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Chiropractic  健康はカイロプラクティックとともに 

Chiropractic 健康はカイロプラクティックとともに 

▼理証・文証・現証


予防医学のカイロプラクティック

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理証・文証・現証  真実を証明するにはこの証拠が必要になってきます

理証・文証・現証

「理証」という言葉は、論理的・理論的に物事を証明すること。
「文証」という言葉は、文字に書いて言葉的に証明すること。
「現証」という言葉は、現実的に現して証明すること。

この三つの言葉が一つになり、実体化・証明されて始めて、真実を語ることになります。

この中の一つでも正しくなければ、それは真実を語り、証明することにはなりません。

「矛盾」という言葉があります。
この矛盾は楯と矛という中国の諺から生まれた言葉ですが、宗教的・社会的・経済的・文化的・その他…それぞれの「教え・理論・説明等々」の中に矛盾する考えが入っていれば、それは信用できない信じられない言葉になります。

信用に与えするとか真実だとされる言葉が、矛盾に満ちている時、その言葉を人は理解でき、信じることが出来るでしょうか?

もし仮に理解出来るとするのなら、そこには「盲信」という言葉が適用される事でしょう。


「宗教用語」は特に気を付けなければなりません。
なぜならば人は何事においても、どれだけの理解力で物事を判断しているのかは個人差があるので、何とも言えないところです。

これまで宗教に関して、多くのことを書いてきましたが、どうしても欺瞞に満ちた宗教界に、大きな亀裂が入ることを願っているからでしょう。

亀裂を生じさせるには、信者自身の考えと本人の宗教団体に接する姿勢が問われます。
そして信者がどこまで理解できているのかということも、大きな指標になると思います。

宗教はとても大切な、人間にとって必要な領域だと思います。
領域とは、心の領域。

言葉で言うのなら、神様との接点をどこで持つことが出来るか、ということにも成るかも知れません。

これまでの歴史において、人間は人間としての存在理由を理解できないまま、この歴史を創ってきました。

人を人とは思わず戦いばかり繰り返して、領土争いだけの繰り返しと、侵略戦争の繰り返しばかりをして来たのが現実です。

何ら弱肉強食をそのまま生きた蛮民ということが言えます。
もうこの様な生き方は御免ですし、必要がありませんね。


でも「三位一体」の証明といいましょうか、
理証、文証、現証の認識を高めることで、あらゆる物事を正しく認識することが出来ると思います。

例えば自分にまつわる事件が起こったとしましょう。
その事件で、理証として何を感じ考えるのか、それを反省してまとめて見ます。
そしてその事件のあらましを初めから終わりまで、心静かに見つめます。

その事件で自分はどの様に関わり、相手の人が居るのなら、その人の気持ちに成ってどれだけその事件に関わったのか。

またその事件によって、何を自分は関心を持ち、心のきびすに触れることが起こったのか。

その事件で自分は何を見直すことが出来るようになったのか。

その心の動機と、その時に発した思い、その時に口に出た言葉、どれだけ客観的に自己評価をし、自分を正当化せず自分と他人とを正確に見ているのか。

そして、これらの心の動きと、実際に現れた習慣的に出てくる言葉(当然のように違和感無く出てくる言葉)を、文章に書いて置きます。

そしてその文章を、心静かに見つめ直しましょう。
その文章の中で、きっと何かを見つけることが可能になると思います。
きっとなってくると思います。


高橋佳子さんは、GLAの中で、
このような日々現れては消えて行く心の問題を、テーマに沿って、多くの人々のために、心の開拓やそれぞれの人々の心の発見をしやすいように、指導されておられる方です

毎日起こってくる事件や問題は、その人々に必要だから未来からやってきます。

それはその人が望み望まないに関わらず、関係するものとして、現れてくるようです。
その事実が、現証として現れてきます。

理証と文証によって、裏付けられるのが、現証だとしたら、いつも理証文証を実行される結果として現れ出てくれるものだと思います。

ゆえに、未来は、理証、文証いかんによって、変化して来るという証明でもあるということになります。


未来をどのようなものにしたいのか。
それには個々人の心の思いが深く絡んできます。

そして誰もが「幸せ」を願っていることでしょう。

そして長い年月をこの地球上で過ごすと、「幸せ」というものが移ろい易い現象である事も判って来ます。

移ろい易いものだからこそ、人は「安定」を求めてしまうものだと思います。

長い歴史の中で、人々は「幸せ」だけを求め、心の「平安」を求めているのではないでしょうか?

誰もが「争い」を望む者は居ないでしょうし、「争い」を好んで生きる人は、「拳闘家」「貪欲者」くらいの者ではないでしょうか?

人の心は本当に動きやすいものです。
この肉体をまとっているために、この肉体に受ける刺激が自分の心を動かしてしまうからです。

どの様な刺激を受けても、自分の心を動かさない、動じない「不動」の心を持つ事が出来たとしたら、どれだけ移ろい易いこの世界で、平和を信じながら生きて行くことが出来るでしょうか?


私は全ての人間は、誰もが平和であって欲しいと願っていると信じています。

その世界をしっかりと理解して、自分の心の中に真の平和な社会を築くことが出来たら、
現実のこの三次元のこの社会でも、同じ現象が現れるものと信じています。

真の平和な社会の現実化は「夢物語」として、多くの人々は感じられるのかも知れません。なぜなら実際にその様な社会が今まで有史以前から、創られてこなかったからそう思ってしまっているだけなのです。

でもあの世の世界が平和で心安定した世界だと判ったら、誰もがその世界をこの現実の世界に植え付けたいと思うのではないでしょうか?

そしてその平和な世界で、生き続けたいと願わないでしょうか?

理証・文証・現証、この三つが完全に揃わないと、「嘘」になってしまうのです。

そこには「虚構」しか存在していないという現実を産むことでしょう。



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