見取り八段・実0段

2006/09/24(日)21:57

【功名が辻 】第三十八話

2006年ドラマ(268)

一粒種のよね姫を失ってから10年間。 我が子として育ててきた拾を、ついに手放す日が来た。 一豊と千代は拾を山内家の跡取りにしても構わないと思っていたが、 跡取り問題で家中は揺れ始めた。 血筋が途絶えると言うのが理由である。 千代は断腸の思いで、拾を仏門に入れる事を決心する。 私が寺に送られるのは、私が捨て子だからでございますか? と泣きながら問う子供に そうです。 と答える千代の辛さ。 10年も我が子として育ててきたのである。 どんなに辛かったであろう。 旅立つ子供の姿を見送る夫婦の上に初雪が舞う。 以後、山内家は、弟、康豊の血筋で繋がれていく事となる。     今日は泣いた。。。 後半。 前半の秀次切腹までは、ストーリーとして緊張感はあった物の、 大河お得意の、あり得ない場面で女が飛び込んでくる、と言う展開で すっかり冷めてしまい。。。 秀次が、最後の仕事として秀吉に唐入りの兵を引くように進言。。。あり得ない。。。 切腹直前に千代の名を。。。あり得ない。。。 で、 今日は期待していた出来じゃなかった。と思っていた所を 後半になって、山内家内での秀逸なストーリーを見せて貰った。 お拾の子役が、また良い演技で。。。 結局、このドラマ、夫婦を歴史の表舞台に変に絡ませようとすれば、 違和感だらけになり、山内家の歴史をキチッと描けば結構良い物になるんじゃん。。。 と再認識。 もっとも、山内家内の歴史だけでは1年間は保たないだろうけど。。。 来週は、前田利家@唐沢さんが出る。 どんな出番になるのやら。。。 天正15年、 一豊の妻は 妙心寺の門前で男児を拾い、拾と名付けて養育する。 10歳の時に拾は剃髪し、夫妻の娘よね姫の墓所である妙心寺本山の南化国師の弟子となる。 以降、湘南和尚と称す。 一豊夫妻との交流は、山内家を出た後、途絶えてしまったわけではなく、 晩年の夫人との交流を示す書状も数多く残されている。 後に湘南和尚は妙心寺の南隣院を開山し、紫衣の勅許を受けるほどの高僧となる。 晩年は、一豊夫妻の霊廟を守って過ごされたと伝えられている。 功名が辻 第三十七話

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