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カテゴリ:法然上人二十五霊場巡り
きょうは京都・四条河原町へ行って、「誓願寺(せいがんじ)」を参拝し、そのあと、「京都高島屋」で「山本丘人展」を見ました。 ここのところ天気予報には裏切られてばかりだったので、きょうは「雨が強くなるでしょう」という予報を聞いてもたじろがずに(笑)、あきらめモードで出かけました。 まず、「誓願寺」に行きました。 幸い雨は降っておらず、‘いいほう’に天気予報は外れていました。 「誓願寺」は「法然上人二十五霊場」の「第二十番霊場」になっています。 阪急の「河原町」駅から徒歩5分、京阪「三条」駅から10分と、とても交通の便のいい寺です。 ガイドブックや地図で調べた範囲では、繁華街の路地裏にあるように思っていたのですが、商店街のアーケードの横でした。 それも若者向けの店舗が並ぶ通りで、すぐ横にある「山門」にカメラを向けるのがためらわれました。 待つこと数分で人の流れが一瞬途切れました。(^-^;) 門の外から「本堂」がすぐ見え、さらに開け放たれた「本堂」の奥の阿弥陀如来座像まで、商店街のアーケード下から見通せました。 ・・・すごい立地だなぁ。。。 境内に入るとすぐ左手に手水舎があり、数歩で「本堂」に上がる階段です。 これほど「本堂」に上がりやすい寺もなかなかないと思います。 この寺は明治時代のはじめに町の整備のために7割以上の土地を没収され、「本堂」も何度も火災に遭い、現在の本堂は(言ってしまえば味気ない)‘鉄筋コンクリート’の建物で、昭和39年(1964年)に建てられたものだそうです。 面している通りの「新京極」という地名は、平安時代に寺町を「東京極」と言っていたのに対して、明治の初めに言うようになったということです。 ■法然上人二十五霊場・第二十番 (山号なし)「誓願寺」 本尊:阿弥陀如来 宗派:浄土宗西山深草派 開祖:天智帝勅願 創建:天智帝の御宇(660年) 御詠歌:極楽は はるけきほどと 聞きしかど つとめて至る ところなりけり 荷物を隅に置いて、念珠を取り出して、祭壇の前に立ちました。 畳の部屋なのですが、賽銭箱が大きすぎて(笑)、座ると本尊像が見えなくなってしまうと思ったからです。 脇にいろいろなチラシが置いてあったので、いくつか手に取りました。 この寺のパンフレットもありました。 左を向くと、仕切られた小部屋があり、そこに女の人がいました。 それまで私は気が付いていませんでした。(^-^;) 目が合ったので、パンフレットを取るのを一旦やめ、「納経帖」を取り出して、「朱印」を書いてもらいました。 (「本堂」内の写真は許可を得て撮影しました。・・・というか、自由なようです。) この寺は「新西国三十三所」の「第十五番札所」にもなっていて、祭壇の向かって右奥にその本尊の「十一面観音立像」がありました。 反対側(祭壇の左側)には、3体の座像がありました。 この寺は「浄土宗西山深草派」の総本山だということですが、中央にはその教えの基となる西山上人(法然上人の弟子)の像がありました。 「本堂」を出ようとして、「山門」から見て左側に「鐘堂」がありましたが、コンクリートの土台の上に立っていて、隣の家が丸見でした。 (ということで、画像はありません。(笑)) 反対側には「扇塚」があり、また、見えにくいですが、石碑には「円光大師二十五霊場第二十番」と書いてありました。 この寺の縁起がもととなった『誓願寺』という能の曲があるのは初めて知りました。 大変狭い境内で、見るところもない感じですが、気軽に「本堂」に上がれて、立派な「阿弥陀如来座像」の前に立てる、開かれたお寺という印象でした。 「法然上人二十五霊場納経帖」も売っていました。 このあとは、歩いて数分の「高島屋」京都店に行って、「山本丘人展」を見ました。 雨は傘を差そうかどうしようかという、ぱらぱらとした程度の降りかたでした。 どうやら天気予報は‘また’外れたようです。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年03月10日 01時51分07秒
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