マンガだって…早いもので40代も後半に突入するが、マンガに対する偏見は全く無い。 子供の頃から、一般の文学と同じように接してきたと思う。 世の文学の7割が駄作であるようにマンガの7割は駄作だ。 そして、世の文学と同じように、残りの3割の中には感動を与え、考えさせられ、 ライフスタイルにも影響を及ぼすものがあると思っている。 小学校低学年の頃は、「少年マガジン」「少年サンデー」「少年キング」という週刊誌に目を通しており、 「少年」「少年画報」「少年ブック」「冒険王」などの月刊誌を結構愛読していた。 月刊誌の“付録”っていうのは実に楽しくて、ワクワクしたものだ。 小学校高学年になると、「COM」などに手をだしたり、出始めたばかりの“マンガの単行本”を買うようにもなった。 いくつかは紛失したが、その殆どはキチンと残してある。 「虫プロ」を始めとして当時の出版社は結構つぶれているので、これらは密かな宝物になっている。 当時から、“本(及びマンガ)は残すつもりのものしか買わない”という考え方は一貫していたと思う。 子供の頃から結構マンガを読んでいたのは間違いないことではあるが、“マンガばかり読んで…”という印象は全くない。 小学校の頃は友達と自転車で駆け回っていた気がするし、図書館も大好きだったし勉強もトップクラスだった。 つまり“マンガもたくさん読む”ということは、何のマイナスにもならなかったと断言できる。 その後、高校の頃に“青年マンガ”、大学の頃に“少女マンガ”などにシフトする時期はあったが、 現在も普通にマンガを買っている。 アニメも見ないことはないが、かなり見方は厳しい。 これは、小学校の頃の体験からきているのかもしれない。 小学校に入った頃に「鉄腕アトム」のTV放映が始まり、 数年の間にアニメは毎日のようにTVで放映されるようになったが虫プロ以外の作品はヒドイものだった。 原作と声のイメージが違うのは主観的なものだが、作画技術の稚拙さにはあきれてしまった。 有名な「巨人の星」などはその最たるもので、「子供をバカにするな!」と怒っていたものだった。 余談だが、SF特撮モノや怪獣モノも同様で、円谷プロでさえすぐに見限ることになった。 あの「マイティ・ジャック」も、夜7時代に移動して“子供だまし”が明らかになり、 それからはもう“確かめてみる”興味さえ失ってしまったものだ。 子供でもちゃんと見てたんだよなぁ。 ※漫画家別コレクションはコチラ → 「WOがキライ!」 永島慎二を読む! 大友克洋を読む! 谷口ジローを読む! いしかわじゅんを読む! 川崎ゆきおを読む! 松本大洋を読む! 村野守美を読む! 吉田秋生を読む!
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