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主人公は林の中で焚き火をして野宿でしょうか、小屋の中の囲炉裏でしょうか。寒さで震える体に、熱い塩汁をすすり、焚き火を見ていると、さまざまな妄想や後悔が脳裏をかけめぐります。
そして、ここでも白菜が。宮沢賢治の心象のなかでは、白菜の普及の失敗が、本当に心の傷となっていたようです。「白菜をまいて 金もうけの方はどうですか」と、作者の白菜普及失敗をからかった普藤という人物はだれなのでしょうか。 賢治の死後、昭和10年代には、岩手県でも白菜が普及し始めます。賢治の取り組みが10年早すぎたのが残念です。 「この仕事で疲れを覚えたことがない」と断言し、教師の仕事に誇りを感じていた賢治らしくない「のろのろ農学校の教師などして」という珍しい表現に、農村と都会の文化格差に悩む、青年らしい生の苦悩が感じられます。また、焚き火の美しさを通じて農村に住むことの誇り、が描かれているのも興味深いところです。これは、いわゆる「第10稿」といわれる賢治が公開しないよう遺言した原稿の束の中の詩なのです。 #宮沢賢治 #林中乱思 #焚き火 #白菜 #妄想 #第10稿 #格差 (本文開始) 心象スケッチ 林中乱思 火を燃したり 風のあひだにきれぎれ考へたりしてゐても さっぱりじぶんのやうでない 塩汁をいくら呑んでも やっぱりからだはがたがた云ふ 白菜をまいて 金もうけの方はどうですかなどと云ってゐた 普藤なんぞをつれて来て この塩汁をぶっかけてやりたい 誰がのろのろ農学校の教師などして 一人前の仕事をしたと云はれるか それがつらいと云ふのなら ぜんたいじぶんが低能なのだ ところが怒って見たものの 何とこの焔の美しさ 柏の枝と杉と まぜて燃すので こんなに赤のあらゆる phase を示し もっともやはらかな曲線を 次々須臾に描くのだ それにうしろのかまどの壁で 煤かなにかゞ 星よりひかって明滅する むしろこっちを 東京中の 知人にみんな見せてやって 大いに羨ませたいと思ふ じぶんはいちばん条件が悪いのに いちばん立派なことをすると さう考へてゐたいためだ 要約すれば これも結局 distinction の慾望の その一態にほかならない 林はもうくらく 雲もぼんやり黄いろにひかって 風のたんびに 栗や何かの葉も降れば 萓の葉っぱもざらざら云ふ もう火を消して寝てしまはう 汗を出したあとはどうしてもあぶない ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.12.30 06:37:34
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