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法然上人二十五霊場巡り

2011年08月29日
XML
 
きょうは「法然上人二十五霊場」の「第十八番霊場」の「月輪寺(つきのわでら)」を参拝しました。
「法然上人二十五霊場」の寺巡りも去年(2010年)の8月に総本山の「知恩院」をお参りして以来、ご無沙汰しまっていて、1年以上ぶりになりました。
しかも、きょう、お参りした「月輪寺」は2009年の9月に1度行っています。
 
知り合いで「法然上人二十五霊場」巡りをしている人がいて、その人が「登山道のようなところを登って行かなければいけない『月輪寺』は不安だから、いっしょに行ってほしい」と言ったので、こんなことでもないと行く気にはなれない寺だと思って、同行することにしました。
 
昼前に阪急「西院」駅の近くで待ち合わせをして、食事をしてから寺に向かいました。
 
(・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。)






最終更新日  2011年09月25日 00時05分33秒
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2010年08月04日
 
(【1】の続きです。)
 
「御影堂」の西には、「霊塔」と「阿弥陀堂」が並んで建っています。
「霊塔」には入れません。
 
 
知恩院「霊塔」_2010_8_4.jpg
 
 
「霊塔」の右側が「阿弥陀堂」です。
 
 
知恩院「阿弥陀堂」(1)_2010_8_4
 
 
「阿弥陀堂」には上がることができて、立派な阿弥陀如来座像が安置されていました。
 
 
知恩院「阿弥陀堂」(2)_2010_8_4
 
 
裏手になだらかな石段があって、少し登ったところに「大鐘楼」があります。
非常に立派な鐘でした。
 
 
知恩院「大鐘楼」_2010_8_4
 
 
「経蔵」を右手に見ながら「御影堂」との間を奥に進むと、石段が見えてきます。
奥に法然上人の御廟があります。
 
中心となる建物は「勢至堂」です。
 
 
知恩院「勢至堂」_2010_8_4
 
 
いちばん奥に「御廟」がありますが、手前までしか行けません。
 
 
知恩院「御廟」_2010_8_4
 
 
このあとは境内に戻り、もう1つの庭園である「山亭」に行きました。
 
入るとすぐに池がありました。
 
 
知恩院「山亭池」_2010_8_4
 
 
「七不思議」のうちの4つはこの庭園内にある「大方丈」と「小方丈」の中にあるのですが、今は長期間にわたる改修工事中で中に入ることができません。
 
「大方丈」から「小方丈」に続く庭には、石が配してあって、「二十五菩薩の庭」というそうです。
この寺が所有している国宝の「阿弥陀如来二十五菩薩来迎図」を基にして、石が阿弥陀如来と二十五菩薩を、植え込みが来迎雲を表しているということですが、奥行きが狭く、うまく全体が見渡せませんでした。
どれが阿弥陀如来で、どれが菩薩でしょうか。。。
 
 
知恩院「二十五菩薩の庭」_2010_8_4
 
 
「小方丈」の先には「権現堂」がありました。
 
 
知恩院「権現堂」(1)_2010_8_4
 
 
中は、中央に徳川家康の肖像と位牌が安置されていました。
 
 
知恩院「権現堂」(2)_2010_8_4
 
 
庭園を出て、これで一通り境内を回ったことになります。
 
来年(2011年)は「法然上人800年大遠忌(だいおんき)」ということで、寺では募金を募っていました。
私は募金をする代わりに(?)、『いま報恩のとき~知恩院平成大修理記録~』のDVDのセットを申し込みました。
8枚組で42000円もするし、全巻揃うのは平成24年という悠長な感じがしないでもないのですが、帰りに「寺務所」に寄って金を払いました。
第5巻までは出ているので、それらは持って帰りました。
 
また、売店で売っていたいろいろな書籍類や『雅楽と三尊禮』のCDなども買いました。
さらに、浄土宗の寺をお参りするときに、専用の「朱印帖」がほしいと思っていたのですが、「三門」の金押しがある「朱印帖」があったので、それらをまとめて購入しました。
(「知恩院」の中でちょうど5万円使ってしまいました。。。)
来週は「浄土宗七大本山」の1つである、久留米市(福岡県)の「善導寺」に行く予定なので、そこから使い始めたいと思います。
「知恩院」の朱印は、「七大本山」のお参りがすべて終わったあとで、「総本山」結願の印として、改めてお参りしたいと考えています。
 
「寺務所」の先には「北門」があって、そこから出ました。
青もみじがとてもきれいでした。
 
 
知恩院「北門」_2010_8_4
 
 
境内を出て、道路から「黒門」に回りましたが、改修工事のために完全に覆われていて、その姿を見ることはできませんでした。
 
その前に「七不思議」の1つである「瓜生石(うりゅうせき)」があるのですが、道路の真ん中にあるのです。
交通量が多くないので、道路の真ん中に立って写真を撮りました。
「知恩院」ができる前からあったと言われている大きな石で、昔、この石から一夜にして瓜が生えてきて青々と実を付けたという伝説からこの名前が付けられたそうです。
 
 
知恩院「瓜生石」_2010_8_4
 
 
きょうは見込みを大幅に超える3時間を「知恩院」で過ごしました。
‘灼熱’の暑さと言っていいほどの日でしたが、無事にお参りできてよかったと思います。






最終更新日  2010年08月05日 10時38分40秒
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きょうは京都の「知恩院」をお参りして来ました。
 
「知恩院」は浄土宗総本山で、「法然上人二十五霊場」の「第二十五番霊場」になっています。
「西国三十三所」の霊場のような考えかただと、最後の番号になっているところは“満願”の寺として最後に行くものかもしれませんが、私の場合はまだ8か寺残した段階で先にお参りしました。
 
東大路通から「知恩院」に至る道は2本あり、私は南側の「新門」を通って行きました。
数分歩くと、右手に「和順会館」が見え、その先に「三門」(国宝)が聳えるように立っていました。
 
 
知恩院「三門」_2010_8_4
 
 
この「三門」から入ると、境内に至る石段は「男坂」で、右手の道から入ると、「女坂」が続いています。
私は念珠を取り出して、「三門」の前で手を併せて、「男坂」を登るつもりでくぐりました。
 
境内は無料で開放されていますが、庭園が2つあり、これらは有料(400円と300円)です。
共通券だと500円なので、それを買うべく、門を入ったすぐ右手にある拝観受付に行きました。
そして、そのまま「友禅苑」に入りました。
 
入ってすぐ池(「補陀落池」)があり、その中央に観音像がありました。
高村光雲作だそうです。
ほとりには赤いサルスベリがきれいに咲いていました。
 
 
知恩院「観音像」_2010_8_4
 
 
その右手には、枯山水の庭園「鹿野苑」があります。
 
 
知恩院「枯山水」_2010_8_4
 
 
池の左奥には、茶室の「華麓庵」がありました。
 
 
知恩院「華麓庵」_2010_8_4
 
 
また池の前まで戻り、左側の奥に進むと、「白壽庵」があります。
(いずれの茶室も入れません。というか、近くに行くこともできません。)
 
 
知恩院「白壽庵」_2010_8_4
 
 
この庭園はこれだけで、大して広くはありませんでした。
 
庭園を出て、いよいよ境内に行くために、すぐ横手の石段を登りました。
(掃除のおじさんが‘カメラ目線’でこちらを気にしていました。(笑))
 
 
知恩院「女坂」_2010_8_4
 
 
石段を登りきると、左手に「せいし丸像」の‘後ろ姿’が見えました。
表に回ると、その前に登ってきたのとは別の急な石段がありました。。。
こちらが「男坂」で、私はうっかり「女坂」を登って来てしまったのです。。。
 
 
知恩院「せいし丸像」_2010_8_4
 
 
先には開けたところがあり、本殿である「御影堂(大殿)」(国宝)がありました。
「納経所」は「せいし丸像」のすぐ近くでしたが、朱印は本殿にお参りしてから頂くものなので、まず「御影堂」に上がりました。
 
 
知恩院「御影堂」_2010_8_4
 
 
残念ながら、内部は撮影禁止だったので画像はありませんが、正面の祭壇には本尊像は見当たりませんでした。
御影が祀られているから「御影堂」なのですが、どこにあったのでしょう。。。
 
 ■法然上人二十五霊場・第二十五番 総本山・華頂山「知恩院」
 
 本尊:円光大師
 宗派:浄土宗
 開祖:法然上人
 創建:承安5年(1175年)
 御詠歌:草も木も 枯れたる野辺に ただひとり 松のみ残る 弥陀の本願
 
祭壇の向かって右手には、まだ新しい「旅立ちの勢至丸さま」の像がありました。
「誕生寺」で見たものとよく似ていました。
 
左側には阿弥陀如来らしき小ぶりの立像がありました。
 
「御影堂」の外廊下の右側の天井には、「知恩院の七不思議」と言われているうちの1つの「忘れ傘」があります。
骨だけになった和傘で、魔除けのためとも、昔近くに住んでいた白狐が置いて行ったとも言われているそうです。
 
 
知恩院「忘れ傘」_2010_8_4
 
 
「御影堂」の外廊下をそのまま裏に回ると、「集会所」に通じる渡り廊下があり、その廊下を歩くときにきしむ音が鶯の鳴き声に聞こえるということで、「鶯張りの廊下」と呼ばれていて、これも「七不思議」の1つです。
侵入者を防ぐために無理に音が立つように作ってあるのだそうです。
人がいないのをいいことに、何度も歩いて音を確かめてみましたが(笑)、激しくきしむことは確かですが、私の耳には鶯の鳴き声には聞こえませんでした。(^-^;)
 
 
知恩院「鶯張りの廊下」_2010_8_4
 
 
「御影堂」の向かいには「宝佛殿」がありますが、中には入れませんでした。
覗くことはできて、中央に阿弥陀如来立像、左右脇には新しいためか彩色が鮮やかな四天王像が立っていました。
 
 
知恩院「宝佛殿」_2010_8_4
 
 
これでようやく「御影堂」を出て、「せいし丸像」の近くまで戻って、「納経所」で朱印を書いてもらいました。
 
 
知恩院_朱印_2010_8_4
 
 
このあとは、残りの堂宇を見て回りました。
 
(【2】に続く。)






最終更新日  2010年08月05日 20時32分49秒
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2010年03月05日
きょうは香川県高松市をうろうろ(?)してきました。
 
やや‘強行軍’的なスケジュールでしたが、最初に「法然寺」へ行ってお参りをし、そのあと、「高松市美術館」へ行きました。
 
「法然寺」は名前が示すとおり法然上人ゆかりの寺で、「法然上人二十五霊場」の「第二番霊場」です。
 
まず、琴平電鉄で「高松築港」駅から「仏生山(ぶっしょうざん)」駅まで行きました。
そこから徒歩17分程度で「法然寺」の前あたりに着きました。
 
この寺、うわさどおり、どこから入るのかがわかりにくいのです。
要は、道路の脇の土の道から分け入るのですが、普通は看板の1枚でも立っていると思うのですが・・・。
 
墓地のようなところに入るとすぐに、現在建築中の「五重塔」の足場が視界に入ります。
その隣が「仁王門」なので、そこを目指してじぐざぐに進みました。
 
残念ながら、工事関係の車が「仁王門」の前に入口を塞ぐように並んで止まっていたので、「仁王門」の正面からの写真が撮れませんでした。
 
 
香川法然寺「仁王門」_2010_3_5
 
 
私はこの寺の配置は珍しいと思いました。
各堂宇がほぼ横一列に並んでいて、それぞれの正面にこれも一列に別の門がありました。
 
実は、帰ったあとで境内の案内図を見て、「総門」と「黒門」が別にあったことを知りました。。。(^-^;)
「仁王門」の反対側にあった小さい門が「黒門」で、「十王堂」を経て、その先に「総門」があるようです。
(・・・電車の駅から歩いて行くと、「総門」がいちばん遠くにあることになります。)
 
 ■法然上人二十五霊場・第二番 仏生山「法然寺」
 
 本尊:阿弥陀如来
 宗派:浄土宗
 開祖:法然上人
 創建:寛文8年(1668年)
 御詠歌:おぼつかな たれか言ひけん 小松とは 雲をささふる たかまつの枝
 
この寺は、法然上人が75歳のときに四国に流されて住んでいた生福寺の遺跡で、それを松平頼重(徳川家康の孫)が復興したものです。
 
「仁王門」の向かって右側に、2つの門が並んで建っています。
 
「涅槃堂門」(「涅槃堂」は「三仏堂」の別名)です。
奥に「三仏堂門」(「涅槃堂」)があります。
 
 
香川法然寺「涅槃堂門」_2010_3_5
 
 
その隣に「本堂門」がありました。
奥に「本堂」があります。
 
 
香川法然寺「本堂門」_2010_3_5
 
 
実際には、「三仏堂」の裏の通路から境内に入り、「三仏堂」をぐるっと回って「三仏堂門」を中から外に出る形でくぐり、一旦「仁王門」を見てから、「本堂門」の前に進む格好になりました。
 
ここで一礼して、「本堂」の前に進みました。
 
 
香川法然寺「本堂」_2010_3_5
 
 
本来ならまず「本堂」のお参りをすべきなのですが、右手に「参拝受付」があって、どうも落ち着かないので、先に「朱印」を書いてもらうことにしました。
 
受付は「本堂」から直角に「書院」が続いていて、その手前にあります。
 
中に入っても誰もいないので、ベルを鳴らしました。
しばらくして女の人が出て来たので、「朱印」を頼み、また、有料の「三仏堂(涅槃堂)」の拝観料(350円)を併せて払いました。
このとき、「お接待」としてたん切り飴をくれました。
また、ガリ版刷りの寺のパンフレットも渡されました。
 
 
香川法然寺_朱印_2010_3_5
 
 
「書院」と「本堂」と、さらにその先にある「納骨堂」までは無料ですが、渡り廊下で続いている最後の「三仏堂」だけは有料です。
そして、「三仏堂」だけは撮影禁止でした。
でも、「書院」から入って「本堂」まで行くのは、少し気が引けると思います。
350円払って、‘堂々と’「三仏堂」まで行ったほうが気が楽なような気がします。(笑)
 
一旦外に出て、「書院」から入り直しました。
「書院」の正面です。
 
 
香川法然寺「書院」_2010_3_5
 
 
靴を脱いで上がって、障子が閉めてある部屋があるので、‘恐る恐る’障子を開けました。
祭壇にはセメントのような感じの白さの仏像が3体並んでいました。
そして、それが見るまでもなく‘骨仏’であることがわかりました。
 
 
香川法然寺「書院骨仏」_2010_3_5
 
 
骨仏は天王寺の「一心寺」で見たことがあります。
でも、「一心寺」ではお堂の外からしか見られないので、間近で見る‘人の骨を砕いて作った仏像’が近くにあり、そして、その空間に私しかいないのがちょっと不気味でした。(^-^;)
 
次の角の部屋は「宝物庫」でしたが、昔の瓦や巻物がわずかに展示されているだけでした。
 
小さい日本庭園を格子のすき間から見て、渡り廊下を歩いて、「本堂」に入りました。
 
広々としたお堂で、中央には立派な祭壇がありました。
 
 
香川法然寺「本尊」_2010_3_5
 
 
祭壇の向かって左側には「法然上人座像」と「親鸞聖人座像」が並んでいました。
 
 
香川法然寺「法然上人像」_2010_3_5.jpg
 
 
また、祭壇の右側には「善導大師座像」がありました。
(画像が小さくなってしまいました。)
 
 
香川法然寺「善導大師像」_2010_3_5
 
 
「本堂」を出て、さらに奥へ進むと、「納骨堂」があります。
ここは扉を開けて、軽く驚きました。
骨仏が3体安置されていたのですが、実際の人と同じ大きさで、手の届くところにあったのです。
それと、香とは少し違う、嗅いだ記憶のないにおいが漂っていました。
ここでも私1人でした。
 
これは「阿弥陀如来座像」です。
 
 
香川法然寺「納骨堂骨仏」_2010_3_5
 
 
「納骨堂」の次が最後の堂宇で「三仏堂(涅槃堂)」です。
ここは撮影禁止だったので、内部の画像はありません。
 
中央に部屋が1つあるのですが、周りは廊下になっていて、四隅には四天王像が、また、その間には歴代の住職の座像が並んでいました。
 
中央の部屋には、祭壇と言っていいのか、正面に涅槃像が横たわり、その周りにおびただしい数の羅漢と動物の像が並んでいました。
後方には阿弥陀座像が3体、前には如意輪観音かと思われる仏像が同じく3体ありました。
羅漢は10体あり、脇の動物は犬、豚、猿、山羊、うさぎ、鳩、雉、蛇など、種も様々でした。
左右の奥には天像や神像、右側には阿修羅座像と何かの菩薩像、さらに、天井の右上には来迎の様子までが彫刻で表わされていました。
この様子はぜひ写真に撮りたいと思うほどの異質な空間でした。
 
部屋に入ることはできたので、正面に座り、しばらくどこを見るともなく見入っていました。
  
このあとは、通って来た通路を通って「書院」まで戻り、外に出ました。
 
この時点で12時半近くになっていたので、評判の「讃岐うどん屋」に入りました。
メニューも結構豊富にありましたが、私は「海鮮天うどん」を注文しました。
 
出てきたのは、えびの天ぷら2尾に、大きいホタテ貝とイカの天ぷらが載った立派なうどんで、それが580円という良心的な価格でした。
 
うどん屋を出て、今度は「仁王門」からまっすぐ進んでいくことにしました。
この通路はずっと「男坂」と呼ばれる結構険しい石段になっています。
 
まず、「二尊堂」に着きます。
中に「阿弥陀如来像」と「釈迦如来像」が安置されていました。
 
 
香川法然寺「二尊堂」_2010_3_5
 
 
続いて、「鐘楼門」をくぐります。
 
 
香川法然寺「鐘楼門」_2010_3_5
 
 
最後に「来迎堂」に着きます。
 
 
香川法然寺「来迎堂」(1)_2010_3_5
 
 
「来迎堂」の中は薄暗くてほとんど見えませんでしたが、宇治の「平等院鳳凰堂」のように、衆生来迎の様子が再現されているようでした。
格子の目のすき間から、かろうじて中央の阿弥陀三尊かと思われる像だけが撮れました。
 
 
香川法然寺「来迎堂」(2)_2010_3_5 
 
 
このあとは石段を下りて、「仁王門」まで戻りました。
 
思ったより広い境内で、これで「総門」のほうには行っていませんが、うどんを食べた時間を含めて、ちょうど2時間境内にいたことになります。
 
入って来たときと同じ通路をたどって(・・・墓地の中を通るのでわかりにくい)、琴平電鉄の駅のほうに向かって歩き出しました。
 
このあとは、「高松市美術館」に行きました。






最終更新日  2017年07月18日 02時03分11秒
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2010年03月04日
 
きょうは京都・四条河原町へ行って、「誓願寺(せいがんじ)」を参拝し、そのあと、「京都高島屋」で「山本丘人展」を見ました。
 
ここのところ天気予報には裏切られてばかりだったので、きょうは「雨が強くなるでしょう」という予報を聞いてもたじろがずに(笑)、あきらめモードで出かけました。
 
まず、「誓願寺」に行きました。
幸い雨は降っておらず、‘いいほう’に天気予報は外れていました。
 
「誓願寺」は「法然上人二十五霊場」の「第二十番霊場」になっています。
阪急の「河原町」駅から徒歩5分、京阪「三条」駅から10分と、とても交通の便のいい寺です。
 
ガイドブックや地図で調べた範囲では、繁華街の路地裏にあるように思っていたのですが、商店街のアーケードの横でした。
それも若者向けの店舗が並ぶ通りで、すぐ横にある「山門」にカメラを向けるのがためらわれました。
待つこと数分で人の流れが一瞬途切れました。(^-^;)
 
 
誓願寺(1)_2010_3_4
 
 
門の外から「本堂」がすぐ見え、さらに開け放たれた「本堂」の奥の阿弥陀如来座像まで、商店街のアーケード下から見通せました。
・・・すごい立地だなぁ。。。
 
境内に入るとすぐ左手に手水舎があり、数歩で「本堂」に上がる階段です。 
これほど「本堂」に上がりやすい寺もなかなかないと思います。
 
この寺は明治時代のはじめに町の整備のために7割以上の土地を没収され、「本堂」も何度も火災に遭い、現在の本堂は(言ってしまえば味気ない)‘鉄筋コンクリート’の建物で、昭和39年(1964年)に建てられたものだそうです。
面している通りの「新京極」という地名は、平安時代に寺町を「東京極」と言っていたのに対して、明治の初めに言うようになったということです。
 
 ■法然上人二十五霊場・第二十番 (山号なし)「誓願寺」
 
 本尊:阿弥陀如来
 宗派:浄土宗西山深草派
 開祖:天智帝勅願
 創建:天智帝の御宇(660年)
 御詠歌:極楽は はるけきほどと 聞きしかど つとめて至る ところなりけり
 
荷物を隅に置いて、念珠を取り出して、祭壇の前に立ちました。
畳の部屋なのですが、賽銭箱が大きすぎて(笑)、座ると本尊像が見えなくなってしまうと思ったからです。
 
 
誓願寺(2)_2010_3_4
 
 
脇にいろいろなチラシが置いてあったので、いくつか手に取りました。
この寺のパンフレットもありました。
 
左を向くと、仕切られた小部屋があり、そこに女の人がいました。
それまで私は気が付いていませんでした。(^-^;)
 
目が合ったので、パンフレットを取るのを一旦やめ、「納経帖」を取り出して、「朱印」を書いてもらいました。
(「本堂」内の写真は許可を得て撮影しました。・・・というか、自由なようです。)
 
 
誓願寺_朱印_2010_3_4
 
 
この寺は「新西国三十三所」の「第十五番札所」にもなっていて、祭壇の向かって右奥にその本尊の「十一面観音立像」がありました。
 
 
誓願寺(3)_2010_3_4
 
 
反対側(祭壇の左側)には、3体の座像がありました。
この寺は「浄土宗西山深草派」の総本山だということですが、中央にはその教えの基となる西山上人(法然上人の弟子)の像がありました。
 
 
誓願寺(4)_2010_3_4
 
 
「本堂」を出ようとして、「山門」から見て左側に「鐘堂」がありましたが、コンクリートの土台の上に立っていて、隣の家が丸見でした。
(ということで、画像はありません。(笑))
 
反対側には「扇塚」があり、また、見えにくいですが、石碑には「円光大師二十五霊場第二十番」と書いてありました。
 
 
誓願寺(5)_2010_3_4
 
 
この寺の縁起がもととなった『誓願寺』という能の曲があるのは初めて知りました。 
 
大変狭い境内で、見るところもない感じですが、気軽に「本堂」に上がれて、立派な「阿弥陀如来座像」の前に立てる、開かれたお寺という印象でした。
 
「法然上人二十五霊場納経帖」も売っていました。
 
このあとは、歩いて数分の「高島屋」京都店に行って、「山本丘人展」を見ました。
雨は傘を差そうかどうしようかという、ぱらぱらとした程度の降りかたでした。
どうやら天気予報は‘また’外れたようです。(笑)






最終更新日  2010年03月10日 01時51分07秒
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2010年03月01日
 
きょうは岡山県津山市の「誕生寺」を参拝して来ました。
「法然上人二十五霊場」の「第一番」札所で、名前のとおり、法然上人が生まれた地の寺です。
 
JRに「誕生寺」という駅があるほど地元では有名な寺のようですが、私は去年まで知りませんでした。(^-^;)
 
「誕生寺」駅は津山線の途中(?)にあります。
「岡山」駅からだと普通ディーゼル・カーで約60分、「津山」駅からだと約20分です。
私は行きは姫路から姫新線を乗り継いで、「津山」駅から下りました。
 
天気予報では、「きょうは夜から雨で、気温は4月上旬並みまで上がるでしょう」と言っていたのですが、「佐用(さよ)」駅(・・・兵庫県の西端)を超えてしばらくすると、雨が降り始めました。。。
岡山は雨が少ないことで有名で、「晴れの国」と呼ばれています。(^-^;)
・・・またも寺参りの日に、天気予報を‘外して’、雨を降らせてしまった。。。
 
「誕生寺」駅は無人駅で、運転手に切符を見せてディーゼル・カーを降りました。
 
寺までは、‘方向さえ間違えなければ’、単純な道で歩いて12分程度で着きます。
駅に「寺まで徒歩10分」と書いてありましたが、ちょっときついです。
普通はこういうときは、多めに書くと思うんですが。(笑)
 
寺と反対の側にしか改札がなく、駅のすぐ南に踏切があるので渡りたくなるのですが、‘罠にはまって’はいけません。(笑)
北側へ線路沿いに進み、広い道路と合流しそうになる手前で、ガードをくぐります。
ガードをくぐると、突き当たりに寺の山門らしきものが見えました。
 
途中に「南無阿弥陀仏」と書いてある、大きいモニュメントのようなものが目に入りました。
 
(以下、執筆中です。しばらくお待ちください。m( _ _ )m )






最終更新日  2010年03月01日 22時49分39秒
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2010年02月21日
 
きょうは、奈良県北葛城郡の「當麻寺(たいまでら)」の「奥院(おくのいん)」をお参りして来ました。
 
「當麻寺」は、近鉄の最寄り駅が「当麻寺」と表記されるためか、一般には「当麻寺」と書かれますが、寺のウェブ・サイトで「この表記は誤りだ」と明言してあるので、「當麻寺」と書くことにします。
 
まず、近鉄で「当麻寺」駅まで行きました。
そこからほぼ一直線の道を12分歩くと、「當麻寺」の「山門」に着きます。
  
ここで先に書いてしまいますが、この寺は立派なウェブ・サイトを持っているのですが、いくら調べてもわからないことがありました。
「入山料」と「奥院」についてです。
「奥院」は「當麻寺」のサイトからリンクされていない別のサイトがあって、「どうお参りしたらいいのか」、「参拝にいくらかかるのか」、「どこが開放されているのか」が、よくわかりませんでした。
結果から言うと、「當麻寺・本院」と「當麻寺・奥院」は一般の参拝者からすると‘別物’という感じで、「奥院」が「本院」と変わらないぐらい広く、「奥院」は「本院」とは別に拝観料(入山料)が必要でした。
「本院」の境内だけなら自由に歩けますが、お堂に入ったり、庭園を拝観したりするには、金を払わなければいけません。
(・・・写経に2000円も取る寺って、ほかにあるだろうか。。。)
すべてを見ていたら、2000円ぐらいかかります。
(・・・3つのお堂に入って、写経の部屋で写経して、天井の絵を眺めて、庭園を見たら、合計で3000円です。これで「奥院」は別です。)
 
いちばんわからなかったのは、「奥院」と「奥の院」が別だったことです。
「奥の院」は「大師堂」と言って、のど仏を収めるお堂で、見学するようなところではありません。
「奥院」は、「奥院」の独立した「本堂」があって、こちらはまとめて300円が必要です。
ただ、『法然上人二十五霊場納経帖』持参で朱印を受ければ、100円引きになるということで、朱印代300円と拝観料300円の合計で500円になりました。
 
(・・・以下、執筆中です。しばらくお待ちください。。。m( _ _ )m)






最終更新日  2010年02月21日 23時20分14秒
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2010年02月20日
 
きょうは伊勢市の「欣浄寺(ごんじょうじ)」と津市の「三重県立美術館」に行きました。
最近ときどきあるパターンで、1つが寺参拝、1つは美術展鑑賞という‘お出かけ’です。(^-^;)
 
「欣浄寺」は、「法然上人二十五霊場」の「第九番霊場」になっているため、その参拝に行きました。
最寄り駅はJRか近鉄の「伊勢市」です。
両社の駅は並んでいます。
私は近鉄で行きました。
 
寺は線路の西側にあり、近鉄の改札は東側にしかないので、改札を出て、北へ線路沿いに歩き、最初の踏切を渡って反対側に行きました。
そこから北へはアーケードのある商店街があり、そこを通って行ったのですが、土曜日の昼にもかかわらず、ほとんどの店のシャッターが閉まっていて、閑散としていました。
途中の道を右に曲がって、再び線路沿いに歩くと、寺が見えました。
この寺は門がなく、石柱のみが立っていました。
 
 
欣浄寺(1)_2010_2_20
 
 
境内も「本堂」以外には寺の建物のない、想像以上に小さい寺でした。
 
「本堂」です。
 
 
欣浄寺(2)_2010_2_20
 
 
こういう寺は寺の人が住んでいる建物をさがして、その玄関のインタホンを押さなければ、「本堂」のお参りもできないし、朱印も書いてもらえません。
「本堂」の右手にそれらしき部分があったので、インタホンを押しました。
 
女の人の声がして、参拝に来た旨を告げると、中に上げてもらえました。
祭壇のすぐ横で朱印を書くようになっていて、「どうぞお参りしてください。その間に御朱印を書いておきますので」と言われたので、今回はその通りにしました。
「今回は」というのは、いつもは私は書くのを見て待ってから、のんびりと祭壇のほうに行くからです。
でも、あまりの空間の狭さに、書くところを私が見つめていて緊張させてはいけないと思ったので(笑)、「はい」と言って、念珠をかばんから取り出して、祭壇の前に行きました。
 
 ■法然上人二十五霊場・第九番 厭離(えんり)山「欣浄寺」
 
 本尊:阿弥陀如来
 宗派:浄土宗
 開祖:拈蓮社易誉上人
 創建:天文9年(1540年)
 御詠歌:和らぐる 神の光の 影みちて 秋にかはらぬ 短夜(みじかよ)の月
 
僧源信の『往生要集』には、地獄の様子を表した「厭離穢土(おんりえど)」と極楽の様子を表した「欣求浄土(ごんぐじょうど)」の章があり、後者を略して「欣浄」といい、「極楽に往生すること」を意味しているのだそうです。
これが寺の名前の由来になっています。
 
本尊の「阿弥陀如来座像」です。
 
 
欣浄寺(3)_2010_2_20.jpg
 
 
浄土宗の仏壇の標準の配置で、阿弥陀如来像の向かって左側に「法然上人座像」がありました。
他の寺で見る像の顔とは違うように感じました。
 
 
欣浄寺(4)_2010_2_20.jpg
 
 
右側には「日の丸御名号沸」と書かれた軸がかかっていて、壁には刺繍の「悲母観音像」がありました。
悲母観音は寺で見かけることはほとんどありません。
 
のんびりと祭壇を眺めているうちに、朱印が書き上がりました。
 
 
欣浄寺_朱印_2010_2_20
 
 
今年(2010年)の夏に、「大倉集古館」で「欣求浄土」という展覧会があるので、できれば見に行きたいと思っています。
 
近鉄「伊勢市」駅に戻って、今度は「津」駅まで行き、「三重県立美術館」に行きました。






最終更新日  2010年04月23日 00時21分04秒
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2010年02月14日
 
続いて、近鉄で「桃山御陵前」駅に行きました。
すぐ近くには京阪の「伏見桃山」駅もあるので、どちらの電車の利用しても、「法然上人二十五霊場」の「第十五番札所」である「源空寺」は訪れやすいと思います。
 
驚いたのは、「桃山御陵前」駅から「伏見桃山」駅の横の踏切を渡ると、立派なアーケードのある商店街があって、そこを途中まで通って行ったところに寺があることです。
 
商店街の途中で北に曲がると、「源空寺」はすぐに見つかりました。
 
ここも大変小さい寺でした。
でも、「山門」はちゃんとありました。
 
 
伏見源空寺(1)_2010_2_14
 
 
この門は普通の仁王門とは違って、向かって右に「愛染明王像」、左は「朝日大黒天像」が安置されていました。
 
この寺の前に案内板があって、以下のように書いてありました。
 
寺伝によれば、1195年(建久6年)天台宗のお寺『光堂寺』として忍空上人が炭山(宇治市)に創建されました。その後、忍空上人は法然上人の弟子となって、お寺もろとも浄土宗に宗旨替えをし、法然上人のお名前『法然房源空』を頂戴し、『源空寺』となりました。1595年~1615年の間(慶長年間)に徳川2代将軍家忠公、3代将軍家光公によって、当地に移されました。
本堂にお祀りしている「法然上人お姿座像」は、忍空上人が法然上人にお願いして作っていただいた「張子大師」です。2階建の山門の階下両脇には、石仏六体地蔵、愛染明王像、朝日大黒天皇をお祀りしています。
朝日大黒天像は、豊臣秀吉の持念仏で、もともと伏見城の巽櫓にあったものを、一時京町大黒町に預けられた後、この寺に移されました。

 
 ■法然上人二十五霊場・第十五番 宝海山「源空寺」
 
 本尊:法然上人
 宗派:浄土宗
 開祖:法然上人
 創建:慶長17年(1612年)
 御詠歌:一声(ひとこえ)も 南無阿弥陀仏と 言ふ人の はちすの上に 上らぬはなし
 
 
「本堂」です。
 
 
伏見源空寺(2)_2010_2_14
 
 
この寺もインタホンを押して、中に上げてもらうパターンでした。
 
私としては初めて住職と会うことができました。
 
「ゆっくりとお参りしてください。撮影していただいてもいいですよ」とのことだったので、まず、念珠を取り出して本尊の前で手を合わせ、その後、本尊にカメラを向けました。
 
祭壇です。
 
 
伏見源空寺(3)_2010_2_14
 
 
本尊「法然上人座像」のアップです。
和紙で作られた63歳のときの姿で、珍しいものだそうです。
 
 
伏見源空寺(4)_2010_2_14
 
 
寺の人の‘監視’があるのは、ある意味、むしろ気が楽です。
していることを見られていて声を掛けられないということは、それはしてはいけないことではないということがはっきりするからです。
 
後ろから声を掛けられつつ、祭壇の中まで入り、法然上人像を間近で見ることができました。
ほこりが積もっても取り除きにくいのが難点だと言っていました。
 
その後、「朱印帖」を取り出し、朱印を書いてもらいました。
住職に直接会えたのは初めてで、さらに、朱印まで書いてもらえたのはわずかに感激でした。
 
 
伏見源空寺_朱印_2010_2_14
 
 
ただ、ことばを交わしながら書いたのがいけなかったのか、よく見ると、中央の印が上下逆になっています。。。_| ̄|○
・・・やっぱり朱印を書いてもらっている間は、話しかけてはいけまねんね。。。
 
この寺も本堂以外に見るところはないので、20分ちょっとで出ました。
 
きょう訪れた寺は2つとも大変小ぢんまりとしていましたが、しっかり本尊と対面することができてよかったと思います。






最終更新日  2010年04月23日 00時52分42秒
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きょうは奈良県橿原市の「法然寺」と、京都市伏見の「源空寺」にお参りに行きました。
どちらも「法然上人二十五霊場」に含まれていて、それぞれ「十番」と「十五番」に指定されています。
 
「源空寺」は非常に便利なところにありますが、「法然寺」は少し不便なところにあります。
近鉄の、線路が東西に走っている「耳成(みみなし)」駅から真南か、南北に走っている「畝傍(うねび)御陵前」駅からほぼ真東に歩くかのどちらかですが、どちらも30分弱かかります。
最近、すっかり‘歩き慣れ’している私は(^-^;)、これぐらいは‘近い’と思うようになりました。
ということで、「耳成」駅からてくてくと歩いて行きました。
 
進む方向の左前に「香具山」が見えてきました。
 
 
橿原法然寺(1)_2010_2_14
 
 
駅の西側の道をひたすらまっすぐ南に進み、突き当たったところが寺なので、‘さすが’の私も迷いませんでした。(笑)
寺の入り口は南側なので、突き当たった反対側に回りました。
駅から25分で着きました。
 
「山門」です。
 
 
橿原法然寺(2)_2010_2_14
 
 
入ってすぐ右手には「鐘楼」がありました。
建物の向きと鐘を突く棒の位置関係って、こんなふうでしたっけ?
 
 
橿原法然寺(3)_2010_2_14
 
 
境内は狭く、主な建物は「本堂」だけでした。
 
 
橿原法然寺(4)_2010_2_14
 
 
脇にある入口のチャイムを押すと、返事があり、人が出て来ました。
 
「西国三十三所」の寺では、公開されているところが決まっていて、ほぼ‘道順’のようなものがあり、それに従って進んでいくだけです。
「本堂」の中に入れる寺は限られていて、常時「本尊」が拝めるところは数か寺しかありません。
 
「法然上人二十五霊場」の寺は、小さいところは「本堂」に上がれて、「本尊」像を前にして手を合わせることができます。
このあたりが「西国三十三所」の寺と「法然上人二十五霊場」の寺の大きい違いの1つだと思います。
 
 ■法然上人二十五霊場・第十番 香具山「法然寺」
 
 本尊:阿弥陀如来
 宗派:浄土宗
 開祖:法然上人
 創建:元久2年(1205年)
 御詠歌:極楽へ つとめて早く 出でたたば 身の終わりには 参りつきなん
 
朱印を書く机の前に座り、「朱印帖」を出しました。
高砂の「十輪寺」や尼崎の「如来院」と同じように「どうぞ本尊をお参りして来てください。その間に書いておきますから」と言われましたが、ここでも私は「急ぎませんので、待っています」と返事しました。
書く人は見られて緊張するかもしれないので、こういうときは離れたほうがいいのでしょうか・・・。
 
見つめていては緊張するだろうと思って(笑)、机の脇に目をやると、「浄土宗カレンダー」が積んであるのが目に入りました。
手を伸ばして、ぱらぱらと見ていました。
そうこうするうちに朱印が書き上がり、念珠を手に、両手を合わせてから受け取りました。
すると、「よかったら、カレンダーをどうぞ。檀家さんに配ったものの余りなんですけど」と言われたので、お礼を言って1部頂きました。
表紙には法然上人の肖像のイラスト(彫刻画)、中には‘ありがたい’ことばが月毎に書かれていました。
・・・ことばの意味はよくわかりません。。。(^-^;)
 
 
橿原法然寺_朱印_2010_2_14
 
 
内陣の前に座って、本尊をよく見てから、静かに目を閉じ、手を合わせました。
 
厨子(?)の中には「阿弥陀如来立像」が見えました。
両脇に2回りほど小さい観音像(「勢至菩薩立像」と「観音菩薩立像」)がありました。
 
 
橿原法然寺(5)_2010_2_14
 
 
内陣の向かって左側には「法然上人坐像」、右側には「善導大師坐像」と「地蔵菩薩立像」がありました。
 
法然上人が63歳のときの姿だそうです。
 
 
橿原法然寺(6)_2010_2_14
 
 
反対側の「善導大師像」です。
 
 
橿原法然寺(7)_2010_2_14
 
 
応対してくれた女の人は非常に感じのいい人で、私が像の確認をすると、1つ1つ丁寧に答えてくれました。
 
小さい寺なので、これで参拝が終わってしまいました。
いつものことながら、私は1つの寺でだいたい1時間を見込んで予定を立てて行くので、どうしようかと思いました。
 
‘そんなとき’のために考えておいた(・・・「A型」発揮(笑))、地図で近くに見つけていた「藤原京跡」に行こうと考えて、「近くに『藤原京跡』があるようですが、何か建っているんですか?」と聞いてみました。
すると、「何もありませんよ。ただの空き地です」。。。(^-^;)
 
「それよりここの隣に見えている『香具山』のほうがまだ神社ぐらいは建っているので・・・」と言われました。
往復30分ちょっとらしいのですが、地図を持っていません。
詳細な地図があっても迷うのに(^-^;)、地図がない道を歩くのは不可能です。
 
それで、お礼だけ言って、寺を出て、予定どおり「藤原京跡」に行ってみることにしました。
 
駅から来た道を半分ほど戻り、途中の道を西へ10分ほど歩くと、‘空き地’が広がっていました。
北東の角に小さい案内が立っていて、そこが「藤原京跡」でした。
 
少し西へ行くと、そこが東西の中心でした。
真南を見ると、こんな感じです。
 
 
藤原宮跡(1)_2010_2_14
 
 
中に入っていくと、近所の家族連れや子どもたちが遊んでいました。
 
 
藤原宮跡(2)_2010_2_14
 
 
「耳成」駅に戻る途中で「得得」(うどん屋チェーン)を見つけました。
ちょうど昼時だったので、うどんを食べることにしました。
私は「得得」は初めてだったのですが、うどんは‘何玉’でも値段は同じなんですね。
私は2玉にしました。
 
駅まで5分ほど歩いて、隣の「大和八木」駅で乗り換えて、「桃山御陵前」まで急行で行きました。






最終更新日  2013年02月02日 19時53分40秒
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