ken tsurezure

2015/11/29(日)06:40

自由が反転するとき 真島昌利「raw life」によせて その2

90年代前半ほど、自由が叫ばれたときはなかった。その当時フリーターは差別用語ではなくて、新しい雇用のあり方としてそれなりに市民権を持っていた。フリーター亡国論が言われるようになったのは96年ごろからだったと記憶している。 政治の世界でも「規制緩和」がよく話題に上がった。規制をなくすことはつまりそれだけ自由に動ける余地ができる。それは経済の世界でも重視されるようになった。 それに関連するように新卒採用での仕事探しでも、「自分が本当にやりたいこと」を重視すべきだという意見が非常に多かった気がする。 「自由」という言葉はマジックワードであり、その頃に尊重された価値だった。 しかしそれは何よりも重い価値だったのだろうか。あるいはその頃言われていた「自由」を僕らは額面通りに受け取るべきものだったのだろうか。 自分を縛り付けている規制が外され自由になると、自由になった分だけ選択肢が増える。選択肢が増えるということは諦めなければいけない選択肢がまた増えるということだ。それはプラスの面もあるけれど、別の大きな悩みを生み出してしまう。それはたった一つのライフコースしか選べない世の中だったら感じることもなかった種類の悩みや後悔が、また増えてしまうということだ。選択肢が増えたとしても、自分は数ある選択肢のうち、ある一つの選択肢しか生き方として選ぶことができない。そうすると、どの生き方を選んだとしても、必ずその「選択」が正しかったのか考えたり後悔したりする余地が生まれてしまう。その道を選んで何がしかのことを成し遂げた人はそれでいいが、人は大抵どの道を選んだとしてもうまくいかないときが多い。そうすると自分がその道を選んだのが失敗だったのではないかと後悔したりする。だとしても、その後悔は取り返しがつかないものだし、どの道を選んだとしてもなくなることがないものだ。 クライドが言った「ブタの自由」ではない本当の自由とはどんなものだろうか。自分の人生について何のしがらみもなく、すべてを自分で決定できる自由。自分がしたいことを規制する全てのことからの自由。自分の信条を誰かからではなく、自分で決定できる自由。それはまるで荒野の中で立っているような「自由」だ。 フリーターが社会問題となる前によく肯定的に語られた言葉に「夢追い型フリーター」というものがあった。自分にはやりたいことがあり、そのやりたいことを選択すると会社勤めが制約になるから、フリーターになる。何もやりたいことがないから普通に会社員になる。それよりも夢追い型フリーターの方がなんとなくかっこいい。そういう風潮がその頃にはあった。また会社勤めの人も、自己実現を可能にする環境を整備するためにはフリーランスに近い雇用形態の方が時代に合っている。そんな今からすると怪しげな自由をめぐる話がその頃にはまことしやかにささやかれていた。 そうした自由はたしかに「ブタの自由」より尊いかもしれない。でもその自由は誰にでも開かれているものなのだろうか。 自分の生き方全てを全て自己決定する自由。それは逆に言うと、自分が選択した人生につきまとう全ての失敗を自分でどうにかしなければならないということだ。先の文脈だと「夢追い型フリーター」を選んだら、それに付随する全ての失敗や不利益を自分で責任をもって処理をするということだ。 夢を追う生き方をした人々のうち、才能のある何パーセントかの人間は夢の実現なり成功なりを実現できるだろう。問題は残りの何十パーセントをしめる才能がそれほどなかった人々たちだ。まだ未来に少しでも可能性があり得るならまだ現実から逃げることができるかもしれない。だとしてもそんな期間はそれほど長くは続かない。夢の実現可能性は年齢を重ねていくうちにだんだん少なくなっていく。そのときに残されるのは今まで何とかやり過ごしていた現実問題だ。結婚、老後の生活、現在の貧しい生活、社会的な上昇可能性の減退、不安定な雇用…。 その時になって「ブタの自由」の方が楽に生きられたかもしれないと気がついてももう既に遅い。自分にとって邪魔でしかないと思っていた「規制」が実は自分を守るために作られていた仕組みだったことに気づく。「規制」はもし自分に才能がなかった時でも、それなりに小市民的な生活ができるための仕組みだったことに気づく。そのとき「自由」という言葉の価値はどこかに消えてしまう。 さよく的な思考は、それに影響されて人生を選択した人々が老いていき、その失敗例がだんだん増えて明らかになるにつれて、徐々に破たんしていく。 真島はファーストアルバムの収録曲「ルーレット」の中でこう歌っている。 「オレたちは似ていたよ 二人とも自由が好きだった それにつきまとう 請求書も割り勘にしてた」 そのように歌う真島は「自由」の本当の恐ろしさを実感していたのであろう。それでも真島は自由は尊い価値のあるものだと歌った。 それは若さの表れであるように思える。若いからこそ自由に耐えられるだけのパワーがあり、若いからこそ未来の可能性にかけることができる。 別に真島のことを非難したくてこの文章を書いたのではない。 僕の印象論でしかないけれど、90年代前半に比べると2015年のサブカルやロックは違ったものに見えてしまう。それはもしかしたら90年代のさよく的な考え方が、多くの失敗例に直面して破綻してしまったせいではないだろうか。そんなことを考えたくなるほど、最近のロックは特に激変してしまったように思える。 僕自身のことを言及しておこう。僕自身はもう若さを失ったし、その頃から比べるとだいぶ保守化してしまった。僕にはもう自由が最大の価値だと言い切れる確信を持ち合わせていない。 そんな僕を90年代のさよく的な思考に入り浸っていた昔の僕は嘲笑するのだろうか。あるいは保守化した僕が昔に戻って、90年代のさよく的思考の恐ろしさを力説してもその頃の僕には文字通りの「馬の耳に念仏」でしかないのだろうか。 CD-OFFSALE!【送料無料】真島昌利/RAW LIFE -Revisited- 【CD】

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