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軟弱な者が多い中、学生としてこの日本を見ながら、自分の思いを表明する弁論大会は、その内容の深さを感じずにはおれませんでした。
真剣にこの日本の行く末を考えている発表者の意見が書かれてありましたので、全て読みましたが、彼らに関して最近の若者とは言えない力強い言論でした。 特に中国に対するODA供与の問題を説いた防衛大学の福知 歌子さんの言論は、現国会議員連中の前を行く言論でした。 すでにODAを中国に与える必要がないことを、理路整然と説いている辺りは、オッカナビックリの外交姿勢の外交官ではない感性が生きていました。 また東京大学の武木田 雅大さんの、「日本こそ文明の調停者」の論文は、しっかりと日本が将来に渡って行わなければならない、外交上の鉄則が掛かれてありました。 そしてそれが文明と言う側面から、日本の曖昧さをしっかりと論評されているところは、伊達に東大に入っていないなあと思いました。 この様な日本人が増えて来るのなら、この日本はまだまだ生き延びて行けると思います。 しかし彼らとて、まだ経験が不足している人間ですが、それだけにしっかりとしたビジョンを持つことも可能です。 経験豊かな人達とは違った、余計な判断がない分、純粋に国家を見ることが可能です。 明治維新の時と同じような状況になりつつありますが、実際に若い人達の純粋に人を思う気持ちが、この様な言論につながっているものと思います。 もちろん国家だけを見ているとこの様な論評に成ってしまいますが、彼らが生きている間に、この世界の人達の考えがもっと彼らよりも柔軟に、広く友愛に満ちたものに変わるのであれば、今回の弁論も色褪せたものに成る事でしょう。 人間の存在価値がどのようなものであれ、生命体として生きていて、その自己主張が多種多様なものになるのは当然ですが、時代時代の流れの中でその価値観は変化して行くものに違いありません。 現在の価値観はまだまだ人間として、この地球を自分のものにしようとする感覚が強すぎて、その物、物質的な事柄に心が奪われ、歴史や民族、言語の違いから争いをし続けています。 このばかげた価値観を持っている間は、人間としてこれ以上の価値観を理解することは不可能に近いかもしれません。 理想ではなく、人は全て「お互いに愛し合うことが出来る」ことが理解できない悲しみを持っている間、人は常に己の心の中の闘争意識と戦わなければ成りません。 愛し合うとは動物的愛ではなく、魂としての愛し合うということに他なりません。 キリスト様やブッタ様モーゼ様が言っている通り、全ての魂が一つにつながっていることを理解する意味の「愛する」と言うことです。 この肉体はあくまで仮の姿。 本来の自分はこの肉体を動かしている、その心、意識に他ならないことを、しっかりと理解していただきたい。 その様に切に思います。 誰もが自分だけの幸せを願っているのではないと思っていますが、人間も一人では生きては行けない事をしっかりと理解して、互いに他人としての自覚より、自分と友人である意識を持ちたいものです。 今回の弁論を読んでいて、国家意識が強くなり過ぎている感じもしますが、真剣に日本の行く末を考えている彼等にエールを送りたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年01月17日 10時03分56秒
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