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外国語・語学

2007年06月25日
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カテゴリ:外国語・語学
 
タイトルの“Ce n'est pas mes oignons!”、別に私が怒っているわけではありません。(^-^;)
フランス語で「そんなこと、私の知ったことではない!」(英語の“It's non of my business!”)という意味の表現(?)です。
直訳では「それは私のたまねぎではない!」ですね。
 
外国語を習っていて、部分部分の意味や文法がわからなくても「全体で『○○』という意味だ」と言われると、あまり深く考えずに‘丸暗記’してしまうことが多いと思います。
でも、この表現、文法的に見ると、ちょっとおかしいのです。
 
「oignon」が「たまねぎ」で、「oignons」はその複数形、その前の「mes」は複数形の名詞を受ける「私の」という意味の単語です。
文頭の「Ce n'est pas」は「C'est」(「これは~だ」)の否定形、つまり、単数形の名詞を指して「これは~ではない」という意味になっています。
複数形の名詞を指して「これらは~ではない」というときは、「Ce ne sont pas」というのが‘本来’正しいはずです。
 
でも、この表現では、英語で直訳して書けば、「This is not my onions!」となっていて、動詞の数と名詞の数が一致していないのです。
 
まあ、「表現だから」ということで、‘丸暗記’がいいのかもしれません。
 
また、例えば、同じものが複数あって、それが何かわからないとき、英語では“What are these?”と言いますが、フランス語では“Qu'est-ce que ce sont?”とは言わずに、“Qu'est-ce que c'est?”と言います。
つまり、単数のものを指して「これは何?」と聞くのと同じ形です。
 
‘せっかく’複数形があるのだから、どちらの場合も複数形を使えばいいのに・・・(笑)、と思うのですが、こういうことは外国人が口を出すことではありませんね。
 
そもそも、英語でも「There is」と言ってしまえば、そのあとには単数形の名詞しか続けられませんが、口語では「There's」という短縮形のあとには複数形の名詞を続けて用いることはよくあるようだし、フランス語でも同様に、口語では「C'est」のあとに複数形の名詞を置くことも別に珍しいことではないようです。
 
試しに、Googleで“C'est des problemes.”を検索ワードに入れて検索にかけてみると「837件」、“Ce sont des problemes.”は「44500件」のヒットと、‘正しい’方が圧倒的ですが、冠詞を定冠詞に変えて、“C'est les problemes.”で検索すると「83900件」引っかかるのに対し、“Ce sont les problemes.”は「23500件」しか引っかかりません。(笑)
※「probleme(s)」の‘e’にはちゃんと「アクサン・グラーヴ」を付けて検索しました。
(ちなみに、“There's problems.”は「42100件」、“There are problems.”は「126万件」ヒットしました。)
 
言うまでもなく、どこの国の言語でも、口語では書き言葉に比べると、文法はずっといい加減になるということですね。






最終更新日  2007年06月25日 22時26分44秒
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2007年01月16日
カテゴリ:外国語・語学
 
ずいぶんとひさしぶりに‘語学ネタ’です。(^-^;)
昨年(2005年)5月1日以来、8か月半ぶりになってしまいました。。。 

先日、職場で年配の人に、少し改まって「ちょっと教えてほしいことがあるんですが・・・」と切り出されました。
こちらも構えてしまいました。
 
何かと聞けば、「どうしても、あるところで『接近』の反対の意味のことばを漢字2字で表示したいんですが、適当な単語が思い当たらないんです」ということでした。
 
職場では、私は「ことば関係には詳しい」と思われている節があります。(^-^;)
 
しばらく考えてみたのですが思い当たるものがないし、その人自身も辞書を当たってみたのだが「これだ!」というのが載っていなかったということでした。
 
「やっぱり日本語にはないんですかねぇ・・・」ということになったのですが、そこで話をそらして、「まあ、‘A’という言語にある単語が必ずしも‘B’という言語にあるわけではないし、あるとしても、‘A’という言語におけるほど用いられるとは限りませんからねぇ・・・」とコメントしておきました。
 
それを聞いて、「例えば?」と言われたので、「典型的なのは、日本語には英語の『old』に相当する形容詞がありませんよねぇ」と言いました。
すると、「『年上』じゃダメなんですか?」と言うので、「それは2人の人を比較するときにしか使いませんよね? そもそも単語としては、『若い』の反対ではなくて、『年下』の反対語ですよね」と続けました。
 
「ほかには、フランス語には『安い』という形容詞の単語がないんですよ。日本語だと、『高い』『安い』、英語だと、『expensive』『cheap』とありますよね? フランス語には『高い』を意味する『cher』しかないんですよ」
「じゃあ、『安い』って、どう表現するんですか?」
「ちょうど日本語の『年上』と同じような感じで、名詞で『bon marché』=『いい買い物』というんです」
「なるほど・・・」
「また、英語の『deep』の反対の単語はご存じですか?」
「『浅い』ですよね・・・。そう言えば、知りませんね・・・。ないんですか?」
「いえ、あることはあるんですよ。ただほとんど使われないようなんです。一応、『shallow』というんですが」
「聞いたことがないですねぇ・・・」
「ええ。一般に『浅い』っていうのは、『little deep』のような言い方をするらしいんです。現に、フランス語には『浅い』という単語自体がないんです」
 
・・・といった感じで、話が盛り上がりました。
 
‘完全な体系を持った言語’などないということが、こんな小さなことからもわかるような気がします。
 






最終更新日  2007年01月21日 14時28分50秒
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2006年05月01日
カテゴリ:外国語・語学
 
少し硬い言い方ですが、「注意を払う」と言いますよね。
普通「払う」という動詞は、「金」のことについてしか使わないはずなのに、「注意」という抽象的な名詞とともに使われています。
 
さらに、「敬意を払う」「努力を払う」といった言い方もあります。
これらも、「金」には一切関係のないことばが「払う」という動詞と結びついて使われています。
 
これは一体なぜでしょうか?
 
話は変わって、最近聞かなくなってきたかもしれませんが、電気製品の洗濯機や冷蔵庫を「白物(シロモノ)」、テレビやステレオを「黒物(クロモノ)」という言い方があります。
これも、どうして「白物」「黒物」と言うんでしょうか?
 
これは、スペイン語の「perro caliente」という単語と同じことだと考えられれば、瞬間的に理由がわかります。
 
スペイン語は、「修飾する語が修飾される語の後ろに置かれる」というルールを知っておいて、「perro」が「犬」、「caliente」が「熱い」だとわかれば、おのずから答えがわかるでしょう。
 
普通、ある単語が外国語から入ってくる場合は、同じ文字体系の言語同士ならそのままの綴りで、文字体系の異なる言語同士なら発音を生かして、取り入れられるのが一般です。
これが一般の「外来語」です。
今日の日本語のカタカナことばの多さを目にすれば、一目瞭然です。(=発音を利用して取り入れている。)
 
ところが、まれに単語レベルで訳し、それをつなげて元の単語の意味をあらわすようにすることがあります。
言うまでもなく、上のスペイン語の例は「熱い犬」となって、これではナンセンスですが、それぞれの単語を英語に置き換えてみると、「hot dog」となるわけです。
つまり、英語の「hot dog」をそのままの綴りで取り入れるのではなく、単語ごとに訳して意味を全体として取り入れたわけです。
 
つまり、一番初めの‘謎’は、実は外来語だったということです。
英語で、それぞれ「pay attention」「pay hohor」「pay efforts」というので、「attention」「honor」「efforts」の部分だけは完全な日本語に訳して、「pay」は新しい訳語を作ることなく、もとの「払う」のままとし、それらをくっつけたものです。
 
「白物」「黒物」も、アメリカで最初に「white goods」「black goods」と言っていたものを、単語ごとに日本語に置き換えてできたことばです。 
こういうことばの取り入れ方を「翻訳借用」というそうです。 
 
ちなみに、フランス語では「hot dog」は文字のまま取り入れ、発音はフランス語式に「オート・ドーグ」と言っているようですが、水泳の「バタフライ」は英語で「蝶」という意味なので、(「batterfly」という外来語ではなく、)この翻訳借用で「papillon(蝶)」と言っています。
  
ただの「借用語」=「外来語」は最近多すぎてうんざりですが、「翻訳借用」の方はむしろもっとあってもおもしろいかもしれないと思ったりします。
 






最終更新日  2006年05月23日 00時52分42秒
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2006年04月21日
カテゴリ:外国語・語学
 
ひさしぶりに語学ネタを・・・。
 
今までここにときどき日本語とフランス語の表現の細かさの違いについて書いてきましたが、それはすべてフランス語のほうが細かい言い分けをする場合でした。
今回はその逆です。
 
「私はテレビを見る」という文(意味)に対して、「私はテレビを見ている」というのをどう言えばいいか、考えてみます。
英語では「現在進行形」という形があって、「‘be’+動詞の現在分詞」がそれであるのは有名ですね。
 
フランス語にも、当然、英語の「be」に相当する「etre」という動詞があるし、動詞の「現在分詞」の形もあります。
フランス語の場合、動詞の現在分詞は、基本的(・・・ごく大雑把)には「活用語尾を取って‘-ant’をつけたもの」になります。
従って、「見る」の場合は、不定形「regarder」から「-er」を取って「-ant」をつければいいので、「regardant」となるわけです。
 
それを英語の現在進行形のような文の組み立て方をして、
 
・Je suis regardant la television.

というかというと、‘絶対に’言わないのです。(「suis(←‘etre’)」は英語の「am(←‘be’)」、「la」は「定冠詞」です。)
 
では、どう言えばいい(どう言う)かと言うと、
 
・Je regarde la television.

です。これは言うまでもなく、単に「私はテレビを見る」という、いわゆる普通の現在形です。
 
つまり、フランス語は、「今、~ている」という‘専用’の表現(文型)がないのです。
(英語の「I watch television.」と「I am watching television.」の区別がありません。)
だから、「雨が降る」と「雨が降っている」の言い分けもしません(できません)。
 
これを知ると、「フランス語はなんと不便な、いい加減な言語だろう・・・」と思ったりもします。
でも、フランス人はそれでまったく困っているわけではありません。
現に、今までいくつか書いてきたフランス語での‘細かい’言い分けは日本語では一切しないのに、日本人はそれで困ることはありません。
それどころか、おそらく誰かに「こんな違いがある」と言われないと、違いがあることにさえ気が付いていないと思います。
 
でも、ちょっとフランス語を知っている人なら、「どうしても言い分けたいのなら、できるでしょう?」と言うでしょう。
つまり、「etre en train de」という表現が「~ている」という意味を表すので、
 
・Je suis en train de regarder la television.

と言えば、「私はテレビを見ている」という意味になるはずだと考えるわけです。
確かに、それはそれで正しいのですが、
 
・I am watching television.
・Je suis en train de regarder la television.

は、「意味」のほか「用法」までがまったく同じだとは言えません。
日本語で考えると、フランス語の文のほうは「私はテレビを見ているところだ」とほぼ同じと考えられます。
 
一般に、母国語の細かい言い分けの違いは、ネイティブ・スピーカーには説明できないばかりか、認識さえされていないのが普通です。
「私はテレビを見ている」と「私はテレビを見ているところだ」の違いは何か?と聞かれて、普通の日本人は即座には答えられないのではないでしょうか。
 
単に「~ている」というのは、とにかく「動作が進行中である」ことを単に事実として述べているだけで、言外にそれ以上の含みはありません。
一方、「~ているところだ」は、まず事実としてその動作が進行中であることのほかに、言外に何か含みがある場合に使われます。
 
例えば、家族の誰かに何か用事を頼まれたときに、いつも楽しみにしている番組を見ていて、「その番組を見終わったあとなら用事を引き受けてもいいけれども、今は嫌だ」というときに、「今、テレビを見ているから、あとでやるよ」と言うこともできるし、「今、テレビを見ているところだから」とだけ言えば、それを聞いたほうは「今はやりたくないんだな」ということがわかります。
 
フランス語の場合も同様で、英語の「‘be’+現在分詞」のつもりでいつもいつも「etre en train de」を使うと、不自然だし、「この人はほかに何が言いたいのだろうか?」と思われかねません。
 
つまり、英語の「‘be’+現在分詞」や日本語の「~ている」は単に文法的な形であるのに対し、フランス語の「etre en train de」は単なる‘表現’というのか‘熟語’であるということです。
従って、やはりフランス語には、「~ている」を表す文法的な形はないと考えるべきです。
 
例えば、英語の「I watch」に対して「I am watching」という言い方があり、さらに「I watched」に対して「I was watching」、「I will watch」に対して「I will be watching」という言い方ができます。
つまり、それぞれの左側が単純な「時制」を表しているのに過ぎないのに対して、それぞれ右側はその時制で「~ている」という動作の進行を表していることになります。

さらに、「I watched」「I have watched」を比べてみると、「I watched」は単に過去の事実を述べているのに過ぎませんが、「I have watched」は、まず「見た」という事実を表し、言外に「その結果、今、・・・」ということを含んでいます。
例えば、「その番組は見たけど、内容は忘れてしまった」場合は「I watched」ですが、「その番組は見たことがあるから、内容はわかっている」場合は「I have watched」になります。
 
この点においては、フランス語は区別がありません。
どちらも「avoir+過去分詞」という「複合過去形」で表します。
 
こう考えてくると、こういったことを文法的にいちばん細かく表現する言語は英語だと言えそうです。
 
英語では、このほかに、「I have watched」に対して「I had watched」と「I will have watched」という形もあります。
 
「I watch」(現在)を基準として、「I am watching」(現在進行)、「I have watched」(現在完了)は、「現在」で共通していて、これらの区別を「アスペクト(相)」、また一方で「I watch」(現在)を基準として、「I watched」(過去)、「I will watch」(未来)の区別を「時制(テンス)」と言っています。
つまり、3つの時制に対してそれぞれ3つのアスペクトがあることになり、最大で「9つ」の動詞の文法的な形があることになります。
 
これらのうち、フランス語は「進行」のアスペクトがなく、日本語は「未来」のテンスと、考え方によっては「完了」のアスペクトもありません。
つまり、最大で9つの形のうち、英語は9つ全部あり、フランス語は6つ(・・・諸説あります)、日本語は厳密に考えるとわずか4つしかないことになります。 
  






最終更新日  2006年04月22日 00時31分51秒
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2006年02月24日
カテゴリ:外国語・語学
 
ある外国語を学び始めてそこそこすると必ず出てくるのが「数詞」ですね。
 
この数詞、日本語は細かい発音の変化を除けば、極めて単純で整然としています。
 
まず、「1~10」を個別に覚えたら、「99」までは言えます。
「11」は「10・1」、「12」は「10・2」・・・、「20」は「2・10」、「30」は「3・10」・・・、「23」は「2・10・3」、「57」は「5・10・7」ですから、簡単な‘足し算’と‘掛け算’の組み合わせでできています。
 
これが英語になると、多少複雑になります。
日本語と違って、「11」から「19」までが独立した単語です。
さらに、「20」「30」・・・も独立した単語です。
でも、それらを覚えたら、それほど複雑でもなく、ますまず日本語と似た言い方だと言えると思います。
 
ところが、ドイツ語になると、少し新鮮です。
「19(neunzehn)」までは英語と同じように独立した単語です。
また、「20(zwanzig)」「30(dreissig)」・・・も同様です。
ところが、「21(ein-und-zwanzig)」「32(zwei-und-dreissig)」という場合は、「1と20」「2と30」という言い方になります。
(注:綴りで書くときは「einundzwanzig」「zweiunddreissig」のように続けて書きます。「-(ハイフン)」は書きません。)
日本語とは数字の順番が逆になるわけです。
それでも、「99(neun-und-neunzig)」までは別に‘変’だと感じることはないと思います。
 
これがフランス語になると、‘ユニーク’なんですよねぇ。

まず、独立しているのは、「16」まで。
「17(dix-sept)」「18(dix-huit)」「19(dix-neuf)」は、「10・7」「10・8」「10・9」。
そして、「20(vingt)」「30(trente)」「40(quarante)」「50(cinquante)」「60(soixante)」は英語やドイツ語と同様、独立した単語です。
おもしろいのはそのあとの「70」「80」「90」です。
「70(soixante-dix)」は「60・10」、「80(quatre-vingts)」は「4・20」、「90(quatre-vingt-dix)」にいたっては「4・20・10」です。
(しかも、よく見ると、「80」のときは「vingt」に「s」がありますが、「90」のときは「s」がありません。また、「と」の意味の「et」が必要な場合と不要な場合があります。)
さらに、「71(soixante et onze)」は「60と11」、「81(quatre-vingt-un)」は「4・20・1」、「97(quatre-vingt-dix-sept)」などは「4・20・10・7」になります。
・・・足し算と掛け算が‘めまぐるしく’入り混じってます。(笑)
 
数年前に、『シッフル(数字)なんてこわくない!』(駿河台出版社)という、「数詞専門の問題集」が出たぐらいなので、フランス語の数字は大変なことは大変だと思います。
 
 
フランス語のシッフル(数字)なんてこわくない!  『シッフル(数字)なんてこわくない!』(駿河台出版社)

 
これで思い出すのが、‘例の’石原東京都知事の発言です。

「フランス語は数を勘定できないことばだから国際語として失格しているのも、むべなるかなという気がする」というせりふです。

実は、ちょうどきょう買った、『ふらんす』(白水社)という雑誌の3月号にこの話が取り上げられています。
その記事にはさらに、石原氏が別のときに、電話番号を押すときを例に挙げて、
 
「局番が91というときに、(フランス語で‘91’は‘4・20・11’というので)‘4’を押しちゃったら、もうだめなんだよ。(中略)つまり、全部聞かないと。こんなことばはやっぱりあかん」と言ったらしいのです。
 
この記事を書いているのは明治大学のフランス語の先生なのですが、続けて、「英語で『ナイン...』と聞いて、‘9’を押せますか」と書いてあって笑えます。
英語で「19」は「nineteen」だし、ドイツ語でも「neunzehn」ですから、聞こえた数字をすぐに押せる言語はこの場合、日本語だけなんじゃないでしょうか。
(・・・まあ、この意味では中国語や韓国語といったアジアのことばは‘おもしろく’ありません。。。)
確かに、「91」なのに「4」を押す可能性のある言語は、フランス語ぐらいなのかもしれませんけど。。。(笑)
 
P.S.上に書いた雑誌『ふらんす』(白水社、2006年3月号)には、石原都知事の発言についてのほか、私がこのブログに何度か書いた「接続法」のことがまた違った内容で書いてあったり、私が楽天ブックスで購入して短く‘書評’を書いておいた(^-^;)『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)の書評にまる1ページさいてあるなど、なかなか興味ある記事がありました。
 さらに、最新のフランス映画として、東京で来月公開される『変態村(原題:“Calvaire”)』が取り上げられており、「おお、見たい!」と思うようなサスペンスだったりして、楽しめました。
 
パリの女は産んでいる  『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)
 
 






最終更新日  2006年02月24日 21時56分01秒
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2006年02月06日
カテゴリ:外国語・語学
 
1月26日の続きです。
12月9日の書き始めからほぼ2か月かかってしまいましたが、フランス語(とスペイン語とドイツ語)の「接続法」「条件法」の話は、とりあえずこれで終わりです。
 
12月9日に書いた「もし、今、天気がよければ・・・」の場合も、2種類の意味が考えられると書きました。
 
・(4) Si hece buen tiempo, yo salgo.
・(5) Si hiciera buen tiempo, yo saldria.
 
このスペイン語の文は、(4)が1月26日のドイツ語の(1)と、(5)が(3)と一致しています。
(スペイン語では主語は省略できる場合は省略するのが一般的です。)

この文で、前半の「天気がいい」の部分が「実際は天気がよくないのだけれども、もし、今、天気がよかったら」という「現実に反する仮定」である場合、フランス語はそこに「直説法・半過去形」、スペイン語は「接続法・過去形」が使われています。「接続法」という名称だけを見ると、ドイツ語とスペイン語が一致していて、フランス語だけが外れています。
また、後半の「出かける(んだけど・・・)」の部分は、スペイン語では「直説法・過去未来形」と呼ばれる形が使われています。
「過去未来???」と思うかもしれませんが、実はこれ、フランス語の「条件法・現在形」と同じものなのです。
 
例えば、
 
・(6)Je pensais que Paul viendrait ici.
 
というフランス語の文は、「私はポールはここに来るだろうと思っていた」という意味です。
(「pensais」は「penser(思う)」の「直説法・半過去形」、「que」は英語の「that」、「viendrait」は「venir(来る)」という動詞の活用した形、「ici」は「ここに」)

問題は、「ポールがいつここへ来る(来た)か」です。
「私が『ポールがここに来るだろう』と思った時間」と「(実際に)ポールがここに来る時間」と「現在」の位置関係を考えてみると、今書いた順に並んでいることになります。
つまり、「ポールが来る」のは、「私が思っていた」時点では未来のことである一方で、「現在」から見たらもう過去のことになっているわけです。
ここで現れている「viendrait」という形は、「条件法・現在形」なのですが、この文の意味するところにおいては、まったく「現実に反する仮定」の意味は入っていません。
このような「過去における未来(ただし、現在から見たら、既に過去)」を表すのにフランス語では「条件法・現在形」を‘流用’するのです。その意味ではフランス語でも、この形を「過去未来形」と呼べることになります。
 
結局、フランス語の「条件法・現在形」とスペイン語の「直説法・過去未来形」は、名称が異なるだけで、用法は同じということです。
「現実に反する仮定」を述べる場合、主節に用いるのは(言語によって名称は異なるものの)「条件法」だということで一致します。
 
古典ギリシャ語を見れば、「希求法」という法があり、「願望」や「仮定・仮想」などを表すのに用いられていました。
フランス語のもとになった言語(「祖語」といいます)であるラテン語には「条件法」がなく、現在のフランス語で「条件法」によって表していることは、ラテン語ではほとんど「接続法」で表していました。
つまり、ラテン語の「接続法」が、現在のフランス語の「接続法」と「条件法」に分かれたのです。
古典ギリシャ語の「希求法」は、現在のフランス語やスペイン語などの「接続法」とよく似ていて、一部の用法は「条件法」と重なります。
 
・・・最後のほうはずいぶん難しい話になってしまいました。。。
 






最終更新日  2006年02月06日 20時19分10秒
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2006年01月26日
カテゴリ:外国語・語学
 
12月9日に、「『もし、今、天気がよければ・・・』の2つの意味」という話をして、そこでは、その2つの意味をフランス語では言い分けるのだということを書きました。
そして、最後に、「12月2日に書いたスペイン語の先生とドイツ語の先生にそれぞれの言語でどう言うか、聞いてあります。(中略)‘そのうち’書くつもりですので・・・。」と書いたのですが、ようやくその続きです。(^-^;)
 
・・・ということで、ちょっと間が空きましたが、12月2日と12月9日に「約束」しておいた、ドイツ語とスペイン語の「法」の話の続きです。
 
フランス語とスペイン語は、「語族」ばかりか「語派」も同じなので文法が極めて似ているのは当然だと言えます。
フランス語とドイツ語は、「語族」は同じですが「語派」は異なるので、‘ある程度’は似ているはずです。
この2者の差が、この「接続法」の用法に出ているのかもしれません。(これは個人的な想像です。)
 
「私はフランス語が話せる友人をさがしている」の「話せる」の意味が2種類あるということを12月1日に書きました。
そして、その違いをフランス語とスペイン語では、動詞の「法」の違いによって書き分けると書きました。(「直説法」と「接続法」)
しかし、ドイツ語はその違いを、「話せる」という部分の動詞の「法」では書き分けないということでした。
でも、ドイツ語に「接続法」がないわけではないのです。
 
では、ドイツ語ではどんなときに「接続法」を使うのでしょうか。 

・(1) Wenn das Wetter schoen ist, gehe ich aus.
・(2) Wenn das Wetter schoen ist, werde ich ausgehen

(1)の文は、

・もし、今、天気がよければ、出かける(つもりだけど、天気はどう?)。
  
という意味です。(「wenn」は英語の「if」、「Wetter」は「天気」、「schoen」は「美しい」、「ist」は「sein(英語の‘be’)」が活用した形、「ausgehen」は「分離動詞」と呼ばれる動詞で、活用すると前半の部分と後半の部分が別れて、文の最初と最後に置かれます。この場合、「aus-」と「-gehen」に別れています。)
(2)の文は、後半の部分に「~つもりだ」というニュアンスが加えてあります。(「werde」は「werden(~つもりだ)」の活用した形)
 
この場合は、フランス語でも、前半も後半も動詞は「直説法」で、このドイツ語の文においても同じです。
 
ところが、

・もし、今、天気がよければ、出かけるんだけど・・・(、実際は雨が降っているから、出かけない)。
 
という、「現実に反する仮定」の文だと、
 
(3) ・Wenn das Wetter schoen waere, wuerde ich ausgehen.
 
となります。
この文の、「waere」「wuerde」というのが、それぞれ「sein」「werden」の「接続法・第2式」という形です。
ドイツ語の「接続法」には2つの形があって、「第2式」が事実上、英語の「仮定法」になるのです。
ということは、フランス語では「条件法」ということですよね。
 
つまり、ドイツ語では、「現実に反する仮定」を述べるときに、「接続法」と呼ばれる形を使うということです。
・・・なんか、ややこしい。。。(^-^;)
 
(続く・・・)
 






最終更新日  2006年01月26日 23時21分18秒
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2006年01月15日
カテゴリ:外国語・語学
 
きのうは、例えば英語では3000語、フランス語では2100語の単語を覚えれば、その国の一般的な新聞・雑誌が読める(理解できる)と書きました。(もちろん、別に「文法力」が必要です。)
でも、これは逆にとらえると、まだ「10語に1語」は知らない単語であるということです。
では、「ネイティブ並み=ほぼ100%」のカバー率とはどのぐらいなのでしょうか。
 
残念ながら、日本語以外の言語については資料がないのでわからないのですが、一般的な日本人は日本語の語彙(単語)をいくつぐらい知っているのでしょうか。(感嘆詞と固有名詞を除く。)
いくつぐらい単語を知っていれば、日本人として平均的(恥ずかしくない?)のでしょうか。
 
ここで言う‘知っている語彙(単語)’というのは、正確に言うと「理解語彙」といわれるものです。
「理解語彙」とは読んだり聞いたりしたときに意味がわかればよいという語彙で、自分でそれを正しく使うことまでは要求されていないものです。(後者は「使用語彙」(または「表現語彙」)といいます。)
 
「理解語彙」の数は、『図説日本語』(林大監修、角川書店)によると、
 
  小学生レベル: 5千~2万語
  中学生レベル: 2万~4万語
  高校生レベル: 4万~4万5千語
  大学生レベル: 4万5千~5万語

となっていますから、「理解語彙」は‘教養ある日本人成人’の場合、およそ4万5千語だと考えられます。(「使用語彙」は個人内においてその約3分の1。)
 
これについては、「NTTコミュニケーション科学基礎研究所」というところが調査をしていて、しかも、「語彙数推定テスト」という形でWEB上で公表しています。
テストは3種類あって、どれか1つでもOKですが、できれば3種類ともやって、その平均値を出せば、より正確に自分の語彙数を知ることができると思います。
 
  http://www.kecl.ntt.co.jp/icl/mtg/goitokusei/test-sheet1.html
 
  http://www.kecl.ntt.co.jp/icl/mtg/goitokusei/test-sheet2.html
 
  http://www.kecl.ntt.co.jp/icl/mtg/goitokusei/test-sheet3.html
 
これらをもとにすると、おおよそ「旗竿」「丸まっちい」「鳩派」あたりを知っていると、‘4万5千語’をクリアーできていると言えそうです。
逆に、これらを3つとも知らないと、明らかに‘4万5千語’は知らないということになります。
 
・・・無事、4万5千語レベルをクリアーできたでしょうか?
 






最終更新日  2006年01月15日 19時58分35秒
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2006年01月14日
カテゴリ:外国語・語学
 
外国語の学習をするとき、「文法」が大切だと考える(気付く)人は多いと思いますが、それと同じくらい(あるいはそれ以上に)「語彙(単語)」を覚えることも大切だと考える人は案外少ないのではないかと思います。
当然ながら、文法だけよく知っていても、語彙(単語)を1つも知らなければ、何も自分の言いたいことを言ったり、相手の言っていることを理解したりはできません。
 
ある言語においていくつぐらいの語彙(単語)を覚える必要があるかということについては、それぞれの言語によって事情が異なるので簡単には言えないと思いますが、日本語は「最低限10000語」だと言われています。
これは、一般的な新聞・雑誌・本などを辞書なしで読んで、全体の意味がおおよそ正確に読み取るのに必要なレベルです。
この「10000語」という数が、世界の主要な言語の中で多いのか少ないのかというと、これは「圧倒的に多い」ようです。
 
「カバー率」という数字があるのですが、これは、その言語において「いちばんよく使われる単語から、○番目によく使う単語まで覚えていれば、一般的な文章を読んだ場合に、どれぐらいの割合でそこに書いてある単語を知っていることになるか」という数字をパーセントで表したものです。
 
例えば、日本語でいちばんよく使われる単語は「これ」だそうですが、そこから「1000番目」によく使う単語(・・・これは何という単語かわかりません)まで知っていれば、カバー率は「60.5%」となっています。
つまり、よく使われる語彙(単語)を1000個覚えれば、一般的な日本語の文章を読んだ場合に、そこに使われている語彙(単語)のうちの約6割は知っているということです。
 
このカバー率が90%で、上に書いた「一般的な新聞・雑誌・本などを辞書なしで読んで、全体の意味がおおよそ正確に読み取れる」レベルになります。
 
英語の語彙のカバー率は3000語でちょうど90%なので、英語の単語を1番よく使われるもの(=「the」)から3000番目によく使われるものまでをしっかり覚えれば、一般的な英語の文章は読んで意味が把握できることになるわけです。
 
例えば、英語をゼロから勉強し始めて、文法は置いておいて、「単語だけでも1年でなんとか困らない程度に覚えたい!」と考えると、1日に8語強覚えていけばよいことになります。
 
英語以外の主要な言語における「カバー率90%」の語彙数は、フランス語が2100程度、スペイン語が3200程度、中国語が4100程度となっています。
(英語、フランス語、スペイン語はモスクワ国立言語研究所、中国語は北京語言学院語言教学研究所の調査による)
 
では、日本語で90%のためにはいくつの語彙(単語)を知っている必要があるでしょうか?
これは「10500語」だそうです。(国立国語研究所の調査による)
実に英語の3.5倍、フランス語と比べると、なんと5倍です。
フランス語はこの点では日本語と正反対で、主要な言語の中ではもっともカバー率のいい言語です。
日本語を学習する外国人の多くがつまづく点として「覚える単語の数が多すぎる」というのがこのデータから裏付けられます。
 
ただ、じゃあ、フランス語は簡単かというと、1つの単語の持つ意味や用法が非常に豊富で、1つの単語の意味を1つしか知らなければ、「書いてあること(相手の言っていること)の意味がわかっているつもりでいて、実はわかってない」ことが往々にしてあることになります。
「和仏辞典」を見て、見出しの日本語の単語の意味や用法が延々と続くことはほとんどありませんが、逆に「仏和辞典」の見出しフランス語の単語を見ると、その意味や用法が延々と続くことは珍しいことではありません。
 
以前にちらっと書きましたが、基本的にはフランス語には、「焼く」「煮る」「茹でる」「炒める」「蒸す」の区別はありません。すべて「cuire」という動詞で表します。
フランス語を学んでいて、「cuire」という単語の意味を「焼く」しか覚えなかったら、実は「煮る」だったという可能性は低くないわけです。
(ちなみに、外国人に日本語の「煮る」と「茹でる」の違いを聞かれて、即座に答えられる人はどのぐらいいるのでしょうか・・・?)
フランス語は「蝶」と「蛾」も区別しません。「パピヨン(papillon)」ということばを聞いたことがあると思いますが、これは「蝶」であると同時に「蛾」でもあるのです。
どうしても区別したいときには、「夜の」という言い方をつけることで言い分けることはできます。(「papillon de nuit」=「夜の蝶(=蛾)」)
あいさつで、「おはようございます」と「こんにちは」も「Bonjour.」しかありません。
親しい人同士の会話では、会ったときの「やあ!」も、別れるときの「じゃあ!」も、「Salut!」です。

そういえば、水泳の種目で「バタフライ」というのがありますが、これはフランス語ではそのまま「papillon」ですが、これって「蛾」でもあるわけですね。
下手な人の泳ぎだと、スマートな「蝶」ではなくて、もがいているような「蛾」に見えるかもしれません。(・・・私もだったりして。(^-^;))
  
フランス語は1つの単語に多くの意味や用法があり、日本語はその反対で、意味やそのものの状態が少し変われば、単語も変える傾向が強い言語だと言えます。
つまり、日本語では「蝶」、「蛾」、「バタフライ」、ついでに犬の種類の「パピヨン」・・・と、すべて別の単語で表しますが、フランス語ではすべて「papillon」です。
有名なところでは、日本語には「水」と「湯」という単語による区別がありますが、この区別をする言語はあまりありません。(それだけではなく、日本語には「冷水」「温水」「ぬるま湯」「熱湯」などの言い方もありますし・・・)
 
結局は、語彙(単語)自体をたくさん覚えなければならないか、覚える語彙(単語)の数は少なくていい代わりに1つの単語の意味はたくさん覚えなければならないか、のどちらがましかということになります。
 
では、日本人は日本語の語彙(単語)をいくつぐらい知っているのでしょうか?

(続く・・・)
 






最終更新日  2006年01月14日 21時12分58秒
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2006年01月13日
カテゴリ:外国語・語学
 
きのう、英語でもフランス語でも‘delicious’‘delicieux’という単語は、‘very’‘tres’ということばを使っては強調しないという話を書きました。
英語は『似ている英単語・使い分けBOOK』(清水健次)という本に書いてあるという「o__oさん」のブログから、フランス語は私がチャットで2人のフランス人に確認した結果からの話でした。
 
おととい、アメリカ人2人とカナダ人1人に会う機会があり、ちょうどこの話を思い出したので、尋ねてみました。
(このカナダ人は英語圏の人で、フランス語はわかりません。)
 
「聞いた話なんですが、英語では‘very delicious’って、言わないんですね?」と。
 
そして、返ってきた答え・・・。
 
全員が「言いますよ」・・・。
 
私:「・・・。でも、‘excellent’や‘wonderful’を強調して‘very excellent’‘very wonderful’と言いませんよね? ‘delicious’も同じなのでは・・・?」
 
3人:「??? ‘very wonderful’は言いますよ? 確かに‘very excellent’は言いませんけど。」
 
私:「何かを食べながら、‘This is very delicious!’って、言うんですか?」
 
3人:(顔をお互いに見合わせながら、)「言いますよ・・・」
 
・・・「何言ってるの、この‘日本人’は!?」みたいな感じでした。_| ̄|○
 
人によって、地方によって、世代によって違いがあるのは間違いないと思いますが、偶然とはいえ、ここまで3人が迷いもせずに全員同じ答え(意見)だと、やはり「必ずしも‘very delicious’という言い方は間違いだ」とは言い切れないと思いました。
 
となると、フランス語のほうも、人によっては「言います!」という可能性もありそうですね・・・。
 






最終更新日  2006年01月13日 23時25分10秒
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