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早期法制化を目指す
カイロプラクティックの統一認識が必要
社会的認知目指そう
……日本カイロプラクターズ協会会長 森脇 正人……
2004年(平成16年)3月12日(金曜日) CHIRO-JOURNAL 発行
昨年十一月に日本カイロプラクターズ協会(JAC)は業界サミット「カイロプラクティックの法制化を考える」を開催しました。
JACを含め六団体がそのサミットに参加し、討議しましたが、最終的に法制化に付いての具体案は出ませんでした。
我々はこれから業界内で定期的に会合を持ち、具体的な法制化への方法を学ばなければなりません。
カイロプラクティックに携わり、それを生業としている人の中で、カイロの法制化を望まない人はおそらく居ないと思います。
カイロが職業として社会的認知を受ければ、広く国民の健康に貢献できるからです。
川口三郎氏によってカイロが日本に紹介され、今年で八十八年が経ちます。
法制化によって、カイロプラクティックが職業として認知されることはわれわれカイロプラクターの大きな目標です。
この様に、業界の多くの人が法制化に賛成していると思われるはずなのに、未だにそれが実現されないのはなぜでしょうか?
世界からはなぜ日本の状況がなかなか改善されないのか、不思議に思われていることでしょう。
理由は大きく分けて二つあります。
まず、日本の民間・代替医療の特殊事情です。
日本国内にはカイロプラクティックが伝わる前から、鍼灸、東洋医学、整体、按摩など多くの手技・民間療法が存在していました。
そのうち医業類似行為と呼ばれる「あはき」「柔整」は法制化されています。
また、国内の医療業界が医師の独占であることも、アメリカなどのカイロプラクティック先進国との大きな違いです。
この様な海外との医療業務システムの違い、既存複数の代替医療業務の存在を考慮した場合、それを乗り越え、法制化を成し遂げることは極めて大きなチャレンジです。
過去の業界活動を振り返ってみると、多くのエネルギーを法制化活動に費やしてきました。
しかしまた、一人ひとりのカイロプラクターすべてに法制化に付いて共通した認識、すなわち教育、資格、業務範囲などいろいろな側面が考慮されなければいけません。
果たして、われわれが望んでいる「法制化」はすべての人において共通するものなのでしょうか?
多極化のあまり認識もマチマチ
日本ではカイロプラクティックがあまりにも多極化して、発展してきました。
アメリカ等の法制化がなされている国々では、カイロプラクティックは医療システムの中でプライマリー・ヘルスケアー(第一次医療機関。つまり家庭医)の役割を担う業務の認識があります。
したがって、教育の国際基準は、医学部教育にほぼ等しい履修時間を必要とし、臨床診断に必要な知識と技術を身に付けるようプログラム構成されています。
しかし、日本では認識が多様です。
ある人にとっては、カイロプラクティックと整体は何ら明瞭な相違はなく、単に骨格を矯正する技術に過ぎません。
したがって、教育年限もマチマチになります。
カイロプラクティックに対する統一した認識が存在しなかったこと、または、それを強く打ち出していく団体が長く存在しなかったことが、現在のような混乱を招いた原因の一つとも考えられます。
しかし、われわれ業界に携わる者すべて、この現状をいつまでも容認するわけにはいきません。
われわれが真のカイロプラクティックが何かを主張しなければ、誰がそれを行うのでしょうか?
先述のカイロプラクティック先進国では、カイロプラクティックは専門職として社会におけるその地位を固めています。
しかし、日本ではどうでしょうか?
基本的にわれわれが開業できるのは、昭和三十五年の最高裁判決で下された、「職業選択の自由」によっています。
われわれには「自由」が与えられています。
しかし、裏を返せば、これは権利が無いことを意味します。
例えば、国家と国民の関係であれば、「貴方はこの国で自由に暮らしても良いが、その代わり選挙権、社会保険資格、免許申請はできませんよ」ということなのです。
社会に認知されるような行動を
権利には当然義務や責任が付随しますが、それを負ってもいません。
現時点、われわれは社会に対して貢献していないといえるでしょう。
つまり、日本においてカイロプラクティックは職業として成り立っていないことを示します。
私たちは、社会の中で仕事をし、生活をさせてもらっています。
その仕事とはカイロプラクティックです。
われわれを受け入れてくれる社会と、我々の仕事であるカイロプラクティックがなければ、我々はどうして生きていくのでしょうか?
したがって、私たちは社会に認知されるよう行動し、努力をして行かなければなりません。
それが現在法制化を受けていない国での私達のカイロプラクティックはもちろん、社会に対する使命であり、義務と責任でもあるでしょう。
日本カイロプラクターズ協会は、この場を借りて日本におけるカイロプラクティックの法制化とは何なのか、法制化を実現するためには何を具体的に考えそれを行動に移していけばいいのか、といった点を明らかにし、今後の活動予定を述べさせていただきます。
(続く)
2004年9月1日発行 カイロタイムズ 第40号より、転載。
第2回 JAC 「法制化を考える」
2004年7月4日(日)、日本赤十字会館でJAC(日本カイロプラクターズ協会)が、第二回『法制化を考える』を開催した。 JACの中塚会長は「今回は、専門家の方々をお招きし、法制化に関する知識を高めていきたいと思います」と挨拶した。
講演会では、全国療術研究財団の島崎俊彦理事と医療ジャーナリストの谷田伸治氏が登壇した。
島崎氏は講演の中で、療術というものが如何に法制化へ向かって行ったか、その歴史を紹介した。 島崎氏によると、大正時代、国内では民間療術による医療行為が盛んに行われていたという。
その数、三百から四百もあった。 彼らは『無薬医師』と自称していた。 治療トラブルも多く、昭和五年には東京警視庁令で『療術行為取締規則』が定められた。 実はこのとき初めて『療術』という言葉が公的に使用された。 つまり、療術の名付け親は警視庁だということになる。 ちなみに、カイロプラクティックは、『整体療法』と名づけられたという。
戦後、昭和二十二年、GHQは『療術の禁止法』を公布した。 八年後には一切営業できなくなるという危機感が全国の治療家に広がった。 この危機感から業界が一つになり、行政へ積極的に働きかけた。
そして、昭和三十五年、『いわゆる医業類似行為に関する』最高裁判所の判決が出た。 それは、『有害の恐れのない療術行為は禁止・処罰の対象とはならない』というものだ。 この判決が現実の法律として今も効力を発揮している。
『現在は、患者も多く社会的な需要がある。その中で後継者をしっかりと育成し、業界が一つにまとまって行くことが肝心なのでは』と島崎氏はまとめた。
谷田氏は医療ジャーナリストの立場から、『医薬の副作用と、カイロプラクティックの事故に関する比較データや有効性を証明する研究などをしっかりとやり、マスコミに対する広報活動なども展開する必要があるのではないでしょうか』と述べた。
カイロプラクティックの法制化論議がなかなか盛り上がらず、業界がまとまるどころか、混迷の度を増している現状だが、そんな中、JAC がこうした会合を頑固に続けていくことは歓迎したい。
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