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カテゴリ:美術・芸術・博物鑑賞
きょうは、美術展を2つ‘はしご’してきました。 新年度に入り、仕事のシフトもがらりと変わって疲れ気味で、あいかわらず体調も悪く、起きたときは「行くの、やめようか・・・」とも思ったんですが、気分転換も必要だと考え直して、出かけました。 まずはじめに訪れたのは、先日の新聞に小さく紹介されていたのを偶然見て、行きたくなった展覧会です。 フランスの画家、アンドレ・ボーシャンの展示会です。 「展覧会」ではなく、「展示会」というのが‘ポイント’です。 開かれているのは美術館ではなく、画廊。 大阪・京橋近くの「ホテル・ニューオータニ」の中にある“ギャルリー・ためなが”です。 ボーシャンという画家はそれほど知名度のある画家ではないと思います。 今までどの画集を見ても見かけたことがなく、私は名前を聞いたこともありませんでした。 知ったのは、2000年の夏に滋賀県立近代美術館で行われた「冒険美術(4)」を見に行ったときに、1つだけ展示されていた絵を見てでした。 タイトルは『聖アントワーヌの誘惑』(1947)。 私はこのタイトルの絵が好きで、以前紹介したエルンストの同タイトルの作品(2005年12月15日の日記参照)は、私が全画家・全作品の中でいちばん好きな絵です。 (「アントワーヌ」はフランス語の言い方、「アントニウス」はラテン語の言い方、ちなみに英語では「アンソニー」です。) 古来から、いろいろな画家がそれぞれの視点で独自の絵を描いてきたテーマです。 現代でこのテーマで絵を描くのは、エルンスト、ダリ、デルヴォーをはじめとした、「シュールレアリスム」の画家だけだと思っていました。 それで、それまで知らなかったボーシャンという画家の『聖アントワーヌの誘惑』を見たときに、このボーシャンも有名ではないシュールレアリスムの画家だろうと思ってしまいました。 このアンドレ・ボーシャン(Andre Bauchant)は、もともと庭師で、絵を描くようになったのは44歳になってから。 しかも、絵の手ほどきを誰かに受けたわけではなく、独自の技法で書き始めたのだそうです。 このあたりの話を聞いて思い起こすのは、アンリ・ルソーやグランマ・モーゼスです。 事実、ボーシャンもジャンルとしては、彼らと同じ「素朴派」に入るということを最近知りました。 実は私は、印象派、野獣派(フォービスム)と同様、素朴派も好きではありません。 でも、印象派の中でも例外的に好きな画家もいる(・・・スーラのことです)し、また、嫌いな画家の中にも好きな作品があったりします(・・・ゴーギャンの『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』のことです)。 ボーシャンの絵は他の素朴派の絵と違って、どこか‘一生懸命’に描いた心が伝わってくるようで、感じるものがあります。 きょうは実際に画廊で展示されている40ほどの作品を丁寧に見て回りました。 まず、画廊の場所がよくわかりませんでした。 それで、ホテル・ニューオータニの入り口に立っているホテルボーイ(?)に‘おそるおそる’尋ねてみると、「ホテルの中でございます」と言って、ホテルのドアを開け、うやうやしく「こちらをまっすぐ歩いて行かれて・・・」と、恐ろしく丁寧な日本語で中に案内されました。(^-^;) 薄汚いジーンズにスニーカーを履いた格好でニューオータニに入るのは、ちょっと覚悟が要りました。(^-^;) 言われた方に歩いていくと、ホテルのホールの一角にガラス張りの画廊がありました。 「・・・ここに入るの!?」(^-^;) ・・・と一瞬たじろぎましたが、わざわざこれを見に来たわけなので、‘勇気を出して’足を一歩踏み入れ、受付の人に「見せてください」と言って、中に入りました。 当然のように、客らしき人は誰もいませんでした。 私は画廊というところに入ったのは、これで5度目になりますが、今までで最も入りにくかったところです。 今までは作品を買う覚悟で入って実際に買って出たか、店自体にそれほど入りにくい雰囲気がなかったかのどちらかだったからです。 でも、やはり一流ホテルの中にある老舗の画廊となると、‘敷居の高さ’が違いました。 ボーシャンの作品は、思ったよりずっといろいろなテーマの絵があり、宗教画、歴史画、肖像画、風景画、静物画という「絵画の5ジャンル」がすべてあるばかりでなく、ほかに一般人の日常のワンシーンを描いたものもあり、実に多岐に渡っていました。 「クレオパトラ」「バビロンの宮殿」を描いたもの、「聖母」や「妖精」「楽園」、またさまざまな町や山などの「風景」、さらに花瓶に生けた「花」などの絵がありました。 肖像画ではない絵に描かれた人物の顔はどれも表情がなく、その意味ではブリューゲルの絵の人物とどこか共通するようなものを感じました。(・・・絵はぜんぜん似ていないんですが。) 一方で、感心したのは、木々の葉です。 全体的に確かに「素朴」な絵で、遠近感も乏しく、ともすると子どもでも描けそうな絵ですが、木の枝の葉だけはかなり細かく丁寧に描かれ、立体感さえ感じられました。 ボーシャン 『ヘンダインの水辺』 また、私が今回気に入った絵は『楽園』という作品ですが、1本の木にいろいろな鳥が止まって羽を休めているのです。 その鳥の絵が、いい意味で日本の花鳥画に描かれる鳥とよく似た描きかたで、それでいてそれ以上に写実的なのです。 鳥に詳しい人が見たら、「この鳥は○○で、これは××だ」と見分けられるような細かさで描いてありました。 また、『木蓮』という作品は、タイトルが示すとおり、花瓶に生けた木蓮の花が描いてあります。 木蓮を西洋画で見たのは初めてでした。 鳥の描き方といい、木蓮が絵の題材になっていることといい、日本の花鳥画にどこか共通する要素があるのがおもしろいと思いました。 40分かけてひととおり見て、その後、簡単な図録が1000円で置いてあったので、買いました。 そして、支払いが終わって出ようとすると、年配の店員が声をかけてきました。 「どのような画家がお好きなんですか? 今回、こちらでご覧になっていかがでしたか?」 ・・・今回のこの画廊の展示会、画廊でありながら、作品に1つとして値段が書いてありません(!)。 画廊でこういう経験も私は初めてです。 そして、少しだけ自分の好みの話をしたら、「少し奥の部屋の作品もご覧になりませんか?」と言われました。 これが、展示してある作品が数十万円の版画だったら、‘奥’で話でもしたら、気の弱い私は1枚ぐらい買ってしまいそうですが(^-^;)、逆にここまで敷居の高い雰囲気だと、1000万円で買えるものさえなさそうなので、「はあ・・・」と言って、‘奥’に入りました。 「こちらが今回のボーシャンと同じ素朴派の代表のルソーの作品です。」 と言って、いすに無防備に立てかけてある1枚の小ぶりの油彩を指差しました。 そして、「ちなみに、当社で1億5000万円で販売させていただいております」と続けました。 ・・・私が1億5000万円の絵を買う可能性がある客にでも見えたんでしょうか?(^-^;) 「1億5000万円」と言えば、普通の新築マンションが4件買える値段ですよねぇ。。。 それが、いすの上に‘ポン’と置いてありました。 さらに、「あちらがユトリロの油彩でございます」。 もう‘怖い’ので、値段は聞きませんでした。 ルソーよりユトリロの方が高いのはわかっています。。。 1000円の図録を持って、私は画廊をあとにしました。 今度は、ずっと前から行われるのを知っていて楽しみにしていた「ラウル・デュフィ展」に向かいました。 心斎橋の大丸ミュージアムで行われています。 数度しか利用したことのない、大阪市営地下鉄の「長堀・鶴見緑地線」に乗ります。 これって、ほかの線と違い、ミニ地下鉄で、パリのメトロみたいな感じです。 思ったより乗客が多いのに驚きながら、心斎橋に着きました。 「大丸ミュージアム」は、梅田店のはよく訪れるのですが、心斎橋店のほうは1982年の「ダリ展」以来、たぶん2度目だと思います。 中に入って展示されている作品を見ていったのですが、油彩が少ない! おそらく4分の3以上が水彩かグワシュでした。 しかも、知っている作品が1つもない! 上のほうに書いたように、私は野獣派(フォービスム)は好きではありません。 でも、その例外がこのデュフィなんです。 特にいいのは、動く人物が含まれている風景画です。 本人の「動くものを見たときに頭により強く残るのは、輪郭ではなく色彩である」ということばのとおり、人物の輪郭とその色とがずれて描いてあります。 もう少し詳しく言うと、動かないものは輪郭と色がずれずに描いてあり、動くものは輪郭と色がずれて描いてあるのです。 知らずに見たら、「色がずれてる・・・。雑だなぁ・・・」と思ってしまいそうですが、そうではないわけです。 その描き方が、確かに「フォーブ(・・・ここでは‘野獣’というより、はっきりと‘雑’と言ったほうがいいかもしれません)」なのですが、彼独特の物の躍動感を見事に描き出していて、強く惹きつけられるのです。 また、『ヨーロッパの各首都』という絵では、ヨーロッパの首都の特徴的なモニュメントが描かれているのですが、意外に各都市でいちばん有名なものばかりを描いてはいないので、「これ、どこ?」と思う都市がたくさんありました。 こういうときは、絶対に友人と美術展を訪れた方がおもしろいんです。 絵を見ながら、「これ、パリ?」「こっちはベルリン?」「で、これはローマかなぁ・・・」と言い合いながら楽しめるんですよね・・・。 今回は1人だったので、それができませんでした。 数少ない油彩画を見たら、残りはなんと「テキスタイル」・・・。 衣装のデザインも手がけたということで、生地のデザイン(模様)が中心でした。 デュフィといえば、上に書いたような荒い輪郭と少しずれた色が魅力なのに、展示作品の後半はすべて、私のような素人が見たら「ウィリアム・モーリス」か・・・?と思うようなデザインの生地が仰々しく額に入れて展示してあるだけで、はっきり言って私は興味がありませんでした。 出口では、私としては非常に珍しく、絵葉書1枚も、図録も買いませんでした。 それでも、1時間近く中にいました。 個人的には楽しみにしていた「デュフィ展」より、偶然知って行った「ボーシャン展」の方がずっと楽しめました。 ところで、美術展は脚の疲れとの勝負です。 また、くたくたになりながら、夕方のラッシュが始まりかけた電車に乗って、帰ってきました。 ・・・やっぱり、美術展の‘はしご’は疲れます。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月16日 15時24分35秒
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