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2022年06月28日
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全75件 (75件中 1-10件目) スポーツ関連
カテゴリ:スポーツ関連
第1回ワールドベースボールクラシック(WBC)が行われたのは2006年です。
初めての大会で、日本は激闘の末、優勝しました。 ![]() 今でも思い出します。 予選リーグから始まった宿敵、韓国との闘い。 Aロッドやジーターなど、MLBのスーパースター集団のアメリカとの闘い。 韓国に敗れ、決勝トーナメントを勝ち上がれないと、誰もが思った時、奇跡が起きてアメリカが敗れたこと。 セミファイナルで韓国に雪辱した、代打福留のホームラン。 決勝戦ではアマ最強のキューバとの打ち合い。 そしてあの川崎の神の手と呼ばれるホームイン。 ![]() 今思い出しても、身震いのするような激闘です。 並いる世界の強豪を倒して、日本が初代チャンピオンになったあの感動は、本当に素晴らしかったです。 この時は、まだ侍ジャパンというニックネームはありませんでした。 このドリームチームを率いたのは、当時ソフトバンクホークス監督の王監督です。 そのため、王ジャパンとも呼ばれていました。 王監督は冷静に、そして時に熱く、チームを率いました。 アメリカ戦のタッチアップの際の抗議には、ベンチ全員が監督の想いと一緒になっていました。 ![]() 世界一になり、アメリカらしくシャンパンファイトで優勝を祝う時、王監督はこう挨拶します。 「諸君は素晴らしい! さあ、今日は思い切ってやろうぜ!」 この「諸君は素晴らしい」という短い言葉に、王監督の選手に対する感謝とリスペクトが表れています。 選手からも大歓声で、シャンパンファイトは大盛り上がりでした。 私も「諸君は素晴らしい!」と言う言葉を、部下たちに贈りたいと思うことがあります。 あの時の王監督と同じ気持ちで。 ![]()
最終更新日
2022年06月16日 18時21分24秒
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2022年06月14日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
開幕から健闘してきた中日ドラゴンズですが、交流戦で後半失速し、最下位に転落しました。
とは言え、若手選手を起用して、育成をしながらですので、私としては順位は特に気になりません。 ![]() 昨年までは不調の選手がいても、メンバーをほぼ固定していました。 なぜ、選手の入れ替えをしないのだろう、と不思議に思い、無策だという記事を書いたこともあります。 それに比べると、新首脳陣になった今年は、野手では岡林勇希選手、鵜飼航丞選手、石川昂弥選手などをレギュラーで起用しています。 投手でも高卒2年目の髙橋宏斗選手がローテーションに入るなど、若手を我慢して育てているように見えます。 石川選手は残念ながら怪我をしてしまいましたが、これらの若手選手が主力選手になると、非常に楽しみです。 また、ショートのレギュラーだった京田選手を二軍に送るなど、競争心を煽っているのも、去年までにはない光景です。 ![]() このような状況ですが、多くのファンからの声として、根尾昂選手の起用法には不満が出ています。 立浪監督は当初、根尾選手を外野手として起用すると明言していました。 今シーズンは開幕一軍入りしましたが、外野手は岡林選手や鵜飼選手などの出番が多く、根尾選手は出番がほとんどありませんでした。 そこで、今度は本来のポジションであるショートでの起用を明らかにしました。 しかし、ショートでも出番は限られ、2試合ほどは敗戦処理としてピッチャーとして登板していました。 確かに高校時代は投手兼野手として、甲子園の優勝投手にもなっています。 この2試合でも、投手としての練習を全くしていないにも関わらず、150kmのボールを投げて、周囲を驚かせていました。 そこに、ニュースが飛び込んできました。 ![]() 今週のリーグ戦再開から、根尾選手を投手として登録するということです。 立浪監督が、マスコミの取材に対して明らかにしました。 プロ野球でも野手から投手に転向した選手は、現役選手も含めて、何人かいます。 この根尾選手の投手転向は、果たしてどうなるでしょうか。 ネットでは、概ね肯定的な声が多いです。 投手としての練習を積んで、根尾選手が一軍のマウンドに上がるのを、楽しみにしたいと思います。 ![]() (画像はネットから拝借しました)
最終更新日
2022年06月14日 18時05分04秒
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2022年03月25日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
今年もプロ野球開幕の日を迎えました。
本格的に春の訪れを感じます。 ![]() 去年は東京オリンピックの関係で、プロ野球のレギュラーシーズンが一時中断期間がありました。 そのため、シーズン終了からクライマックスシリーズ、そして日本シリーズと、例年よりもかなり遅い時期になりました。 あのヤクルトとオリックスの日本シリーズの激闘は、かなり寒い中でのナイターでした。 そのため、このオフシーズンはいつもより短く、開幕を待つ時間も短くて済みました。 キャンプからオープン戦と新戦力や、若手選手の台頭など、楽しみながら見ていました。 この時期は、どのチームでも優勝しそうな感じがします。 ![]() 私の応援する中日ドラゴンズは、監督が変わり、若手の起用を積極的に行っています。 勝った負けたはありますが、やはり若い力が台頭してくるととても楽しみに感じます。 今年のセリーグは、混戦模様だと思います。 去年日本一のヤクルトでも、油断するとBクラスという可能性があると思います。 パリーグは、新庄監督率いる日本ハムが話題をさらっています。 派手なパフォーマンスで注目を集めて、多くの記事が掲載されました。 ![]() 開幕を戦う福岡ソフトバンクの藤本監督は、新庄監督と対照的なコメントをしています。 あちらは遊ぶと言っていますが、こちらは真剣にやります、というようなニュアンスだったと思います。 いずれにしても、また楽しみな時期になりました。 そして、桜も少しずつ開花してきて、本格的な春の気配を感じます。 今シーズンも、プロ野球を楽しんで見たいと思います。 ![]()
最終更新日
2022年03月25日 19時37分49秒
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2022年03月18日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
今日から春のセンバツ高校野球大会が始まる予定でした。
しかし、雨の影響で開会式も含めて延期になりました。 ![]() 初日の雨天順延は実に30年振りということです。 センバツは季節的に雨の日も多く、順延もある印象でしたが、30年振りの初日順延は意外でした。 昔に比べると、センバツ大会の開始はかなり早くなりました。 確か、10日ぐらい早くなったと思います。 3月最終週から10日間の日程ですと、雨天順延が続いて新学期に間に合うか、みたいな年もありました。 そのため、雨の中の悪いコンディションで試合をしなければならないケースもあり、気の毒なこともありました。 この時期に始まれば、そういうこともないでしょう。 このような柔軟な対応は良いことです。 ![]() また、センバツは阪神淡路大震災や東日本大震災の年も開催されました。 阪神淡路大震災の時は兵庫県から3校が出場し、東日本大震災の時は、被災地から東北高校が出場しました。 今年は、開幕前日に京都国際高校が出場を辞退しました。 チーム内で多くの選手がコロナに感染したことで、出場を辞退する判断となりました。 非常に気の毒ですが、仕方ないと思います。 急遽、繰り上げ出場となった近江高校には、頑張って欲しいと思います。 ![]() かつて、夏の甲子園を辞退した高校の繰り上げで、既にチームを解散していた県大会の準優勝校が、急遽繰り上げ出場になったことがありました。 この時は既に3年生は引退しており、急遽再招集されて甲子園にやってきた、という状況でした。 それに比べれば、まだ現役のチームですので、何とかなると思います。 選手の皆様のご健闘をお祈りしております。 ![]() 春はセンバツから、です。
最終更新日
2022年03月18日 18時17分53秒
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2022年02月18日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
北京オリンピックも終盤になりました。
色々ありますが、時間がある時は楽しんで見ています。 ![]() 先日、女子スノーボードの岩渕麗楽選手が、大技に果敢に挑戦しました。 成功すれば世界初となる技でしたが、惜しくも転倒して成功にはなりませんでした。 岩渕選手は前回の平昌オリンピックで4位でした。 今回も4位で迎えた決勝の3本目に、大逆転を狙って大技に挑みました。 残念ながら成功とはならず、順位は前回同様4位でした。 しかしながら、各国のライバル選手が岩渕選手のもとに集まって、抱き合い称賛する姿がありました。 ![]() ライバル選手たちも、岩渕選手の果敢な挑戦を讃え、リスペクトする姿勢には、スポーツの素晴らしさを感じました。 そして惜しくも4位となった岩渕選手の、オリンピックの舞台での挑戦する姿勢に、心から拍手を贈りたいと思います。 40年ほど前、高校生の時に体育祭がありました。 私は3,000m走のクラス代表選手でした。 力のある選手がたくさんいると思っていたので、この時の私は賭けに出ました。 自分の力よりも速いスピードで、先行逃げ切りに挑みました。 3,000m走は、400mのグラウンドを7周半走ります。 私はかつてのMGCの設楽悠太選手のように、スタートから飛び出しました。 ![]() 先行逃げ切りしか勝つ方法はないと思っていたので、果敢に挑戦しました。 結果は、途中から集団に飲み込まれて、確か7位ぐらいまで落ちたと思います。 この時は、今思うと果敢な挑戦というよりは、少し無謀な挑戦でした。 結果は惨敗で、苦い思い出になりました。 それでも、挑戦することは良いことだと思います。 何歳になっても、自分に挑戦していきたいと思います。 久しぶりに昔のことを思い出しました。 今の自分だったら、前半抑えて後半勝負に出るな、などと余計なことを思いながら。 ![]()
最終更新日
2022年02月18日 19時14分43秒
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2022年01月26日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
今日は相撲界を取り巻く色々なニュースが飛び込んできました。 その中から3つ取り上げます。 まず1つ目は、新大関の誕生です。 この初場所、関脇で3度目の優勝を果たした御嶽海が、大関に昇進しました。
実力はもとより充分であり、過去に優勝2回の実力者でありましたが、波がありなかなか大関に上がれませんでした。 しかしながら、初場所では落ち着いた取り口で、3度目の優勝を遂げました。 長野県からは何と227年振りの大関昇進ということで、伝説の最強力士、雷伝為右衛門以来ということです。 まさかここで雷電為右衛門の名を聞くとは思いませんでしたが、御嶽海には横綱を目指して欲しいと思います。
2つ目は大島部屋の再興のニュースです。 相撲博士と呼ばれた元大関旭國が興した大島部屋が、10年振りに再興されるということです。
元旭國の大島親方は、横綱旭富士や後に政治家になった旭道山、モンゴル出身の旭鷲山、旭天鵬などを育てました。 相撲界で初めてモンゴル人力士を育て、定年退職しました。 弟子である旭天鵬に部屋を継承させたかったようですが、当時まだ旭天鵬は現役でしたので、大島部屋は閉鎖され、一門の友綱部屋に力士は移籍しました。 現在は旭天鵬が友綱部屋を継承していますが、現大島親方と年寄名跡を交換して、本来の系統である大島部屋を復活させることとなりました。 これは嬉しいニュースです。 旭國の元大島親方も喜んでおられるでしょう。
そして3つ目は、現役最年長力士、51歳の華吹(立浪部屋)の引退です。 何と初土俵は昭和61年で、足掛け36年間の現役生活でした。
昭和、平成、令和と3世代にわたって現役を続け、51歳まで土俵に上がるとは、考えられないことです。 本当に長い間お疲れ様でした。
最終更新日
2022年01月26日 18時29分14秒
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2021年12月21日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
![]() 先日、一斉にネットニュースで報道されていました。 現在の二所ノ関親方の元大関若嶋津は、来年1月で定年となる65歳を迎えます。 その後は定年延長制度を利用するとみられており、元稀勢の里の荒磯と、名跡を交換する模様です。 定年再雇用者は部屋を持つことが出来ませんので、部屋の継続には、継承者が必要です。 荒磯親方は故郷の茨城県に荒磯部屋を創設しており、来年には部屋開きが行われます。 どうやら、この部屋が二所ノ関部屋になるようです。 ![]() 二所ノ関部屋は戦前の大横綱玉錦が再興した部屋です。 現在5つある大相撲の一門の一つで、玉錦が現役死亡の後には玉ノ海、佐賀ノ花が継承しています。 私が子供の頃に、この佐賀ノ花が亡くなり、後継者争いで二所ノ関騒動と呼ばれる騒動がありました。 一時的に一門の長老の湊川親方が二所ノ関を襲名し、その間に後継者を決めることとなりました。 そこで最終的には当時現役だった金剛が後継者に決まりましたが、これに不満を持った人物がいました。 元大関大麒麟の押尾川親方です。 押尾川親方は、自分を慕う力士たちと部屋を脱走し、谷中の寺に籠ります。 大騒動になりましたが、最終的に押尾川は分家独立し、押尾川部屋を興しました。 ![]() この時、押尾川につきながら二所ノ関部屋に戻され、その後嫌気がさして廃業、プロレスラーに転向した力士がいました。 それがあの、天龍源一郎です。 金剛は27歳で引退して二所ノ関部屋を継承しましたが、2012年に脳梗塞で倒れ、部屋経営が困難となったことから、二所ノ関部屋は閉鎖されました。 部屋付き親方や行司たちは一門内で移籍し、力士は全て引退しました。 その後、金剛は亡くなります。 その閉鎖されていた部屋を再興したのが、今回の若嶋津の松ヶ根親方です。 2014年に松ヶ根部屋の部屋付き親方である11代二所ノ関と名跡交換を行い、12代二所ノ関を襲名すると同時に、松ヶ根部屋を二所ノ関部屋として再興しました。 その若嶋津の定年に伴い、部屋付きの親方でなく荒磯親方が後継指名されました。 なお、部屋付きの放駒親方(元関脇玉乃島)が現在の二所ノ関部屋の建物などを継承し、放駒部屋として継続するそうです。 まだ若い荒磯親方が、名門の後継者に指名されました。 両国から遠く離れた茨城県で、どのような部屋運営をしていくのか、非常に楽しみです。 ![]()
最終更新日
2021年12月21日 18時21分47秒
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2021年12月17日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
今年のニューイヤー駅伝で優勝した富士通が、優勝旗が行方不明になっていると発表しました。
元旦の恒例行事であるニューイヤー駅伝は、社会人ナンバーワンチームを決める駅伝です。 ![]() 記者会見した富士通の平松常務は、深く謝罪しました。 優勝旗が現在のところ所在不明となっていること、実業団連合からは厳しい言葉があったこと、などを述べています。 実業団連合からは「歴代の優勝チーム、関係者に誠意をもって謝罪してほしい」と要請されたということです。 現在、過去の優勝チームと連絡をとり、謝罪行脚の日程を調整しているそうです。 ![]() 富士通は、11月に優勝旗を返還するための準備を始めたところ、所在不明が発覚したそうです。 6月以降に本社事務所のフロア移動をしており、保管場所を複数回にわたり変更していたため、行方不明になったとしています。 また、紛失、誤廃棄、盗難等の可能性も含めて探したようです。 「間違って廃棄物と一緒に廃棄してしまった可能性も否定できない」とのコメントもありました。 私の記憶では、もう50年以上前でしょうか、高校野球の夏の甲子園での優勝旗が行方不明になったという時間がありました。 学校に保管していた優勝旗が、ある日突然なくなっていた、というものです。 この時は大騒ぎになり、何ヶ月もかけてあらゆる方法で捜索したということです。 最終的には、他の学校の床の下に隠されていたところを発見されたというように記憶しています。 ![]() これは盗難事件で、犯人もわからないままという状態でした。 この事件があってから、甲子園優勝校は優勝旗を銀行の金庫に預けるなどの対応をするようになったと言います。 優勝旗とは非常に重みのあるものですが、今回の富士通のケースはあまりにも杜撰だったと思います。 栄誉あるものを預かっている意識が欠除していたということですが、優勝旗は仮に新調しても、過去の優勝チームの栄誉は引き継がれないように感じます。 ![]()
最終更新日
2021年12月29日 09時59分40秒
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2021年12月08日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
今日はプロ野球の12球団合同トライアウトが行われました。
毎年のことですが、厳しい世界です。 ![]() 今年はオリンピックがあった関係で、シーズンの終了が例年よりも遅くなりました。 そして、日本シリーズが終わったのも先月末でした。 そのため、例年よりも1ヶ月ほど遅いトライアウトになりました。 もう既にトライアウトを受験せずに、引退を表明した選手も多々います。 今年は戦力外通告を受けたプロ野球選手など、33名が参加しました。 かつてプロ野球に在籍していた元選手なども参加しています。 ![]() 昨年は、現日本ハム監督に就任した新庄元選手が参加したこともありました。 48歳の挑戦には大変驚いたものです。 今年は寒い中でのトライアウトとなり、選手の方も厳しい環境だったかと思います。 かつて、このトライアウトから中日ドラゴンズに入団し、スーパーサブとして活躍した工藤選手などもいました。 しかしながら、大半は厳しい現実を突きつけられます。 トライアウトで採用される選手も数人程度、そして翌年に再び戦力外通告を受けるせんしも多くいます。 ![]() 今年の顔ぶれを見ると、元ドラフト1位のオリックス吉田投手や、日本ハム村田投手、広島高橋選手の姿もあります。 中日ドラゴンズからは三ツ間投手と武田選手が参加しました。 野球を続けられる選手はごく僅かだと思いますが、多くの選手の方が悔いのないトライアウトになればと思います。 ![]()
最終更新日
2021年12月08日 19時05分34秒
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2021年11月29日
テーマ:スポーツあれこれ(9970)
カテゴリ:スポーツ関連
先日、今年の日本シリーズが終わりました。
近年稀に見る激闘の日本シリーズでした。 ![]() ヤクルトとオリックスの対戦は、1978年が初対戦です。 当時、日本シリーズ3連覇中の阪急ブレーブスに、球団創設以来初優勝のヤクルトが挑む戦いでした。 阪急圧倒的優位の戦前の予想が覆され、ヤクルトが4勝3敗で日本一になります。 あの、上田監督の1時間19分の抗議があった伝説のシリーズでした。 ![]() 次が1995年です。 阪神淡路大震災を乗り越えたオリックスが、ヤクルトと対戦しました。 この時は、野村監督と仰木監督という名将同士の対決となりました。 小林とオマリーの14球の名勝負がありましたが、4勝1敗でヤクルトが勝ちました。 それ以来の対戦となった今年の日本シリーズは、4勝2敗で再びヤクルトが勝ちました。 6試合中、1点差が5試合、2点差が1試合という、凄まじい激闘でした。 近年稀に見る激闘でしたが、これがいずれも前年最下位のチーム同士でした。 僅か1年でここまでのチームを作ってきた高津監督と中嶋監督は、野村監督と仰木監督の元で選手として活躍した2人です。 ![]() 若手選手や新戦力を活用して、見事にチームを優勝に導きました。 素晴らしいチームを作り上げたと思います。 セ・リーグの優勝は9年振り、ヤクルトの日本一は20年振りとなります。 その20年前の対戦相手は、何とオリックスと合併した近鉄バファローズでした。 素晴らしい日本シリーズでした。 これでしばらくは野球が見られない日々に なりますが、一年の最後に素晴らしい日本シリーズを見られて、とても楽しかったです。 ![]()
最終更新日
2021年11月29日 18時26分27秒
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