2006/08/17(木)21:35
自分が、自分で、動くとき
人の行動するときの意思決定っていうのは、やはり自分で決めたときが
もっともしっくりくる。
誰かに「強いられ」てやることほど、モチベーションの上らないものはない。
自分自身で考えて、決めてやりたいものです。
しかしながら、誰かの影響を受けたくない、という臨機応変さがない発想も
考えものかなあと思います。
なぜなら人は、先人の知恵を、「早く」「無駄なく」「できるだけ100%」という
状態で自分の行動の材料とするために、学問を習い、記憶して判断材料とし、
そのまま使ったり、組み合わせたりして行動するという「知恵」を持っているからです。
生まれて、誰もいない世界にひとりでいると、
言葉を話せないし、目に見えるものを「単語」として認識しないし、
地球上や生活の上で必要なものを全て自分がやってみることでしか情報を得られず、
大したことができないわけです。
それは、猿やその他の哺乳動物と同じ脳のレベルになってしまうわけです。
だから、誰かや書物から習い、自分で考えてみて、やってみて、
自分がやったことから学び、また、新しい発想が生まれるということに
繋げていかないといけないのです。
で、で・・・
それが本来、人間に備えられた能力なんですが、
それを自分で判断せずに、誰かにコントロールされ、誰かに強いられることほど
つまらないことってないですよね。
自分で決めたい。誰かがするから自分もするんじゃなくて。
誰かがすることに、自分の中でも合理性があるのならいいのでしょうが、
疑問があったり、違うと思っていることを大多数の人がやっているからといって
やるんじゃなくて、自分がマイノリティになったとしても、
自分の判断をすればいいのだということですね。
自分の立ち位置は、自分で決めたいものですね。
野球のメジャーリーグ野茂投手は、日本のプロ野球で活躍していたので
そのままいれば日本でも大活躍していたでしょう。
日本のプロの他の大多数は、メジャーという厳しい世界ではなく、
日本という土地を選んで、あえて厳しい世界に身を置いていない。
でも野茂投手は自分の判断で、メジャーに飛び込み、マイナーに落ちれば、
これまた多数が日本に戻ってくるところをあくまでもアメリカでやっている。
この野茂投手の行動が、「自分の立ち位置を自分で決めている」わけです。
私は、ここ数年会社での立ち位置は100%でないにしろ、
自分で決められたと思っています。
これからはまた、自分の立ち位置を変えていかないといけないなあとも
思っています。
自分の能力と伸びしろに合う枠の場所に。
自分がどれだけ、社会(世の中)の人の幸せに貢献できるのか。
そして、その実現によって、自分がやりたいことを実現できるか。
そんなことを考えています。
みなさんは、どんな立ち位置がありそうでしょうか?
それは自分で選択できそうでしょうか?
どうやって選択しますか?
邪魔が入るかもしれません。
それを破って、自分の立ち位置に居れるのは、
自分自身の強い理念と自信を持つことなんじゃないかと思います。
自分で動きましょう。自分の人生だから。ね。