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63年前の今日、東京大空襲に遭った日です。
昭和20年3月9日22:30警戒警報発令 2機のB29が東京上空に飛来して房総沖に退去したとように見せかけ 都民が安心した。 昭和20年3月10日00:08 再飛来し第一弾が投下された。 管轄の東部軍管区司令部はそれを気付かず、空襲警報が鳴らなかったそうだ。 昭和20年3月10日00:15 空襲警報発令。 それから約二時間半にわたって波状絨毯爆撃が行われた。 各機平均6トン以上の焼夷弾を搭載した344機のB29の大群が 房総半島沖合から単機または数機に分散して低高度で東京の下町に侵入した。 隙をついて再来襲したB29の大編隊は、低空からアルミの細片をばら撒いて 日本軍の電波探知機を無能にし、機体を捉えたサーチライトには機銃掃射を 一斉に浴びせかけたそうだ。 B29の先発部隊が江東区・墨田区・台東区にまたがる40平方キロの周囲に ナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に 閉じ込めて退路を断ち、その後から約100万発(2,000トン)もの 袖手の焼夷弾を無差別に投下し、逃げ惑う一般市民には超低空のB-29から 機銃掃射が浴びせたそうだ。 たまたまこの日は風速30mの強風が吹き荒れていたそうで、火勢を一層激しいものにし あちこちで火が舞い踊り、強風に捲かれた炎が川面を舐めるように駆け抜け 直接戦争とは関係の無い一般市民は次第に狭まってくる火の壁の中を逃げまどいながら 性別も判らないような一塊の炭と化すまで焼き尽くされた。 この空襲での犠牲者 身元判明遺体数 約20,000柱 無縁仏・行方不明者 約88,000柱 約11万人の戦争とは直接的には縁の無い一般市民が、焼き尽くされた日だ。 隅田川や、荒川には熱さを凌ぎ幾千人も飛び込み、ほぼ熱湯となっていた川では プカプカと浮いてきてしまう始末だったそうだ。 そんな日が63年前に起きたのだ。 いつも思うが、同じ過ちを犯してはならないし、傲慢なアメリカに対しても 何でも戦争をすれば良いという考えを見直して欲しいと思う。 彼らの死が無駄にならないように。。。 <余談> 実は、今日が東京大空襲の日だったということをさっきニュースで思い出したんだけど 昨晩、なんだか熱くて寝苦しく、朝方4:30まで起きていたんだよね(^^ゞ これも何かの暗示だったのかな。。。 今朝は、いつもより多く線香に火を灯しました。 戦災に遭われた方々に、冥福を祈ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 10, 2008 04:00:30 PM
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