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カテゴリ:浅井恵子 日記
昨日に続きます、 多くの新聞報道の中から長い文を翻訳しました、以下の通りです
「台湾空手道之父、浅井哲彦を記念して台中にてロケハン 来年撮影、スタート」 台湾空手道選手が、国際試合に於いて常に傑出な成績をあげている、 その源は、日本空手道大師浅井哲彦によるものである、 8割近くの、好選手は、その弟子又は孫弟子である。 夫人、台日の知名なる芸能人 浅井惠子は、 夫の輝かしい事蹟を紀念して、映画製作をすることになっている 市政府新聞局は、全力で此の制作組を協力することを表明した。 「女子防身術」であろうと「空手白刃奪り」であろうと、全て、 日本空手道大師浅井哲彦が研鑽し出したものである。 台湾の8割の空手道好手は、全て師の浅井流を伝承したものである、 台湾の人の体格の良さと資質が良い事を見極めて民国53年に 台中市に於いて、第一間の道館を設立した。 其の後、台湾は、戒厳時期であった為、道館は、次々と閉めざるを得なかった。 (註:閉めませんでした(浅井惠子) 但し空手道はそれによって消失はしなかった、 白鶴拳と結合して再出発し「空手道之父」 と称された。 速度を要求し、敵が手を出す前に、相手を制伏するものである 台中人、浅井惠子は、夫 浅井哲彦が台湾に於いて空手道を広めた 輝かしい事蹟を記念し、台湾空手道発展の始末を記録する為に 「台湾空手道の父-浅井哲彦」の映画を製作することになっている、 此処数日の間、プロデューサー及び、監督を伴って、1960年代 台湾風景の考証、蒐集の為に來台した。 台中教育大学實小学校、台中女中等のロケハンも行い、 来年正式に撮影をスタートする予定である、 又、台湾に於いて空手道の出演キャストのオーディションも行なうとの事 本名 陳恵珠の浅井惠子は1940年生まれ、 曽って、中央映画会社のスターであり、日本に於いて多くの映画やテレビドラマに出演し、 1963年、日本空手道家 浅井哲彦と結婚し、日本に定住した。 新聞局の話しによると、1964年浅井哲彦は日本の松涛館空手を正式に台湾へ導入し、 「台湾空手道の父」 と誉名された。 浅井惠子も夫に協力し、台湾各地で道場を設立して空手を広め、 ハワイ、ホンコン、ドイツ、スイス、スエーデン、デンマーク、上海等まで 広めたとのこと。 (浅井惠子 譯)
皆様の御健康と幸せをお祈り致します。
最終更新日
2015年10月21日 17時21分33秒
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