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賢治と農

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2021.02.20
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宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/

前日夜、花巻を出発した一行31名は、出発から約11時間後、青森駅で5月19日午前7時55分発の青函連絡船「田村丸」に乗船しました。

田村丸は、1908(明治41)年イギリス製、全長約90m、総トン数約1500トン、定員約330名の蒸気タービン船でした。
現在の全長200m、1万トンを超える北海道行きカーフェリーにくらべるとかなり小さいですが(生徒が片舷によりすぎて船が傾く描写があります。)船にあまり乗らない生徒たちには、大きく見えたことでしょう。


写真は「田村丸」と同型の青函連絡船「比羅夫丸」です。

賢治は船上で詩「津軽海峡」を作りました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102190001/

創作ながら、小説「或る農学生の日誌」から、青函連絡船上の生徒たちの雰囲気がよく伝わる部分を引用します。

(引用開始)

船はいま黒い煙を青森の方へ長くひいて下北半島と津軽半島の間を通って海峡へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影かげは波にうつって黒い鏡のようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重の絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海岸にわずかの砂浜があってそこには巨きな黒松の並木のある街道が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建っていてそこの浜には五、六そうの舟もある。
さっきから見えていた白い燈台はすぐそこだ。ぼくは船が横を通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上手だといいんだけれども僕は絵は描けないから覚えて行ってみんな話すのだ。風は寒いけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔わない。ほかにも誰も酔ったものはない。

いるかの群が船の横を通っている。いちばんはじめに見附けたのは僕だ。ちょっと向うを見たら何か黒いものが波から抜け出て小さな弧を描いてまた波へはいったのでどうしたのかと思ってみていたらまたすぐ近くにも出た。それからあっちにもこっちにも出た。そこでぼくはみんなに知らせた。何だか手を気を付けの姿勢で水を出たり入ったりしているようで滑稽だ。
先生も何だかわからなかったようだが漁師の頭らしい洋服を着た肥った人がああいるかですと云った。あんまりみんな甲板のこっち側へばかり来たものだから少し船が傾いた。
風が出てきた。
何だか波が高くなってきた。
東も西も海だ。向うにもう北海道が見える。何だか工合がわるくなってきた。

(引用終了)

一行は、約5時間の船旅ののち、昼の12時55分に函館港に着きました。出発から約16時間がたっていました。

#宮沢賢治 #稗貫農学校 #花巻農学校 #修学旅行 #或る農学生の日誌 #農業教育 #青函連絡船 #津軽海峡





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最終更新日  2021.04.18 04:42:41
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