勝利の記念に京都石清水から迎えたのか鎌倉の八幡宮です(後、それを頼朝が鶴岡に移建)…
とのこと。

いやぁ、金色の風のおかげで、久しぶりに中尊寺に来て勉強することができて良かった。
足腰も鍛えらさった…
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Last updated  2017.04.15 17:38:07
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