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ココ の ブログ

考える葦(3)



考える葦(3)

 確かに「身内の、それも詮無いことで・・・」と弁解せねばならないような自分史なぞ取るに足らないことだろう。よくも読んでくれたと感謝しなければならないところだ。ボクだったら他人の自分史なぞ絶対に読まないだろう。ところが、日本経済新聞の末面に「私の履歴書」というのがあって、その当時よく読んだものだった。有名人のエッセイ風の自叙伝だから興味のある人物の場合にだけ読んだ。文章は、ゴースト・ライターが書いてくれるので殆ど同じような表現だから読み易い割には表現の乏しいものだったが、その人の物の見方と時代背景が分かるので読んだのだろう。言わば時間潰し程度の読み方だった。

自分史(2)
カルチャー・センターには自分史のセミナーまであるご時世である。

 ところが、どれもが両親のことを感謝し誉めたたえるものばかりだった。「何と幸せな人生を歩んで来た人ばかりだな」と一瞬想ったが、実際の生々しいことを書けば本人は気分が良いかも知れないが読者は読むに堪えないものに見えるだろうし面白くも無いだろう。そこは新聞と言う公器である以上、読者を面白く惹き付ける必要がある。それに人々に誤解をあたえるような文面では折角載せた意味がなくなってしまう。そこは読み物として軽いものにしなければ新聞の売れ行きにも影響する。そんなことを考えれば本当のことは書けないものだということが分かり、どれもが似た薄っぺらいものにしか見えないのも理解できるのだった。

自分史(5)
自分史が書店に並んだところで・・・。

 自分史を自費出版してみようかと想ったこともあった。直接、書店に相談したこともあった。しかし、よく考えれば費用の点よりも「一体、誰が読むのか?」ということに尽きるのだった。特別に面白い内容で軽妙洒脱な文章なら、たまたま運よく読んだ人の口伝えで広がるかも知れないが、万に一つもないことだ。友人と飲みながら自分史発刊の話をしたことがあったが矢張り同じことを言われた。当然のことだった。誰だってそうだろう。そう言えば昨年の秋に近所の主治医が「自分史」的エッセイ集を自費出版したのをくれたことがあった。なかなかの豪華本の装丁で厚さもかなりあったが暇ついでに一気に読んだ。

自分史(3)
自費出版の自分史(1)

 2週間経って常備薬を貰いに行った際にそのことを言うと「ほう、速いですねえ」と感心された。「なかなか面白かったですヨ」と誉めてから「ボクなりに読後感を書いておきましたから、ついでにお読みください」とブログのプリント・アウトしたものを数ページ渡しておいた。他人の自分史についての感想は初めてだったが、当たり障りのない誉め方をしておいた。先生は読後感を気にしていたのか直ぐに読んだらしく、待合室で薬を待っている間に診察室から出てきて「読後感」の読後感を一言述べた。「○○さんはブログでエッセイを書くのですか。なかなか楽しそうなものですネ」とブログに興味を持った風な言い方をした。

自分史(4)
自費出版の自分史(2)

 そして「実は、自費出版の費用ですが、此処に書かれている見積もりの約半分ほどで済みましたヨ」と付け加えた。幾ら位に見積もったのか忘れてしまったが少しばかり高い目に書いておいたのは確かだった。高い目に設定しても悪い気はしないだろうという配慮もあった。折角のエッセイ集ながら矢張り売れない書籍の部類だけに労をねぎらう意味で何か誉めることもしておかないと贈り主に悪い気がしたのもあったのだ。先生にすれば余計な配慮だったかも知れない。それよりも内容についての批評が欲しかったのかも知れないが、矢張り自分史というものには他人が口を挟む余地が無いといことを反面教師としてボクは理解したのだった。(つづく)

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