建築家45年(10)著名な建築家に成るか成らないかは勿論才能が左右するるのは言うまでも無いが、ボクの友人で非凡な才能があるにも拘わらず世に出ず埋もれている建築家が何人も居る。逆に言えば、それが普通なのである。先述した五つの役割を持った人物というものはそうザラに居るものでは無い。俗に一芸に秀でた人は他の分野でも秀でると言われる様に多彩な才能を持っているものである。多彩な才能が無い人が幾ら頑張ってみても運が無ければ世に出る事も無くひっそりと暮らすだけである。尤も、それで良しという人も案外多い。何も著名に成るばかりが建築家では無いからだ。赤ひげのような町医者的立場でコツコツと地道に個人住宅ばかりを手掛けている人々が居るからこそ日本の住宅も何とかスラム化せずに存在しているのだろうし、地道に町の文化の一端を担っているからこそ地方文化が在るのだ。 ところが最近では地方都市の商店街は久しくシャッター通り化してしまった。大規模店舗が小さな店を飲み込んでしまうのである。お蔭でひっそりと静まり返った街はかつての繁栄が嘘だった様に老人の街になってしまい、若者は殆ど大規模店舗か近隣の都会へ出て行ってしまう。若者にすれば活性化しない街ではロクな仕事に就けず生活も満足に営む事が出来ないからだ。将来の展望も見えない処でくすぶっているより都会へ出て華やかな生活を夢見たいのは人間の欲望でもある。止むにやまれず仕方なく出て行かざるを得ないのだ。誰もそれを止める権利は無く、それに替わる案も今のところ無い。かつての悲壮な集団就職風景とは違った別の意味の暗い光景が春の卒業時には観られる。総て政治が悪いからこうなっているとは言わないが、日本の社会構造が変わらざるを得ない状態に迄追い込まれている。 日本の社会構造は二極化の方向に向かって居ると言われる。それは世界的な傾向でもある。原因はアメリカの真似をしているからだ。しかし、巨大な覇権国も斜陽化し、今やデフォルトになる寸前である。それでも守旧派はアメリカ、アメリカと騒ぐ。TPPにしても最初にアメリカ在りきで、始めから参加賛成の方向に向かって居る。「お前はアメリカの子分か!」と言いたくなる政財界人が多過ぎる。ロクに検討もせず賛成だと言う人々は自分の所属する企業や団体だけを見て言っている。交渉してみなければ分からないと言うが、事前に考えられる懸念だけでも払拭し対抗策を講じておく事こそ交渉の舞台に立てるのだ。何も対策を取らず単に自分の関連企業や業種だけしか考えない人は交渉の資格が無い。参加反対の人々の同意を取り付ける事なぞ微塵も考えていないのである。 総ての分野や人々に有利な国際条約なぞ無いのは当たり前でも、自国に有利な様に交渉し相手国にも同意させるのが外交政治の手腕である。日本人は交渉する前から腰砕けになっていると見做される事が多い。特に戦後はその連続であった。対米、対ソ(今では対露)、対中と例外なく相手の方が有利に進んで来ている。事前に国内で威勢の良い事をペラペラ言う政治家なぞ国民は誰も信用していない。ヘビの前の蛙のように相手のペースにはまるのは今に始まった事でも無いからだ。力づくで交渉する手段は戦前の戦争状態で勝って居た頃の話である。軍隊を持たず戦力にも成らない自衛隊では相手はビビる事なぞ無い。だからこそ憲法改正をして国際的に同等の立場で交渉事が出来る体制にしなければ何時まで経っても日本は弱腰と見做されるだけだ。文民統制が取れて居れば戦争なぞ今の時代の日本では考えられない。 軍事力はいざという時の保証の様なものである。言わば自宅のドアの錠前を二重にも三重にも掛けて置く様なものである。備えあれば憂えなしである。憲法改正の問題は先の大戦で国民がトラウマになっているので微妙な問題だけに軽々には論じられないが、基本的には先述した理屈が世界の常識である。戦後の平和ボケした能天気な国民にはボクの言う憲法改正論は過激に聴こえる人も居るだろうが、冷静に考えて欲しいものである。目には目を、歯には歯をの思想が国際間のルールであるからだ。日本だけが憲法9条で軍備を持たないとする国は珍しく独りよがりな処がある。だから国連軍として自衛隊を既に参加させて既成事実を積み上げて憲法改正の準備をしているのだとも言えるが、そういう姑息な手段に拒絶反応を示す国民も多い。堂々と正面から国民に問うべき問題である。 国は国民が守ってこそ愛国心が芽生えるものであって、外国の誰かに守ってもらっている内は妾のような存在でしか無い。一人前の顔をして国際舞台に出るなら堂々と胸を張って主張すべきは主張し、国際間のトラブルにも口を出さなければ、金だけ出して解決しようとするなぞユダヤの金貸しシャイロックでもあるまいに恥ずかしくないのだろうかと想ってしまう。そうでなければ相手国は表面上は紳士的に綺麗事を言ってくれても心の底では蔑視しているものである。そういう関係は金の切れ目が縁の切れ目とする芸者やバ―のホステスと何等変わらない。そろそろ国際間で武士道精神を発揮し、新渡戸稲造の言う武士道を取り戻して尊敬される国になるべきである。東北大震災の津波や福島原発事故で同情されているのは今だけで、もうニ三年もすれば忘れ去られ、好き放題を言われるだろう。(つづく) ←ブログランキングに参加中です、クリックをどうぞ! ジャンル別一覧
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