テーマ:小説日記(233)
カテゴリ:創作
今日の苗場は晴れ渡っていた。吹いてくる風は心地よくて暑すぎることも寒すぎることもなく、最高のフェスティバル日和だった。
僕はフジロックフェスティバルの一番大きなステージであるグリーンステージの前あたりに立って次のバンドが出てくるのを待っていた。 慌ただしくステージをセットしているクルーたち。その様子を見ながら僕はそこで待っていた。 ステージの準備中もバックミュージックとして音楽が流れている。次のバンドの趣味なのかどうかはわからないけれど、どっちかというと60年代のクラシックロックが多く流されていた。僕はそれを聞きながら特に何を考えるでもなく、ぼんやりとそこで待っていた。そのとき、突然完璧な三声和音でその曲が流れた。 彼は本当にどこでもない人 どこでもない場所に座り込み 誰のためでもなく どこへも行けない計画を練っている その曲はいつも以上に僕の心に響き渡った。 僕が初めて自分のお金で買ったレコードはビートルズの『ラバーソウル』。そこに収められている素晴らしい曲の一つ。僕が初めてその曲を聴いた十四歳のときはそれくらいのことでしかなかった。だけど、今になって思う。この曲はまるでこれまでの僕の人生の主題歌みたいなものではないだろうかと。 何の見解も持ち合わせず どこへ行くかもわからない 僕や君と ちょっとだけ似ていないかな 僕は本当にどこでもない人だった。いつでも、どこにいても、そこが僕にとっての居場所であるという実感がなかった。今いる場所が僕にとって大切な場所である。そういうことを思ったことがなく、いつでもどこにいても「ここではないどこか」を夢みていた。 ここではないどこかでは僕は何者かの人間で、自分が夢みている何もかもが実現できていて僕はそこでなら本当の居場所を見つけることができる。そんな今にすると馬鹿げた空想を本気で追い求め、夢見ていた。 思い込みが激しい思春期や青年期を経て、それなりに「大人」と呼ばれる時が来てもその空想は形を変えて存在し続けていた。 この会社でないどこかで仕事をしている僕は今より輝いていて、働き甲斐のある素晴らしい毎日を充実して過ごしている。だから今いる僕は何かが間違っていて「本当の」僕はここではないどこかに存在しているべきだ。 そんな僕が現実の世界の中で初めて居場所を与えてくれたのがフジロックフェスティバルだった。 初めてフジロックが苗場で開催されたとき、そこにいた僕は本当の居場所を与えられたと感じた。正しい場所で正しいことを自分はしている。そんな肯定感に満ちた感情を僕はその場所に来た時、初めて感じた。それから僕にとって、フジロックフェスティバルの苗場は自分が帰ってくるべきホームグラウンドになった。 だから僕は僕はどんどんとフジロックの「夢」や「理想」にのめりこんでいった。 だけど。僕は今になると思う。 もしフジロックの「夢」や「理想」が大切なら、自分が大半の時間を過ごす日常生活でそれを実現させなければだめだったのだと。 僕は確かにフジロックの夢や理想にのめりこんでいた。でもそれは単なる僕の思い込みの世界だけであって、日常生活をフジロックの理想に近づけるために改善したりしようとか、よりよい日常生活を実現しようという努力を全くしなかった。 つまりはフジロックフェスティバルは僕にとっての逃げ場所でしかなかった。不毛でどうしようもない自分を忘れるための単なるパーティー。日常生活を忘れるためのお祭り騒ぎ。それを自分で自覚して、そういうものだと割り切って楽しんでいるならまだいい。それを僕は完全に勘違いしていた。フジロックはそれ以上の、現実を変えるための大きなもの。僕はそう勘違いしてしまった。 そんな勘違いはそのうち破たんする。僕の場合は10年近くの時間をかけてその矛盾が破綻した。ある時僕は気づかされてしまった。フジロック以外の僕の生活は本当にクズのようなもので、何一つ成果をあげられていないどうしようもないものだということを。 僕が17歳の時に当然得ているだろうと思っていたことも、何一つ実現できていない。何しろ結婚も、安定した職業生活も、生活していくうえで十二分の月収も、夢を実現するための手立ても、何一つ実現できていない。現実の僕は本当にどうでもいい世界にいるどうしようもない人間の一人だ。そんな事実に気づかされてしまった。 それから僕はまた「どこでもない人」に戻ってしまった。どこでもない場所でどこへも行けないプランを練っていた結果が今の僕だ。 それは誰のせいにもできない。フジロックが悪いのでもなく、時代が悪いのでもなく、多分僕自身がダメだったから起きたことだ。その事実は僕をひどくがっかりさせた。 どこでもない人よ どうか聞いておくれ 君は何を失っているのかわかっていない どこでもない人よ 世界は君の思うがままなのさ いつになく心の中に響き渡るnowhere manを聞きながら僕はそんなことを思い出していた。この曲が自分の人生の主題歌になるなんて何だか情けない話だな。例えばI Feel Fineだとか、She's a Womanとか、もっとかっこいい曲が僕の人生の主題歌になればよかったのに。 そんなことを思った時に彼女の声がした。 「久しぶり。最後に会ったの3年前だったっけ。」 お久しぶり。ここで会うことができて本当にうれしいよ。僕は言った。 彼女はフジロックの会場でしか会うことができないフジロック友達だ。僕は埼玉県に住んでいるし、彼女は福岡県に住んでいる。距離が邪魔をして僕らは頻繁に会うことができない。僕はステージに現れるアーティストともに彼女の訪れを待っていた。 僕らは三年分の話をした。自分たちの近況だとか、知り合いの消息だとか。 彼女は結婚している。 旦那さんとは時々喧嘩もするけど、それなりにうまくやっているよ。そう言って笑っていた。 あなたはどう?なんか少し前すごく荒れていたみたいだけれど、転職とかしたの? いや。転職はしなかった。この年齢になると社員になること自体が大変だし、今の僕だと多分どこへ行っても同じだよ。それだったらこの会社で与えられた仕事をそれなりにこなして踏ん張っていた方がいいんじゃないかなと思ってね。人事評価は知らないけど、最近の成績はそれなりに持ち直しているよ。一時期みたいに最下位を半年続けているみたいな最悪の状態はなくなった。真ん中から時々トップになったり。基本的に真ん中からちょっと上程度で持続するというのを目標にして毎日を過ごしているよ。 それはよかった。ずいぶん丸くなったね。彼女は笑った。 最近もまだ書いているの?賞をもらって鳴り物入りデビューとかまだ考えているの? 最近は文章を書いていないんだ。何か今まで書いた文章がすごく嫌でさ。なんて言うのだろう。すごく自分の中の毒気を感じるんだ。それが自分の文章を汚しているというのか、そんな感じ。だからしばらく書くのはやめにしている。また何か書きたくなったら書き始めるよ。たぶんそれが自分の宿命みたいなものだから。入賞とか何だとか、もうどっちでもよくなってきてね。それが起こったところで自分の何が変わるんだろう。何も変わらないよね。 あなたも年をとったのね。成長したというより年を取ったって感じ。私もそうだけどある年齢以上年を取ったら「成長」できなくなるよね。毎年、年を重ねるという感じ。だけどもう。私たちもそういう年になったんだね。 少ししんみりとした話になった時、ステージの音楽が止まり、歓声が沸き起こった。 あっ。始まった。前の方に行こう。 僕は彼女と一緒に前の方に移動した。そしてバンドの演奏が始まった。ステージ前では熱狂が始まっている。フジロックならではの盛り上がり。ここでしか感じられないような特別な空気。僕らは踊った。いつもフジロックの会場でそうしているように。ライブの時にいつもそうしているように。 このダンスが終わる前に 君にまた恋してしまいそう 君とダンスしているときが幸せなんだ キスしたり手を握ったりしたいわけじゃないんだ ちょっと可笑しいかもしれないけどわかってくれるよね 僕がしたいことは他にはないのさ 君とダンスしているときが幸せなんだ このダンスが終わるとき、僕らに何が起こるだろう。何も起こらない。僕らは今までの僕らどうしでしかないし、世界も変わることがない。 だから僕はずっと一人でダンスを続けていたいと思っていた。ダンスが終わらなければ僕は変わらない世界を嘆く必要もないし、夢を永遠に見続けることができる。 だけどダンスは終わらなければならないし、音楽も必ず終わる。 音楽が終わった朝5時のダンスフロアで僕は何を見ていたのだろう。ライブが終わったライブハウスの片隅で僕は何を夢想し続けていたのだろう。 永遠に覚めることのない至高の愛。理想が実現された完全に近い社会。権力の抑圧のない素晴らしき自由。何も欠けていることがない完璧な幸福。若いころに夢見ていた美しき自己実現。 そんなものは存在しない。今いる僕の世界の中では。 だからこそ僕は「ここではないどこか」をずっと夢想し続けていた。でも夢想はもう終わりだ。僕がいる世界は「今ここ」の世界で、「どこでもない場所」ではない。僕が生きるべき世界は「今ここ」の日常生活の中で、その中で自分の居場所なり、それなりの何かをつかみ取らなければ何の解決にもならない。 そしてパーティーも祭りも終わった。 きっとそのうち。あと十数年もしたらフジロックフェスティバルも終わってしまう。 でもその時が来ても僕は大丈夫だろう。 フジロックの夢や理想で自分の人生を粉飾するのはもうやめた。フジロックフェスティバルが終わっても僕はそれなりに生きていくのだろう。思い出に浸りたければDVDでもYouTubeでも何だってある。 僕らのお目当てにしていた曲をバンドが一番最初に演奏してくれた。僕らは歓声を上げた。周りの熱気もすでに最高潮に達している。 一曲目にあの曲をやってくれるなんて、最高だよね。僕らは高揚した気分で興奮を分かち合った。 このライブも今年のフジロックも終わるときが必ず来る。それだからこそ僕らは今のこの高揚を大切に分かち合いたいと思った。 暑すぎずもなく、さわやかな風が吹くホワイトステージ。苗場は最高のフェスティバル日和だった。そしてこの場所で、今ここで、小さくて大きな出来事がすぐそこで続いていた。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ラバー・ソウル [ ザ・ビートルズ ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.18 05:19:54
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