台湾の人助けピッチャー
昨日に続く昨日は、又随分重たいお話しをしてしまいました。それで、今日は又少し別のおしゃべりをしましょう。最近、台湾の食品会社が漁民にお金を寄付した事が話題になって、あたかも激しい反日家のような印象を私達日本の人々に与えた様です。私は、その社長が15才位の頃から今日に至る迄見て来ました。ほとんどの台湾の人がそうです。彼は人情味に厚い事で話題の人だからです。彼は、一度び災害が起これば、国を問わず如何なる地域でも真先に愛の手を差し出すのです。過去に於いて、中国で起こったどの災害も、台湾で起こった災害の時も、医療品、救助品の他にピッチャーが速球を投げるように、ばーんと寄付金を送りました。もちろん、我が国日本の3.11大災害の時も、間髪入れず、個人のポケットから1億5千万円を送ったそうです。彼のこれ等の行動から、私は、救急車がサイレンを鳴らし、早く!早く!人命救助は一刻も争うのだ!と疾走する様子を連想するのです。故に私たちは彼の事を「人助けピッチャー」と称しています。彼の子供達がまだ小さい頃、日本が大好きな彼は、みんなを引き連れて日本語を勉強しに行っていました。それから20余年経って、その先生が入院したことを知り、電話で会社からお花を送ると云って、翌日その花が届かないうちにもう上海からお見舞いに駆けつけました。そして病院の医師から看護婦さん達に、先生を宜しくとお願いしていたその姿に並み居る人達は感動したという話しを聞いています。また、スポーツ界や勉強関係の助成金は断った事が無いので有名です。年配者に対する助成も積極的で、特にお婆ちゃんには殊更優しく、それは早くに母親を亡くしたからという事です。彼にまつわる話しは多くありますが、彼のファンを喜ばせたエピソードがあります。幼なじみや其の他の個人的友ガキの集まりには、何時も 顔を出していた彼に友人が「お前はなんでそんなに人前に出る事や、名前を知られるのが厭なんだ。特に大金を寄付した時なんか、別に逃げ隠れする必要も無いのに、どうしてだ?」と聞くと、彼は真顔で「お前は俺の心情を知らないんだ。人に名前や顔を知られると、大っぴらに女をナンパできなくなるじゃないか」 そこで満場の笑いが起こり、「俺の人生で、女を口説くのが唯一の楽しみなんだから」と本人は大真面目に云っているのに、周りは爆笑の渦でした。彼は、決して女たらしではなく、天真爛漫な少年の様なキャラクターの持ち主です。 彼は宜蘭市の出身であり、お父さんの代から宜蘭の漁師達が獲った魚を缶詰にして販売していた会社であり、その会社名も「宜蘭食品公司」であった事、それを基に現在の食品会社が出来上がったことは周知の事です。此の度、父の代から密接な関係にある漁民達に、「燃料が高く、船が出せなくて漁民が困っている。何とか助成してくれないか」と依頼され、血の熱い彼が速球で援助したのはうなづける話しであります。台湾人であり、宜蘭人である彼が、故郷宜蘭を援助したのは理の当然であると人々は見ているそうです。彼は大の親日家で、彼にせんべいの作り方を教えた日本の恩人を、彼の食品会社の父と称し、金の銅像を作り、上海本社の入り口に飾ってあるとの事です。 彼は政治とは関係なく、只ひたすら事業に励んでいる人物です。彼のファンである私の同窓生が「彼は日本の3.11の際、1億5千万円も個人で寄付したのに、それを取り上げず、今回の事はテレビで大々的に取り上げるなんて」と嘆いていたので、私は「彼はきっと何時もの様に匿名で寄付したから知られなかったんじゃないの?それに日本のテレビも別に悪気があったとは思わないけど、でも大丈夫だよ、彼の人生は、人助けばかりしているでしょ、きっと神様に可愛がられているから「善有善報」(善には善の報いがある)と云うでしょ」と慰めました。 次回はまた玄学の話に戻ります。