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カテゴリ:時事ネタ
「嘘ついたら針千本のーます!」
って子供の頃やたらと友達と約束交わしたっけなあ。 今にして思えば、たかが子供の約束でも嘘ついたら針千本も飲まされるなんて、どれだけ残虐な約束交わしていたのだか でも嘘をつくことの罪はそれぐらいの痛みと重みがあることと昔は表現していたのでしょうね。 どんな小さな嘘でも、相手のことを思った優しい嘘でも嘘をつけば胸が痛む。 僕も日々嘘をつく。 夕方になると「家に帰ります。」「ここは私の家じゃありません。」と不穏になる入居者様はたいていの施設にいる。 夕食準備の忙しさで余裕がないこともあって、その徐々に不安感を増す方に「今日は泊まっていってください。」「明日になったらご家族が迎えに来ますよ。」 全部ウソだ。あなたには帰る家がない。家族が迎えに来るわけでもない。 わかっているけど、でもとりあえずその場を取り繕うためにウソをつく。それは認知症の人は少し時間が経てば今言ってることも忘れてしまうから、今さえ落ち着いてくれれば良いから…という偏見、人権無視でしかない。 だからたとえ職員間で決めた対応であってもそのウソをつく度に胸が痛む。 でもそのウソもつき続ければいつか針千本どころか針一本ほどの痛みも感じないようになってしまう。 条件反射のように「明日家族が迎えに来ますからねー」なんて笑顔で言ってしまえるようになる。 それじゃダメなんだ。そのウソをつく度の痛みを感じている間にもっと違うケアが出来るのじゃないかって考えなければならない。 いや介護の現実の話をしようと思ったわけではなくて その「嘘ついたら針千本飲ます」って言葉が現実のことだとしたら 安倍総理や、総理を崇拝する側近や官僚はいったい何千万本の針を飲み続けているのだろうなあって思っただけで もうこの人達は毒の耐性のように、針を何億万本飲もうが胸の痛みなんて感じないようになってしまっているのかな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年05月26日 13時32分01秒
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