2011/03/26(土)23:17
芸術は爆発だ!
ぼくが芸術というのは生きることそのものである。
人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、
その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。
“芸術は爆発だ”
これは随分前からの私の信念であり、貫いてきた生き方だ。
(中略)
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。
それが爆発だ。
人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。
いのちの本当のあり方だ。
岡本太郎 『自分の中に毒を持て』
岡本太郎(1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)
日本の洋画家。芸術家。パリ(ソルボンヌ)大学に留学、ピカソに衝撃を受け抽象芸術運動
に参加。またシュルレアリスム運動とも直接関わった。日本の縄文や沖縄の魅力を再評価。
平面・立体の美術作品を数多く残し、文筆活動も精力的に行った。
『芸術は爆発だ!』という名言で超個性派人間としてテレビでも活躍。
なんといっても、『芸術は爆発だ!』の台詞と彼のキャラクターが強烈だったのを覚えている。
1970年の大阪万国博覧会にてテーマ館のシンボルとして建造された『太陽の塔』を制作した
ことでも有名。
(最近『20世紀少年』という漫画(映画)で改造されちゃっていたが・・・)
今年は生誕100年にあたる年なのだそうだ。
そのキャラクターしかおぼえていなかったので、岡本太郎氏のことを、あまりに天才であり
、紙一重の人だというイメージで捉えていた。もっというと、“いっちゃった人”的な印象
で、大変失礼な話だが、一般的な常識の世界とは違う世界の住人のように思っていた。
どちらかというと“理論”は何も無く、“感覚”の非常に鋭い、いかにも芸術家であって、
それが普通の芸術家よりも突出しているのだろうと・・・・。
確かに“感覚”の非常に鋭い人ではあるのだろうが、その感覚を言葉で表現する事もとても
うまい、理論・理屈も達者な方なのだな、という事がこの本を読むと分かってくる。
(秘書で後に養女となった岡本敏子氏による文章なのかな?
と穿った見方もできるだろうけど・・・ 笑 )
この『自分の中に毒を持て』は結構、お気に入りの本。
芸術家という言葉を使ったが、太郎氏はこの言葉の直前にこんな事も言っている。
いま世間で芸術と思っているのは、ほとんどが芸術屋の作った商品であるにすぎない。
強烈な言葉。そして本当の芸術とはということを述べている。
太郎氏にとって「芸術=生きること」だというのだ。
「爆発」についても(中略)の後半で言及している。
一般に「爆発」というと、ドカンと大きな音が響いて、物が飛び散り、周囲を破壊して、
人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。
が、私がいう「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。
国際的な評価を受けている芸術家なのだけれども、ぶっ飛んだキャラが受けて、
変な人扱いをされつつテレビに出ていた人のイメージとはだいぶ違うのではないだろうか。
子供の頃から胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かしがたい感覚を
持っていたそうだ。絶対的な存在感のそれは自己のアイデンティティーのことのようだが、
ずっとそれを守ろうと抱きしめていた。が、守ろうとし、大事にするから弱くなってしまう。
と悟ったという。
己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。
炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。――爆発するんだ。
自分を認めさせようとか、自分の役割をどう果たすかとか、という状況や成果を考えても
袋小路に入り込むだけだと続く。
いま、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、
全存在で爆発する。それがすべてだ。
人生は爆発だ!?
分かる。分かるのだけれど・・・
いまこの瞬間を爆発させなければいけないのも賛成するが、
無目的、無償、となってくると刹那的な風にもとれちゃう。難しい。
けど総論賛成!頑張って爆発しようぜ!
(ここまで書いて、ふと心配になったのだが、この時期に爆発って不謹慎?
大丈夫だよね。うん。そういうことにしてしまおう。)