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テーマ:『功名が辻』(385)
カテゴリ:2006年ドラマ
山内一豊の妻の名は、まつ である。
。。。と言ったら、大河をご覧の方々には「千代でしょ!」と 文句を言われそうだが、実際は、どちらか解らないと言うのが真相です。 大体、歴史上の女性は名前が残っていない事がほとんどで、 多くの女性達が「~の娘」「~の母」「~の妻」「~氏」などと記録され、 正しい名前が残っている女性は希なのです。 山内一豊の妻は「見性院」と言う落飾後の法名だけが正確に記録されています。 (一説では、幼名を「まつ」、成人後を「千代」と言ったとも言われています) この夫婦に関する事は伝説の域を出ない物が多く、かの有名な信長の馬揃えのための 千代のヘソクリによる名馬購入話と言うのも史実かどうかは解りません。 また、ヘソクリの出所も「父、若宮氏から」とか「母、若宮夫人から」とか 「一豊の母が出した」など千代のヘソクリと関係なくなってしまうような話まで諸説があるようです。 今日のドラマでは「叔父、不破氏」から頂いた事になっていました。 また、この馬揃えの時期、一豊はすでに七百石の城主になっており、 馬くらい買えたのでは。。。と言う話もあります。 名馬を購入して出世したとあったら、同僚のやっかみもあろうが、 これが「いや、妻がヘソクリを出してくれて。。。」となると 「出来た奥さんだ」と言う事になり、やっかみも無くなる。 そういう一豊の処世術を表すエピソードでは。。。 と、永井路子氏は、著者の中で言っておられました。 案外、そんな所かも知れません。 そんなこんなを辿っていくと、「なんだ、一豊の妻の内助の功って嘘なんじゃん」 と言う話になってしまいそうですが、一豊の妻が書に長け、裁縫の才能もある 賢夫人であった事は事実です。 晩年、養子である忠義に、山内の事を案じ忠告するような手紙が残っているようです。 さて。。。 ドラマの千代は、ついに一豊と祝言を上げる事ができました。 この千代さんは、子供時代に両親を戦で亡くし、苦労してきたようですが、 その割に周りの人々の愛情には存分に恵まれてきたように思えます。 子供の頃は両親に、亡くなってからは、一豊の母に、不破の叔父・叔母に。 そして、この時代に珍しくお互い望んでの結婚。。。 今日は、それぞれの愛情あふれる場面に思わずホロッとした時が多かったです。 山内一豊と、その妻。 史実と言えるほどの資料があるほどメジャーではない二人ゆえに、 最初は「一年これで続くのか」と心配しましたが、メジャーではないからこそ 作れるエピソードもあるのですよね。 私は原作「功名が辻」は読んでいませんが、この二人の恋愛劇と戦国の空気を 楽しみたいと思っています。 上川さんも好きだしね♪ 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 これらは、私が大河が始まる前から読んでいた本です。 ひとりの歴史上の人物に興味を持つと関連図書を次々と読み漁るのが私の読書癖です。 永井路子氏は大好きで、著書のほとんどを愛読しています。 山内一豊の妻と戦国女性の謎 一豊の妻 歴史をさわがせた女たち(日本篇)新装版 山内一豊とその妻111の謎 ↓これは、読んでいないのです。長いので、今さら読めるかなぁ。。。 功名が辻(1)新装版 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月12日 23時00分35秒
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