(まとめ)賢治は数百から数千枚の肥料設計書を書いた。正確な枚数は不明。
宮沢賢治は2000枚の肥料設計書を書いたか、調べてきました。
賢治は、詩「野の師父」では「二千の施肥の設計を終へ」たと書いています。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202012100000/
ある程度、事実を反映した表現と思われますが、詩は創作ですから、そのまま事実と認めることはできません。
肥料相談会を手伝った教え子と、岩手県農会職員の記録によれば、最低でも約300枚であると推定しました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101190000/
相談会場を約10か所、相談期間を9日、1日の枚数を30枚、3年間行ったとして、最高は約8000枚と推定しました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101160000/
約300枚から約8000枚のどこかに実際の枚数があると推定しました。
今後の新資料の発見に期待しながら結論としては、次のようにいたします。
【結論】正確な枚数はわからないが、数百枚から数千枚の肥料設計書を書いた。少なくとも、2000枚書かなかった、と断言することはできない。
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