止め時はいつか
自分にとってもう薬は必要じゃないと判断し中止するのはいつか。 ※これから先に述べる意見は、私の個人的な見解であるので、早急に独自で判断せずにあくまで参考程度にして欲しいと思います。 最終判断は医師による意見を主軸にして慎重に判断してください。 私の個人的な意見では”自分には薬はもう必要ない、もう止めたい”と思った時だ。 離脱症状が存在すると知る前に、猛烈な頭痛を経験した事を記載したがこの後その存在を知って自分は直感的に将来 ”やばい” と感じた。 この”やばい”という意味がどんな事かはここでは差し控えたいが同時に薬を何としても断ち切らなければならないと感じた。 鬱に罹患してるのによくそんな断薬しようと意欲的な考えが浮かんだり、本当は大した症状じゃなかったんじゃないかという意見もあるかもしれないがとにかく否定的な考えよりも、自分には”まだ生きていたい”、”自分を取り戻したい”、”家庭をまだ守る責任がある”と肯定的な気持ちの方が勝ったと思う。 ここで思ったことは”鬱”ってそんな簡単に治るものかということだ。 私自身は、こう考えられる意志が心の中に湧いてきた時点で鬱から逃れられる要素を十分兼ね備えた段階だと思うし治ると思う。 ただし減薬、断薬における離脱症状には”鬱状態”もあるので、せっかくの意欲的な意思を削いでしまう場合もある。ここらがこの種の薬の麻薬的なところ(というより麻薬と同じだが)になるのだが・・・ 僕自身は鬱状態にならないよう、離脱症状を抱えながら運動して汗をかき、食事は低血糖にならないように玄米や根菜類など俗にいわれる身体によいものを食べた。そしてなるべくジャンクフードは食べなかった。 また”爪もみ”の実行と、とにかく体を冷やさず温めるように動かした。 前記「うつを克服する最善の方法」の生田 哲氏は”鬱は自然な発露”と述べているが確かにそうだろう。 ストレスが続きその発散もせず、屋外に出ず体内時計がずれ、食事はジャンクフードそして低血糖状態、運動不足で頭のみ酷使してれば不眠にはなるし鬱にもなるだろう。 人間なんだから低調のときはあるし、いやなことがあれば鬱状態になることもあるだろう。 薬から逃れることが出来て本当に思うのは”鬱が自然の発露”の状態の時に自分で改善策を取るか、薬に頼るかでその後の経過が全く違う方向に行ってしまうということだ。 私は案の定、薬を選んで10年以上苦しんだ。 それともう一つ感じてきたことは”それじゃいったい、いつ治るんだよ”ということだ。 僕自身の鬱や不眠、不安感の発生が確かに当初は外的要因が原因であった。これは紛れもない事実だ。 しかし長期にわたるその後の不調は薬が原因だったのも事実だ。 ようやく気付いた ”薬に頼るのではなく自分で主体的に行動し健康を取り戻さなければいつまで経っても状況は改善されない、けっして治らない”と感じたときが僕の薬の止め時だったように思う。