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Chiropractic  健康はカイロプラクティックとともに 

Chiropractic 健康はカイロプラクティックとともに 

▼人の救済


予防医学のカイロプラクティック

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考える事は 哲学だよ 何でも考えてみよう 独断と 偏見のコーナーです 

人を救うこと


今まで沢山の人を 救わなければならないと、 私は信じて来ていました。
しかし この思いや願いが、 実は 心の重荷になっていました。

けれど 多くの人を救いたいという道が、 自分の生きる道だと思いつつ、 願っていただけでした。

でも現実は そんなに生易しい事ではない事が、 痛いほど判って来ました。
しかし 現実を見つめると、「 自分が救われたい 」 という気持の方が 強かったようです。

これが 私の本来の 人間性の表れだと思っています。

矛盾だらけの、 いい加減な人間で 育ちました。

とても私が 人を、 お救いする事など 出来ない人格であり、 弱い人間だと思う気持ちが、 今は強いのです。

「 自分の心に、 重荷に成らない、 人の心の救済 」

この言葉は、 可能な事柄なのでしょうか ?
自分が救われない、 救われていないのに、 どうして 他の人をお救いする事が 出来るのでしょうか?

自分も苦しいのに、 その苦しみを持ちながら 人を救う事が出来るのでしょうか?
それとも その行為や考えは間違っているのでしょうか?


自分と、 他の人を お救いする。
その人、 一人に 命を注ぐ。

だが その人が救われることになれば、 救われた方が 他の人をお救いして行くならば、救いの連鎖が始まる。

連鎖が 止まらなければ、 結局は 多くの人を救う事になる。

そういう意味で、 自分を救う事が、 実は多くの人を救う事に繋がり、 私の心の重荷を 捨てる事にも通じる。


そう考えていくと、 まるでマルチ商法の様な形になっているのは 否めない事かも知れません。

勿論マルチ商法が 悪いものでもありませんから、 形としてはその様な形になっていても、 人の心が救われるという 価値観の違いは、 そしてその価値が 全くマルチ商法とは 天変地異の差がありますから、 形に拘る必要はないと思います。


しかし現実的に、 一人の命を お救いする行為は、 必ずしも簡単に出来るものではないと思います。

自分さえも 満足に生かすことが出来ないのに、「 他の人まで救う事なんて 出来るもんか 」 という 呟きが聞えてきそうです。

確かに 一回の方法で 多くの人々の魂が救われるのなら、 こんなに楽な事はないでしょう。

しかし 人を救うといっても、 魂の救済となると、 話はかなり 心の中心的な問題に成ります。


ただ 分からないのは、 魂の救済が 本当に必要なんだろうか ?  ということなんです。
そして その魂 救済が必要不可欠なことだとしたら、 それには 確実な意味があるから、 救済を行いたいと思うのでしょう。

しかし 救済が本当に必要であるのなら、 人はなぜ 救済を必要とするような行為を するんでしょうか ?

そして救済を 目標・目的 にしなければならない様な人間性が、 どうして形成されて しまうんでしょうか?


天国に帰すための、 救済なのでしょうか ?
救済によって 一つの魂は、 本当に救われるのでしょうか ?

あくまで 救済ということは、私達が行う 事なのでしょうか ?

それとも、 その魂が 自らを救済して始めて、 救済と 呼べるものなのでしょうか ?

だったら救済とは、 自分から自分を救うことを 意味するのではないでしょうか ?


人は魂そのものですし、 勿論 人だけではなくて 他の生命体は全て、 魂の存在として成り立っているのは 理解している通りです。

そのために、 人の魂 救済となるとどうしても 価値観が重要になるのだろうと 思ってしまいます。


他の生命体に対しても 同じ様に 救済する必要があると思いますが、 人の魂の救済を重要にするには、 別の意味が隠されているのかも知れません。

しかし人間は 未来を創造する事が出来る 唯一の魂ですし、 それなりに 大きなエネルギーを蓄える事が出来る 存在だからこそ、 その方向性を誤らせない様にしたいから、 その様に言うのかも知れません。

なぜならば、 人の命を生かすのに、 どれだけ他の生命体を 殺さなければならないのかを考えれば、 明白だと思います。

人 一人の命を 生き長らえさせるのに、 その一生で 多くの命を殺す必要があります。 肉や野菜、 その他動物を殺し、 人間は 生き延びているのです。
それは 人間には殆んどの 食べ物を食べる事が出来る 唯一の動物でも在るからです。


他の動物達は、 殆んどが食物連鎖の中で 生きているのが実情です。

しかし人間は 未来を想像・創造 することも出来るし、 何でも食べれるし、 本当に 物凄いパワーの持った動物であり 魂だと思っています。

その一人の命と 魂の持ったパワーは、 計り知れないほどの問題を 抱き合わせて持っていると思います。

しかし人間の魂は、 救いを求める 唯一の魂でもあると思います。

他の動物は、 この地球に取り巻く 自然の法則に従って、 その環境の枠の中で 生きているだけの生命体であるとも 言えるかも知れません。

魂の救いを求めるのでもなく、 その環境の中で、 その生命活動を 精一杯生かしています。


しかし人は言葉で文化を創り、 意思疎通を行い、 自分の意志で 社会を形成しています。
それは 人間の歴史が、 その事実を 如実に示していると思います。


ただ単に 社会が発展する事だけを求めて来たとは 思えませんし、 文化的生活を満足に、 便利にする為に 生き続けて来ているとも思えません。

人間には、「 時代と共に変わらないもの 」 を求めて来ているという現実も あるんだと思います。


だからこそ、 仏閣や神社を形成したり、 チャペルを作ったりして、「 心の安らぎ 」 を求めているのだと思います。

また 魂としての概念を持っているのも 人間だけではないでしょうか。

少なくとも他の動物では その様な表現方法を持っていないから、 どうしても我々が 真実を理解する事は出来ないと思いますが、 魂としての存在を自分として考えれるのは、 人間以外に 存在していないと思います。


この肉体だけを自分だと思うと、 どうしても 不安の社会しか見る事が出来ないのも事実だからです。

なぜならば、 この物質社会が全てだとしたら、「 消滅した時に 無くなってしまう 」 という、 目に映る現象だけが 本当の世界だと思ってしまうからです。

だから、 消滅する事は 自分が無くなってしまう、 消えてしまう、 自分が残らないという考えが 起こって来るのは 当然の帰結になるでしょう。


そして その事実を見て、 人は消滅する事を 恐ろしいものとして考え、 不安の第一番目に その地位を与えてしまうのかも知れません。

しかし 人の考えは 矛盾に満ちすぎています。
それは、 人は 天国や地獄 という概念を持っているからに他なりません。

それは 消滅させたくない思いが、 その様な概念を生み出した という事も言えるかも知れません。

どこかで消滅を免れたい、 それには 肉体は滅んでも天国がある、 と思い込みたいのかも知れません。

しかし この不安を無くす事が出来ないのも、 現実です。


何に対して 不安を感じているのかというと、 この「 肉体を維持する事 」 に対しての不安です。

仕事が無くならないかどうかとか、 お金が入るのか 入らないのかとか、 この世の物質の増減を 心配しているような感じを受けるのです。


勿論その背景には、 自分を楽にさせたいとか、 自分さえ幸せであれば良いのだ という心とか、 自分中心の事しか考えない「 物事の捉え方 」 が存在していると思うのです。

この考えが消滅しない限り、 人の欲望は とてつもなく広がり、 欲望を止める事が 困難になってしまうと思うのです。


人の欲望は 際限なく広がりますが、 やはりそれは 想像する力が人間に備わっている からだと思います。

この想像力が無ければ、 人間は現実をありのまま受け止め、 その環境の中で 枠を作って生きているだけの存在で 終わってしまっていたかも知れません。

しかし 人間は考える事が出来るので、 考えて行動する事で、 困難を乗り切ってきました。

特に人間は 農作業を楽にしたいための知恵を 沢山追求してきましたから、 天気の事は 特に重要な問題だったと思います。

しかし現在は ロケットを利用して、 人工衛星で 自分の環境を見る事が可能になりました。


高い所から眺める事が出来ると、 それだけ広い範囲を見る事が出来て、 情報が 沢山入ることになります。

低い所から眺めていると、 情報も少なく、 判断するためには もうちょっと高い所から眺める必要があると 思ってしまいます。

何事においても、 判断するためには、 より多くの情報と、 正しい判断力が必要です。

その為にも、 より見識が高くなる必要性がある と思います。


人を救うことと 自分を見つめる事が、 同じ一線上で行われている事だとすると、『 自分を見つめ直す事が 一番大切なことなのだ 』 と 判断できないでしょうか ?

それは、 自分の判断力で 間違っているところがあるとするのなら、 その捉え方が( 判断力を決める ) 考え方の中心になって、 常に判断が間違ってしまう結果になってしまうと、 言えるのではないかと思うのです。

だからこそ、 判断する考えが間違っていないかどうかを、 常に見つめる必要性があると云う事です。

その判断が間違わない判断力であれば、 何事においても正しい基準が 作られると思います。


規準は 常に変化していくものですから、 正しい判断の基準も 時と場合によっては 変化してしまいます。

同じ思考パターンを持ち続けながら 変化しないで考え続ければ、 時代や時節に関わる変化に 付いて行けず、 対応できない 思考パターンの最後は 滅びてしまうのは仕方がありません。

だからこそ、「 常識 」 という範疇も、 常に変化して行かなければならない 宿命があると思います。

それを変化させてはいけない という判断を 持っている人が多ければ多いほど、 それに関係する人々は 心が小さく成ってしまうのは 仕方が無いのかも知れません。


しかし 常識を覆すには、「 自分の変化を認める 」 、「 他人の変化を認める 」 心が必要だという事になるのです。

それを認められなければ、 認められない人が 変化に付いて行けず、 時代に残されていってしまいます。

しかし、 ここで重要なのは、 変化激しい時代の中でも、 常にその中で 変わらないものが在るのです。

それは、 人間としての 魂、精神 というものです。

そしてその 魂、精神 の中心に位置している、「 心 」 という存在です。

それは 自分自身であり、 この心こそが、 自分を動かす エネルギーそのものだ と云う事です。


人の救済は、 人が持ち続けている 考え方、理解力等々の、 今までこれで良いと思い続けて来た「 判断する基準 」 への救済と、 現実を見極める目を養う事にも 関係してくるものと思います。

自分の目の前に横たわっている現実を、 どの様な目で見つめ直すのか が大きなポイントに なっていると思います。

殆んどの人が 自分の持っている考え方に、 固執しているだけだ と思うのです。

そしてそれを「 常識 」 として 判断しているだけに過ぎないので、 自分がどの様に考えているのかが 本当は判っていないだけだと思うのです。

しかし この事実に気が付く人は、 自分で自分を救うことが出来るように成るでしょう。


しかし 他人の意見も聞かず、 考えず、 参考もしなくて 自分は正しいのだと信じ切っている人は、 本当の自分を理解するのが 困難になってしまうようです。

なぜなら、 自分への疑問( もしかして自分は 間違っているのではないだろうか という考え ) は、 自分は 間違っていない、 正しいのだ と信じ切っているときには、 自分に対する疑問など 存在しない、 考えられない事 になってしまうからです。

自分は完璧に 正しいと思い、 思っているのですから、 問題は存在しない という事に してしまうからです。

だから人は、 自分が正しいのだという 増上慢( 慢心する心 ) に心がなってしまうと、 人の忠告が 聞けない自分を作ってしまいますし、 自分に対しても 忠告できる自分を作る事が 難しくなってしまうようです。


心からの友人を作る事は、 本当に大切だと思います。

人生の全てだと、 高橋信次様は 仰いましたが、 本当にその通りだと思います。

自分を理解する必要性は、 自分を「 人として生きる道 」 から外さないようにするために 必要なものです。

それが出来るのなら、 人をお救いする事も 可能なのではないでしょうか ?

なぜなら、 自分が歩む道を利用して、 一緒に その道を歩く事が出来るからです。
そして 共に 助け合う事ができるからです。

だからこそ、 自分を高めていくという事に対して、 自分の魂・心の研鑚 が必要である事が ここに明白と成ります。


人を救いたい人は、 どうしても 自分を見つめ直し、 自我を捨てる事が とても大切なように思います。

この世に残すものは 何も在りませんし、 人は死んだときに、 全ての物質を この地球上に 捨てて行かなければならないからです。
何も あの世に 持って帰ることは出来ません。

理由は 次元が違うからです。
次元は、 三次元の波長ではない波長で 形成されているからに他なりません。

持って帰ることが出来るのは、 私や貴方が、「 オギャー 」 と泣いてから 死ぬまでの間に 培ってきた 心の思いとでも言うのでしょうか、 美しさとでも言うのでしょうか、 心しかない という事なのです。

その心の中身が とても大切な、 重要なファクターに なってしまうのです。


だからこそ、 人は心美しく、 正しく、 強く、 清楚に 生きて行く必要があったのです。

そして この地上での生活が 終わりを告げるときに、 人はお世話になった方々に お礼を述べて帰るのが 理想でもあると思います。

人を救う事は 自分を救う事でもあったのです


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