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ココ の ブログ

寂しい人生と楽しい人生(4)

寂しい人生と楽しい人生(4)

 「寂しい人生と楽しい人生」とは、個人レベルで観れば価値観も違えば善悪の基準も人それぞれだから決定的な定義受けは難しいが、そういう小さな範囲での観方ではなく、もっと広範囲な誰にでも受け入れられる定義付けをするなら宗教がその役割をしている。しかし、世界的に観れば、キリスト教と回教とが対立し、キリスト教の前の段階とされるユダヤ教がそれらの火種を作っていることが分かる。実に少数民族でありながらユダヤ教は世界の富の大半を牛耳っているのだから世界に影響力がある。それでも人口的に圧倒的に多い仏教徒は(インドにおける諸々の宗教も仏教と観れば)キリスト教にも回教にも与しないで独自の世界観で生きているように観える。その心の隙を縫って経済という物質宗教(マネー)がはびこる。

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 世界の富から離れているやに観える仏教は、ユダヤ教やキリスト教の言う富(マネー)を本当の富(幸せ)とは観ていないから価値観が違う。つまり物質宗教(マネー)で世界を動かせるとする連中は、物質宗教の教祖(マネー)が無くなれば脆くも瓦解してしまうのである。今のアメリカがそうだ。ドルだけがマネーとして来た支配がニクソン・ショック以来今日まで、保有する金地金の十倍以上のドルの多発行でいよいよ首が回らなくなって信を失い、世界はBRICによる多極化を引き起こしつつある。それでも欧米は最後の砦のようにあがいて回教国が産する石油でドル・マネーを維持させようとしている。彼等にすれば今の世界的混乱の原因は其処にあり、福島原発事故の放射能問題の比どころではないのだ。

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 我々日本人にすれば福島原発事故の放射能問題こそ火急の問題だが、連中にすれば単なる金もうけの一環にしか観えない。だからこそアメリカもフランスもいそいそと駆けつけ「どうぞ我々を使ってやって下さい」とばかりにシャアシャアとした笑顔でビジネスをする。ヒロシマ・ナガサキの核爆弾投下にようる被爆実験が実証するように実際に其処に多くの人々が住み生活している現実があり、それを観察した彼等をしてビジネスに走らせるのである。何の事は無い、放射能なんてものは数十年もすれば消えてしまうのだと言わんばかりの対応である。日本政府高官も官僚も経済界も似たり寄ったりの考え方で、次なる原発の復興計画(プルサーマル利用によるトリウム原発)にシフトを向けようとしている。

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 与党も野党も政治家という生き物は国民に向けて同情を引くような事を言いながら、実は自分の保身にばかり汲々としオドオドしながら国民の顔色を覗っている。そして如何に税を絞り取るかを考える。国家存亡の時に与党も野党も無いという言い方で与党は自分の無能ぶりを開き直る。馬鹿が開き直る事ほど、どうしようもないものはない。国民は非常に迷惑しているのだが、その大半の国民が支持したのだから反省し、真の政治家らしき人物を選び直すしかない。が、人は立場が変われば言う事も変わるのである。今の与党がそうだった。当選するまでは好い事づくめのマニュフェストをかざし、当選すれば「実は出来ない事まで書き込んでしまった」と白状せざるを得なくなって政権維持に汲々としてしがみつく。

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 野党は野党で自分達が撒き散らした諸悪の根源を刈りもせず、都合の悪い事は黙して語らない。「我々の施策を押し進めるか、路線変更をして良い政治が出来るのならどうぞ」と見守るだけだ。国民がどうなろうと自分達の知った事ではない。国民に勉強してもらうしかないとうそぶくだけである。何と無責任な商売だろうと今更怒り狂った処で、彼らには馬耳東風、蛙の面に小便である。そんな事は最初から分かっていた筈である。だからこそ寂しい人生を選ぶか楽しい人生を選ぶか考えた筈なのではないか。今更泣き事を言わず黙々と自分の信ずる処を進むしかない。それが純朴な国民の生きる知恵なのだと割り切る事だ。しかし、ボクは嫌だ。ボクは少数派と罵られようとも我が道を行くだけなのだ。尤も、少数派は孤独だ。

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 そして少数派は寂しい人生を選んでしまいかねない。しかし、実際は人間は寂しい生き物なのだ。万物の霊長と意識しだした頃からの人間の宿命になってしまった。常に外敵を意識しながら生きて行かねばならない自然界の動物は生きんが為には弱肉強食の世界に留まらざるを得ない。しかし、人間は火を扱う事が出来、様々な技を身に付けたが故に万物の霊長になれたのだ。その自信が大自然との闘いに勝てると想い込むようになる。その驕りが大災害となって自分に返ってくるのである。自然を畏敬し、自分なりの能力を知り、応分の生活をしていれば現代のような大災害は起こらない筈である。尤も、起こりうる災害を予測して避難する方法なら幾らでもある。更に進んで防御出来れば有難いが、人間は直ぐに増長してしまう悪い癖がある。(つづく)

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