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ココ の ブログ

梅雨の晴れ間(6)

梅雨の晴れ間(6)



 対人関係は人間が生きて行く為には必要不可欠な要素であるだけに、その事で悩んだり喜怒哀楽をモロに出すのは個人差があるのは当然だが、基本は人間愛の上に成り立っている筈のものだからそう難しく考えるのはナンセンスだ。幾ら人間嫌いの人でも最小限の人との交わりはあるから、生活して行く上で不便で無い限り自分流で通したいと想うのも少しは理解できる。しかし、それでは余程の才能が無ければ人は相手にしてくれない。キラリと光る才能があれば希少価値からもてはやされるだろうが、そうでないとダウン症の人と変わりが無い。つまり、不自由な生活を送らねばならないという事に成る。それでも良いという人はそれで行けば良いが、人に迷惑を掛けないというのが根底になければならないのは当然の事である。

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 その点を誤解している人間は多い。うちの愚息もその一人だ。そういう事が自分で分かり出すと多少は自己修正できるだろうが、忠告を聴く耳を持たない以上、進展は見込めない。そういう人間は、ずるずると泥沼に沈んで行き、どん底まで行きつかないと気がつかないだろう。だからと言って助けてくれる人も限られる。今の処は母親だけだろうが、友人だって表面ズラしか観て居ないから綺麗事しか言わないだろう。ジョハリの四つの窓に早く自分で気がつけば何とか反省もするだろうが、以前にそれも言ったが全く頭に残っていないようである。つまり頭から父親にコンプレックスを持ち拒絶反応しか無いのだから他人以上に処置が悪い。何処か精神道場へ行って研修でもすれば良いのだが、妻が言ってもそれも嫌がるらしい 。

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 他所の事を言っても始まらないが、今時の若者は・・・と言った処で教える親自身が若者以上に輪をかけて成っていない場合が多いから、つい学校に頼る事に成り社会問題になっている。家庭でロクな躾も出来ていない若者は学校でも身勝手で好き勝手な行動をとる。所謂問題児が多いのだ。例えば給食費を払わない家庭が問題になって調べてみると、親は外車に乗っていたりして決して生活貧困な訳でない場合が多々あるという。そこで学校側が給食費を請求すると逆に「そんな金は国で面倒を見るのが当然だろう」と捻じ込むと言うから驚く。そういう親に育てられた若者は、それこそロクで行かないだろうが、逆に、反面教師として親をジッと見ている子も居る。そういう子は賢明に人に迷惑を掛けないように生きようとする。それが分かる教師なら良いが、十羽一からげで観る教師は他の問題児と同じように扱ってしまう。

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 その事で想い起こすのは3年前と昨年の二回参加した小学校の同窓会だ。3年前の参加は実に51年ぶりの再会だったから老人の顔に変貌した同窓生を卒業アルバムの写真と比較しても分からない相手が殆どだった。しかし、宴もたけなわに成ってくると次第にかつての面影が蘇って来て自然にため口を叩けるようになって来ていた。その時、一人の女性が、ボクに「あなたは良かったわネ、先生に贔屓してもらえて」としみじみと言ったのだった。ボクは相手の顔をジッと観て、彼女が先生に軽く見られていたなんて考えても居なかったから「そう?ボクは贔屓されていたとは想わなかったけど、母親がPTAの会合によく顔を出していたから・・・」と往時の状況を想い出していた。確かに母はよく学校に来ていた。

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 高級な着物や流行の洋服を着込んで参観日やPTAの会合には必ず出席していたから派手な事もあって教員仲間でも有名な存在だった。それで贔屓にされたとは想っていなかったが、他の生徒達からすれば特別扱いされている風に観えたのかもしれない。ボクは母親が学校に姿を見せる度に恥ずかしい想いをしたものだった。そういえば羽振りの良い家の子がクラス毎には数名居たから、そういう連中だけは今想えば案外贔屓されていたかもしれない。ボクが考え込んでいると彼女は「お母さんは元気?」と訊く。ボクは学生時代を終えると親とは離れ、独り暮らしの青春を送り、結婚後も疎遠にしていたから「まあネ」と曖昧に応え「学校時代は教育ママで迷惑したけれど、もう85歳だから完全な老婆だ、昔の元気は無いヨ」と続け、最近は何時会ったかと考えていた。

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 その母も昨年に亡くなり、父は二十数年も前に亡くなっていて、今度はボク達夫婦が晩年を迎える年頃になっている。想えば人の一生なぞ短いものである。同じ事の繰り返しがその家の家訓のようなものになり、出来の良い者や出来の悪い者が織り交じって家系というものが続くのだ。亡くなってしまった者を想い出すと良い印象だけが浮かんで来て悪い事は次第に薄れていく。それは生きる為の知恵なのだろうが、そうでも想わないと人間やっていられないのだろう。だから今生きている人間の悪い面を如何に是正して行くかで人々は思い悩むのだ。子が親を乗り越えてこそ親は喜ぶものである。しかし、親よりも低い目標や成果しか挙げられない様では情けなく想う親も居るだろうが、それは仕方が無い事だ。何を基準で判断するかで人生は変わる。それこそ本人の器量に依る事だからである。

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