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カテゴリ:美術・芸術・博物鑑賞
きょうは日帰りで倉敷と笠岡の展覧会を見て来ました。 おとといは名古屋、きのうは京都と続いていて、やや疲れ気味です。。。 まず、「倉敷市立美術館」へ行って、所蔵作品の企画展「ちいさなちいさな遙邨展」を見ました。 池田遙邨の作品は去年の2月に「姫路市立美術館」で見ています。 ちょうどこのあと行く「笠岡市立竹喬美術館」の小野竹喬と同じで、池田遙邨は特に好きな画家であるわけでも、お気に入りの作品があるわけでもありませんが、著名な画家の作品のコレクションを所蔵している美術館の作品をまとめて見るにはいい機会だと思いました。 今は、展覧会の規模も小さく、作品も大きいものは少ない展覧会ということで、「ちいさなちいさな遙邨展」という展覧会名にしているのだと思います。 ついでに、入館料(200円)も‘小さくて’助かります。(笑) 作品はいくつかのコーナーに分けてあり、その中で年代順に展示してありました。 まず、「富士山いろいろ」から。 池田遙邨の絵は、若い頃はいかにも日本画という感じですが、それがだんだんとタッチが荒々しくなり、最後にはメルヘンチックな感じになります。 堂本印象とは異なりますが、画風が大きく変わるという点では共通する部分があります。 富士の描きかたも、普通に富士山をとらえたものから、夜の姿や木々に間から見たもの、さらには、湖に映った姿だけという作品になっていました。 また、作品によってメインの色があるといった感じで、赤っぽい作品や青っぽい作品がありました。 奥田元宋のように1つの色遣いに特徴があるのではなく、小野竹喬のように作品によって感じさせる色があるというのも、2人に共通の特徴のように感じました。 続いて、「潮騒が聞こえる」。 実際の海辺の風景のほかに、“心象風景”らしい作品がありました。 池田遙邨はどうも灯台が好きだったようで、展示されている作品のうち10点に灯台が描かれていました。 灯台はメインに描かれていたり、海辺の風景のごく一部だったりと様々ですが、「灯台がないと、‘抜けた’ような絵になるな」と感じました。 海の絵は、横山大観と違って、太陽ではなく月との組み合わせがメインでした。 その月も満月ではなく、三日月や半月といった、太陽には見られない形を用いたあたりに特徴があるのかもしれません。 次は、「自然の中へ」。 「遙邨の特徴の1つとして、風景の中に描かれた生物たちが挙げられます」ということで、一種の自画像のような側面を持っていたようです。 小品ながら梟(ふくろう)を描いたものが目立ちました。 日本画版梅原龍三郎のような感じの作品もありました。 下絵だけでしたが、「今年の干支は龍!」のコーナーには今年の干支の龍を描いたものがありました。 これは伝統的な描きかただったと思います。 最後は「春・夏・秋・冬」。 若いときの作品、『木蓮』はやはり日本画らしい落ち着いた画風で、腕の確かさを感じさせました。 『花火』という「油彩キャンバス」の作品が1点ありました。 桜や菜の花をモティーフにしたものは色がきれいでした。 『のどか』 他には、珍しく麦畑を描いたものもあり、どの作品も画面一面に広がる感じが、小ぶりの作品を大きく感じさせる力を持っているように思いました。 展示は大きい1部屋だけということで、45分で見終わりました。 それでも、思ったよりは時間がかかりました。 池田遙邨はまだ一部の作品を除いて、一目見て「これは遙邨の作品だ」と判別できるまでには至っていません。。。 もう少し慣れが必要な感じです。 このあとは、笠岡に移動しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年03月29日 12時38分52秒
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