ミツオーのセカンド・ボイス

2017/02/03(金)09:40

ファイトエルフ

実況の仕事(927)

ミツオーです。たくさん撮ったはずの写真が、どれもこれも使えないほどボケている…。むう。さて、今回の川崎開催でわたくしが実況を担当したレースのひとつに、JRA交流競走がありまして、そのレースに森秀行厩舎のファイトエルフという馬が出走していました。追い込んで2着に入り、わたくしも何度かその名前を呼んでいるのですが。 ファイトエルフという馬名を調べると、2頭、ヒットします。 現役のファイトエルフは、同名の2代目ということになります。 わたくしがなじみ深いのは1世のほうで、というのもこの初代のファイトエルフは、最晩年の宇都宮競馬に所属し、その最後の開催日におこなわれたレースで勝った馬なのでした。 今回、川崎の交流戦に出走し2着に追い込んだファイトエルフを見ながら、そしてその名を呼びながら、 「キミは知らんかもしれないが、オジサンは君の名を12年も前に何度も呼んでいたんだぞ(そしてそのころは、オジサンももっと若くて髪の毛だってフサフサとまでは言わないが、それなりにあったんだぞ)」 てなことを、心の中で語りかけてみました。当の2代目ファイトエルフは何とも思わなかったことでしょうが。 初代ファイトエルフは、調べてみると(記憶が曖昧だから。何せ12年も前の話だ)園田デビュー。6戦して2004年1月から宇都宮・清水久夫厩舎所属で走っています。 その後、2000勝ジョッキーで調教師になりたてだった青木秀之厩舎に移籍し、宇都宮最終日をむかえるまで栃木で走り続けました。 高崎の青峰賞2着、宇都宮の太平記特別(太平記記念という重賞が足利にあったのですが、この時点では「特別」という名前をつけて宇都宮の重賞としておこなわれていた…らしい)3着と、重賞でも馬券にからむ活躍。 手綱をとった騎手の名前を見ると、松本大寿郎さん・のちに管理する青木秀之さん・ピンクの内田利雄騎手・佐々木泉さん・藤江渉騎手と、いかにも清水厩舎系という名前が並んでますな(濃い話になりますが)。あ、やまりゅうこと山口竜一・現調教師も乗って勝ってます。初代ファイトエルフは、うつのみや競馬最後の最後の開催日・2005年3月14日、うつのみや名物の短距離戦「スパーク賞」のスペシャル版「キングオブスパーク賞」を藤江騎手の手綱で勝ち、その後は名古屋競馬へ移籍。2009年まで走り続けました。 藤江騎手が「オレ、うつのみや最後の日に勝ったんですよね。ガッツポーズしちゃいましたよ」と語るのは、このファイトエルフでの勝利のことです。 競走馬の名前は、それが著名な馬や現役引退間もないような馬でないかぎり、再利用可能です。 だからこうして12年の時を超えて、まるで違う場所でまるで関係ない所属の同名馬に出会ったりする。 可能性としては大いにありうることなのですが、それを自分で体験すると、ちょいと不思議な感じがします。 今回は、ファイトエルフという名前に憶えがありましたから気づきましたが、もしかしたらこれに類することを、すでに経験しているのかも。調べようもないことですが。 予想も覚悟もしていなかったところで、突然、12年前のことを思い出させる出来事ではありました。

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