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ココ の ブログ

建築家45年(8)

建築家45年(8)

 ボトルに酒が半分残っているのを見て「もう、半しか残っていない」と感じる人も居れば「未だ、半分も残っている」と想う人もいる。前者は危機感に敏感な人で後者は楽観論者と言える。アフリカ市場に靴を売りたい会社が二人のセールスマンに現地調査をさせたところ「半分の人が裸足で生活をしていました。そんなな国では靴なぞ売れる訳がありませんヨ」という報告と「半分の人が裸足で生活するような国でした。絶対に靴が売れるに違いありません。有望な市場ですネ」という正反対の報告があった。果たして会社はどちらの報告を採用したかは言うまでも無い。人は希望の持てる報告に満足する。しかし、常にリスクがある事も考慮しなければならない。有能な経営者と言うものは経営会議で99%賛成若しくは反対の案は要注意だと判断するという。逆の様に聴こえるが、それが常識なのだ。

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 1%の反対意見を真摯に聴き、本当に大丈夫なのかどうか独りで決めなければならない孤独な社長は、烏合の衆の意見なぞに振り廻される事は無いという例え話である。異口同音に皆が同じ様な意見を言うなぞ、どうでも良い意見なのだ。そんな事は百も承知で訊いているのである。当然ながら失敗は自分の責任である。責任回避するような昨今の経営者には耳が痛いだろうが、大抵の案は石橋を叩いて渡るほど慎重に検討されるから出来れば反対意見を言って置けば万が一失敗した場合に「だから言ったでしょ?」と逃げられる。常に逃げの事しか考えないのは役人の性分である。ところが民間会社では逃げてばかり居れば会社は潰れるか飛躍的な発展はしない。リスクをどうやって回避するかを検討した上で立ち向かわねば成功は覚束ないのである。建築設計でもそれは言え、難問をクリアするのが基本である。

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 其処に土地がある以上、其処に最適な建築が建つかどうかは建築家の判断に依るところが大ではあるが、そもそもその土地が何故そこに在らねばならないのかとか何故そこで無ければならないのかという基本条件はクライアントが先に決めてしまうので建築家が最初から参画していなければ分からない事だ。最初から土地を探す事も建築家の仕事として任されれば話は別だが、そういう事例は半分も無い。だから与条件としての土地を最大限に有効利用する事こそ建築家の仕事となる。一般的には仕事が欲しいから設計を頼まれればホイホイと馳せ参じるのが建築家の仕事の様に想われる。確かにそういう建築家が多い。残念ながら日本ではサービス業に分類される業種だから、クライアントは口では「先生、お願いします」とは言いながらも建築家を顎で使うものだと心得違いしている場合が多い。

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 声が掛かれば、嬉しそうに行くのは芸者だけで良い。愛想の良いのは悪い事ではないが、決して男めかけのようにベタベタするのは見っとも無い。かと言ってお高く止まっていれば仕事は来ない。余程有名な大先生ともなれば役人が仕事を持って来てくれるかも知れないが、今時そういう事は先ず無い。箱モノ行政の時代は20年ほど前に終えてしまったのだ。今は古い建物を耐震補強をして何とか持たせようとする時代である。コンペというものも近年余り聴かない。大手の設計事務所の職員に成らずに独立するなら精々、個人の住宅設計でもして息を繋ぐしか建築家の道は無い様である。それが案外、建築家の原点であるのかも知れない。赤ひげのような町医者的存在の建築家が増えれば、日本の住宅建築のレベルも国際的に高いものになるだろう。今の住宅は余りにもお粗末なものが多過ぎる。

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 何度も繰り返して申し訳ないが、街の景色も観慣れて何とも感じない人が多く、程度の低い住宅が並び過ぎている。それが目障りで、国際マラソンの実況放送を観ていて街の風景の綺麗な処というのが余りにも少ない事が分かる。大都会なら住宅は少なくビルが多いから気にも成らず、面白味も無いが、郊外に出れば一目瞭然である。欧米の街並みと比べれば説明を要しないぐらいだ。かつて成田国際空港が出来た当初、東京へ行く途中の建物風景が見苦しいからと道路に塀を設けて隠したという。中国でオリンピックが開催された折、北京市内の古い住宅街を塀で隠して順次取り壊して行ったのを我々は非難し笑いもしたが、それと同じ事を日本もやっていたのである。他人ごとでは無く他山の石とせねばならないのだが、それにしても住宅の美的感覚が低く成り過ぎているのが問題である。笑いごとでは無い。

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 何故そうなってしまったのだろう。小さく共こじんまりとまとまって清潔感のある町屋(しもた屋)が町の風景だった明治・大正時代の風景は、今では京都や鎌倉の一部にしか残っていない。戦後、荒れ放題になった街は、てんでバラバラな建物に成り、新建材が幅を効かせて我が物顔で表舞台に出て来た。古く成っても素材の美しさを保つ自然素材の木造や石や金物は小まめに掃除し手入れされ歴史の重みを感じさせて来た。が、新建材は紫外線に当たれば劣化が早く進み、みすぼらしく汚ない素材にしか成らないのだ。意匠的にも考えたとは言えないデザインで平気な顔をして仕上げだとする。プラスチック系統の素材は軽薄すぎてキャバレーの様だ。ガラスやタイルや石は高熱処理されているから劣化はし難く、使い方次第では良いデザインにも成るのに、下手な使い方をすればスラムにも成る塩梅である。(つづく)

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