茉莉の部屋

2019/07/02(火)16:42

試写会に行ってきました♪

ライヴ・お芝居・映画 etc・・・(150)

大泉洋さん 主演の​『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』​の試写会に行ってきました♪ キャッチフレーズは、  「体は不自由、心は自由!   車いす人生を駆け抜けた男の   笑いと涙の感動実話」 あらすじを公式HPより抜粋すると。。。  鹿野靖明、34歳。  札幌在住。幼少の頃から難病の筋ジストロフィーを患い、  体で動かせるのは首と手だけ。  人の助けがないと生きていけないにも関わらず、病院を飛び出し、  風変わりな自立生活を始める。  自ら大勢のボランティアを集め、わがまま放題。  ずうずうしくて、おしゃべりで、ほれっぽくて!  自由すぎる性格に振り回されながら、  でも、まっすぐに力強く生きる彼のことがみんな大好きだった―。  この映画は、そんな鹿野靖明さんと、  彼に出会って変わっていく人々の人生を、  笑いあり涙ありで描く最高の感動実話! 実在した人物・鹿野を演じるのは、同じ北海道出身の俳優・大泉洋さん。 減量したりしながら、容姿面だけでなく 性格も含めた人物像も鹿野さんに寄せて 演じていたそうです。 ヒロイン役の高畑充希さんは、鹿野に反発しながらも、 少しずつ心を開いていく新人ボランティアの安堂美咲役。 その恋人で医大生の田中久を演じるのは、三浦春馬さん。 将来や恋に悩みながらも、鹿野と触れ合う日々を通じて 変わっていく青年を演じています。 映画のスタートと同時に 傍若無人に振る舞う大泉・鹿野に圧倒されっぱなし! ボランティア活動をしている 恋人の三浦・久に連れられ 鹿野宅を訪れ、 その振る舞いに振り回され、戸惑う高畑・美咲。 身体は、首と手が動かせるだけ。 24時間体制で介助が必要な状態なのに、 遠慮なしにボランティアさんに欲求を述べる 達者な口。 「あれやって!」「これやって!!」 「あれ食べたい!」「これ食べたい!!」 深夜にもかかわらず「バナナ食べたい!!」 ヒロインならずとも はぁ~?!な鹿野の振る舞いに 呆れかえってしまいました。 (えぇ~っ! ここでタイトル「こんな夜更けにバナナかよ」回収?!) 私にも 筋ジストロフィーを患いながらも 自立して生活してる知人がいますが、 このようなタイプの人ではないので、びっくり!の方が先に立ってしまいました。 ストーリーが進むにつれ、単なるワガママだけの人物ではないことに 気づかされましたが、介助される側である鹿野さんの振る舞いに 最初のうち ちょこっとムカついた気分になったのは事実。 自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 彼なりの「どんなに重い障害があっても地域で普通に生活したい」 という信念があって、看護・介助体制の整った病院生活から ボランティアを自ら募集し、一般住宅を使用しての 自立生活をしていたのでした。 持ち前の明るさでボランティア達との信頼関係も築きあげられており、 笑いにあふれた日々の生活が営まれていますが、病気自体は徐々に進行し。。。 実在の鹿野さんの略歴は。。。(HPより)  1959(昭和34)年12月、札幌市生まれ。  11歳(小学校6年)のとき、進行性筋ジストロフィーという診断を受けた。  北海道八雲町にある国立療養所八雲病院(現・国立病院機構八雲病院)の  筋ジス病棟に入所したが、家族から遠く離れ、病気の進行がはやい友人たちが  次々と亡くなっていく過酷な環境で少年時代を過ごす。  18歳で車いす生活となり、札幌近郊の北広島市にある障害者授産施設  (現・就労継続支援施設)に入所。  周囲の友人などから、北欧を中心に広がったノーマライゼーションの思想や、  アメリカの自立生活運動に触れるうち、  23歳のとき、障害者施設を飛び出して自立生活を開始した。  しかし、当時は障害者のための在宅福祉制度など皆無に等しい時代であったことから、  自ら募集したボランティアたちに、自ら介助の仕方を教えながら、  約20年間にわたる綱渡りのような自立生活を続けることになる。  大学生を中心としたボランティアたちは、総勢500名以上におよぶ。  多くの若者たちが、ときに鹿野さんとぶつかり合い、葛藤を重ねながらも、  鹿野さんの生き方から大きな影響を受けた。  2002(平成14)年8月、拡張型心筋症による不整脈のため42歳で死去。  筋ジストロフィーは、全身の筋力が徐々に衰えていく難病で、  根治療法はまだ確立されていない。  手や足の筋力だけでなく、内臓の筋力も徐々に衰えるため、  呼吸筋の低下に伴って人工呼吸器が必要となる。  鹿野さんは35歳のときに気管切開を行い、人工呼吸器を装着した。  呼吸器をつけると、気管内に不定期にたまる痰を、  かたわらにいる誰かが吸引器という機械で吸引しないと窒息してしまう  という困難も負うことになる。  当時、痰の吸引は「医療行為」とみなされており、  医師や看護師以外による吸引は事実上、禁じられていた  (2012年の法改正で特定の研修を経た介護職は吸引可)。  ただし、例外的に本人・家族による吸引は黙認されていたことから、  鹿野さんは「ボランティアは僕の家族」と主張することで、  呼吸器装着後もボランティアとの自立生活を継続した キャッチフレーズ通り 笑って泣いて。。。 とても素敵な作品でした。 KKT さま ユナイテッド・シネマ熊本 さま 熊本不二コンクリート工業 さま  ありがとうございました♪♪

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