物事に対するセンス(1)
私の趣味の1つは絵画鑑賞ですが、「絵を描く」ことはまったくの苦手で、何かで必要で、ちょっとしたイラストのようなものを人前で描かなければならないのが‘苦痛’だったりします。 絵を見るのはずっと以前から好きで、中学生の頃から百科事典の画家の代表作品のページを見るのも好きだったし、すでにその頃から絵の理屈も好きだったりしました。なのに、描くほうはさっぱりで、学校の授業で絵を褒められたことは一度もありませんでした。まあ、‘絵を描くセンス’がないということでしょう。 でも、とにかく絵を見るのが好きで、また理屈も好きだったので、高校に入って、選択の芸術科目「美術」「音楽」「書道」の中から選ぶのは、‘当然’「美術」にするつもりでした。 でも、同じ高校に入った親しかった友人が「音楽」にすると言ったので、「音楽」も嫌いではなかったし、結局は「音楽」を選択しました。 「美術」では、自分では絵は下手だと思っていますが、(自分で言うのもなんですが(^-^;))手先が器用だったので、版画などでは細かくきれいに彫れたりしたので、成績はまずまずでした。 「音楽」も、歌は上手ではありませんが、音程を外すことは絶対になかったし、一応電子オルガンを数年習っていたこともあり、最低限は楽譜も読めたので、こちらも成績はまずまずでした。 その意味では、「美術」を選択しようが「音楽」を選択しようが、こと「成績」に関しては大きな差はありませんでした。 しかし、高校の「音楽」では、先生が声楽出身だったらしく、授業では楽器は一切なく、ひたすら『コールユーブンゲン』ばかりで、若干退屈でした。さらに、私が「音楽」を選択する理由になった友人が学年途中で遠くに引っ越してしまったこともあって、2年生になるときに、「どうしても選択科目を変えたければ、数人は可能だ」と担任の先生が言ったので、考えるところがあって「書道」に変えてもらうことにしました。 私は小学2年生のときから自らの意志で「書道」を習っていて、中学1年のときに、子どもの「漢字」の部で「十段(特待生)」をとり、中学入学後に平行して習った「大字かな」と「小字かな」でそれぞれ「5級」「6級」まで進んだところで、同級生が1人もいなくなり、自分の意志も続かなくなってきたのでやめることにしました。 小学2年のときに初めて書道教室に行ったとき、先生が私の字を見て、「きれいに書けてるねえ! 『ん』だけ、ちょっとおかしいけど」と言ったのをよく覚えています。字は習う前から結構自信がありました。そして、習い始めてからも、結構いい調子で進級していきました。 でも、どうしても抜けない子が1人いたのです。クラスは同じになったことはないものの、同学年の女の子で、年に2回ある進級・昇段試験でも、いつも同じだけ上がるので、私は習い始めたときからずっとその子の1つ下の級(段)でした。いくらがんばっても、その子の上には行けないのをずっと悔しく思っていましたが、結局その子が私より半年早く、小学6年のときに「十段」になりました。 私はどちらかというと、筆で書くよりペンで書くほうがきれいに字が書けます。さらに言うと、私の字がいちばんきれいに見えるのは、黒板にチョークで書いたときです。(^-^;) 話を戻して、私は大学進学のために、「内申書」に少しでもいい内容を載せたかったので、「芸術」の成績を上げるために「書道」に変えることにしたのです。 結局、変えてもらうことはできたのですが、クラスの中で芸術科目を変えたのは、私1人でした。 成績のために「書道」に変え、普通なら絶対に習うことのない「変体仮名」が読み書きできるようになり(・・・今はほとんど忘れてしまいました(^-^;))、目的どおりに‘いちばんいい成績’が取れたので、その意味では目的が達成できたと言えるのですが、やはりいちばんやりたかったのは、絵を描いたり版画を製作したり、絵画理論の話を聞いたりということでした。 高校のときの選択科目の軽く苦い思い出です。