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カテゴリ:羅須地人協会時代
伊藤チヱは、宮沢賢治の友人伊藤七雄の妹です。岩手県水沢出身1905(明治38)年生まれで、賢治の9歳年下です。
兄と同じく社会を良くしようという気持ちが強い人だったようです。東京の二葉保育園で、保母として貧しい子どもたちの保育に取り組みました。 二葉保育園のホームページには当時の「貧民窟」における活動のようすが掲載されています。 https://www.futaba-yuka.or.jp/history/ 大正時代の二葉保育園の活動について次のとおりまとめられています。 「明治末期より大正にかけて「青踏」を代表とする婦人運動が始まり、エレンケイの「児童の世紀」も紹介された。女性と児童の時代と言われたが、米騒動、恐慌と社会的な混乱も大きかった。乳幼児の死亡率の増加は、一般家庭の問題となった。慈善事業から社会事業へと移行する中で、本園、旭町分園の事業も図書部、裁縫部、夜間診療部、廉売部、五銭食堂と内容を拡張していった。 本園では母の家を開設し、母子寮の先駆となった。これは従来から身の上相談にのったり、住居提供していた実績から生まれたものである。」 賢治を尊敬していた伊藤七雄には、妹チヱと賢治を結婚させたいという考えがあったという説もあります。賢治とチエは、花巻と伊豆大島で2回会ったようですが、結婚にはいたりませんでした。 チヱは、賢治の没後、賢治と自分の関係を他人に詮索されることを嫌いました。当時のことについて多くを語ることなく、1989(平成元)年に亡くなりました。 #宮沢賢治 #伊藤チヱ #伊藤七雄 #伊豆大島 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.27 04:49:46
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