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橋本健二の読書日記&音盤日記

橋本健二の読書日記&音盤日記

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2010年07月05日
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橋本健二の読書&音盤日記






最終更新日  2010年07月05日 19時00分13秒


2009年12月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類
拙著『「格差」の戦後史』の書評が、読売新聞と朝日新聞に出ています。どちらも、好意的な書評です。ご高覧ください。

読売新聞 2009.11.9 

朝日新聞 2009.12.20


「格差」の戦後史






最終更新日  2009年12月27日 07時50分45秒
2009年10月11日
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 河出書房新社の新しい選書シリーズ、「河出ブックス」の第1弾、6冊のうちの一冊です。229ページで1260円はお買い得でしょう。1945年からの日本の経済的・社会的格差の動向を、統計と戦後政治史・世相史の両面から描いてみました。ぜひ、ご一読を。

『「格差」の戦後史』






最終更新日  2009年10月11日 14時23分12秒
2009年04月16日
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 居酒屋めぐりが好きな者にとっては、神様みたいな存在になってしまった太田和彦だが、実は日本映画通でもあることはあまり知られていない。

 この本は、戦前の映画を中心に、一九五〇年代前半までの日本映画を論じたもの。居酒屋を論じるときの観察眼、そしてデザイナーらしく画面構成の特徴を見抜く眼が、遺憾なく発揮されており、ストーリーのさわりの部分を紹介するときの語り口も、なかなか素晴らしい。当代一の居酒屋通としての片鱗も随所にみられる。たとえば稲垣浩の「お祭り半次郎」では、「昔の大工が丹精込めた古い店に親父のつくるシブイ肴。遠く聞こえる祭囃子。──これですよ」という具合。巻末の一〇〇頁ほどは名画座めぐりの記録で、三軒茶屋で成瀬巳喜男の「驟雨」をみたあと、銘酒の品揃えで有名な「赤鬼」に入ったりする。

 太田ファンで、少しでも映画に興味があるなら、必読。


シネマ大吟醸






最終更新日  2009年04月16日 07時12分28秒
2009年02月05日
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 華族は、明治維新直後の1869年、従来の公卿と大名を、士族や平民より上の貴族的階級に位置づけるものとして設置され、さまざまな政治的・経済的特権を与えられていた。

 士族が早い時期に特権を失い、単なる戸籍上の呼称となっていたのに対し、華族は貴族院議員の議席の大部分を占めたなど、実質を備えた特権階級として存在していたが、日本国憲法の施行によって消滅した。占領軍は限定的に存続させる意向だったが、憲法草案のなかのこれを存続させる条項が衆議院で削除され、貴族院もこれを認めたことから、完全に廃止されるに至ったという経緯があったという。こうして日本には、皇室は別として、経済的資源の所有によってではなく、法令によって定められて成立する特権階級は、存在しなくなった。

 さらに追い打ちをかけたのが、財産税法の施行である。財産税は、1946年11月11日に公布された財産税法に基づいて、同年3月3日午前0時の時点で所有していた財産について、一回限りで徴収された臨時財産税である。課税対象とされたのは、預貯金、債権、土地・家屋などはもちろんのこと、年金保険、書画・骨董や家財道具にまでおよび、課税最低限は10万円で最低税率は25%、最高税率は1500万円以上の90%だった。納税者は、全世帯の約3%で、ほとんどの華族はここに含まれただろう。

 財産税によって没落した富裕層の姿は、いくつかの文学作品にも残されたが、もっともよく知られているのは、太宰治の小説『斜陽』である。主人公は30歳間近の女性・かず子。華族の家柄ではあるが、父親は他界し、弟は戦地から帰らず、東京・山の手のお屋敷町で母親と二人で暮らしている。父親の残した財産で生活を続けていたのだが、預金の封鎖と財産税で財産が尽き、やむを得ず屋敷を手放して、伊豆の山荘に移り住む。周囲の住人たちの多くは、少なくとも表面的には親切に接してくれるのだが、ときには厳しい言葉にも耐えなければならない。

 やがて弟が戦地から帰ってくるのだが、母親に金をねだって東京へ出かけては、遊んでいるばかりだ。かず子も、まともな職業になど就いたことはないし、務まりそうにもない。少しずつ着物を売って暮らすほかはない。

 そしてしばらく後、母親は結核で亡くなり、弟は「姉さん。僕は貴族です」という遺書を残して自殺するのだった。ちなみに太宰の生家は青森県の大地主・津島家で、父親は華族ではないものの多額納税者代表として貴族院議員を務めたことがある。

 この文庫本は、「人間失格」「走れメロス」など代表作を11本収め、558頁のボリュームで638円。一家に一冊、という文庫本である。


「斜陽」「人間失格」ほか






最終更新日  2009年02月05日 08時57分43秒
2009年01月29日
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 著者は博識で知られ、文学・風俗・歴史など広い分野で活躍し、推理小説も書くという、現代の「超人」の一人だが、今度は映画の本である。

 自らが少年時代からリアルタイムで見た映画を中心に、戦後映画文化史を語っていく。とりあげられる映画は洋画が多いが、黒澤明や小津安二郎など日本映画もところどころでとりあげられる。

 とくに、戦後の食糧難が解消していない時期に、映画のなかに豪華なケーキを登場させたり、普及が始まったばかりの耐久消費財を登場させたおづの小津の映画を「小津安二郎の早すぎる離陸」「ひとり小津だけがいわゆる中産階級のドメスティックな関心へと堂々たる離陸を果たしている」と論じたのは、深く同感する。

 私なども、50歳近くなってときどき歴史めいたものを書くようになっているが、まだまだ生き証人の多い世界を書くのは大変。こうした年長世代には、とてもかなわないと思う一方で、何か新機軸を打ち出せないかと意欲をかき立てられもする。


昭和シネマ館






最終更新日  2009年01月29日 17時04分26秒
2009年01月23日
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 丸山真男が東京帝国大学助教授だった1944年、徴兵されて二等兵になり、上等兵からいじめを受けたという話は有名だ。赤木智弘が「丸山真男をひっぱたきたい」というエッセイで紹介し、戦争になれば自分も丸山真男をひっぱたけるような社会になるだろうという願望を書いたことも、記憶に残る。しかし、戦争は本当に、そのような下克上の流動性をもたらすのかというのが問題だ。

 本書は学徒兵の遺書や手記を中心に、歴史資料をふまえながら、学徒兵たちの世代とその前後の世代たちの戦中・戦後を描くもの。実際に丸山のような境遇を経験したのは(丸山は助教授という点で例外的だが)、戦争末期に在学したごく狭い世代に限られること、全体としてはやはり、軍は下層階級中心の世界だったのことは明らかである。

 丸山のような経験が、知識人と下層階級の接触をもたらし、戦後思想に影響したというのは、小熊英二の『〈民主〉と〈愛国〉』にも出てくるテーマだが、いつか自分でも検証してみたいものである。

 と、自分の関心にひきつけた紹介になってしまったが、たいへん面白い本だ。


学歴・階級・軍隊






最終更新日  2009年01月23日 09時30分47秒
2008年11月21日
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 「日本国勢図会長期統計版」というサブタイトルがついている。題名以上に内容は豊富で、もっとも古いものでは1872年(明治5年)にまでさかのぼり、2005年までのデータを収録している。

 この種の統計集は、「広く浅く」なので専門的な研究には役に立たない……とバカにして、今までちゃんとみたことがなかったのだが、なかなかどうして。侮れません。1950年代からの規模別・産業別賃金格差など、すぐにも使えそうだし、国民経済計算について徹底してデータを集めているのも驚き。

 社会科学系研究者は必携。学生・院生なら、卒論・修論を書くときに、無駄な手間をかなり省けるはず。


数字でみる日本の100年改訂第5版






最終更新日  2008年11月21日 06時00分27秒
2008年11月18日
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 大学紛争の時代、何人かの教員が日本大学を去っているが、この著者もその一人で、その後は評論家として活躍した。まだご存命のはずだが、最近の活動は知らない。

 本書は、私の理解では『青少年非行・犯罪史資料』(全3巻)とともに、著者の最大の仕事を構成するもので、戦後史を語る上では欠かせない名著だと思う。ともかく、それぞれの時代を象徴するようなありとあらゆる犯罪を網羅したうえで、文化・風俗上のできごとも織り込みながら、庶民レベルの精神史を大河のような流れとして描いていく構想力には感服する。

 著者は、1970年代末からはじまる、品川の「青酸コーラ殺人事件」、新宿の「バス放火事件」、深川の「通り魔殺人事件」など、一連の無差別殺人事件を、「世間の連中は、みんなうまくやっているのに、自分だけが取り残されてしまっている」という疎外感から生まれた犯罪と特徴づけ、永山則夫の連続射殺事件をその先駆けに位置づける。

 この指摘は重要である。というのは、取り残されたと感じる人が増えれば、凶悪犯罪が増えるということになるからである。秋葉原の通り魔殺人事件などは、その典型だろう。しかも、取り残された人々がさらに増えてひとつの「階級」を形成するようになれば、それは階級テロとなる。

 加害者・被害者などの実名が頻出するなど、プライバシー問題への配慮が少ないことを考えると、このままの形での復刊は難しいかもしれないが、現代でも広く読まれていい本である。古書はかなり出回っている。






最終更新日  2008年11月18日 11時33分59秒
2008年11月17日
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 著者は犯罪社会学者だが、いろいろな犯罪事例を取上げ、その時代の社会状況や時代精神と関わらせながら論じるという、やや評論めいた著作を書くのを得意とした。「アプレ人間」「管理社会」など、やや時代がかった用語が出てくるのは、この世代の社会学者してはしかたのないところだが、若者犯罪に対する視点は、今でも大いに参考になる。

 私は秋葉原の通り魔事件など、若い無業者・失業者や非正規労働者による凶悪犯罪には、格差の拡大や雇用不安という明確な社会的背景があると考えているが、こうした事件自体はけっして新しいものではなく、1980年代から1990年代にはすでに頻出していた。そのかなりの部分が青少年によるもので、著者はこれを「管理社会に復讐する青少年の自爆的犯罪」と呼び、社会が実体性を薄めたために、攻撃衝動が自殺あるいは無差別殺人につながるのだとしている。1983年の「犯罪白書」には、82年1年間に通り魔事件が182件発生しており、そのうち殺人が13件との記述があるとのこと。確認すると、これはネット上でも公開されていた。

 警視庁は通り魔事件を「人の自由に通行できる場所において、確たる動機がなく、通りすがりに不特定の者に対し、凶器を使用するなどして殺傷等の危害(殺人、傷害、暴行及びいわゆる晴れ着魔などの器物損壊等)を加える事件」と定義しているとのこと。しかし、近年ではこのような集計がみあたらない。そもそも攻撃対象が拡散しているのだから、確たる動機がないと言い切ることも難しい。

 本書は先駆的な著作だが、現代の通り魔事件を対象に加え、「曖昧な動機」「曖昧な攻撃対象」を視野に入れて再考する必要がありそうだ。


若者犯罪の社会文化史






最終更新日  2008年11月17日 07時18分34秒

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