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ココ の ブログ

活性化とは?(8)

活性化とは?(8)

 外柔内剛が日本外交の政治姿勢だとよく言われる。それも連合国(第2次世界大戦の戦勝国)には弱く、アジアには不遜な態度で臨むという。何故、アジアに強気でいられるのかは戦前の日本の姿勢を見ればよく分かる。しかし、戦後も66年も経てば戦後とは言わないから、敗戦の苦しみを忘れ戦前の考え方が何時の頃からか亦復活しているらしい。アジアの同胞に不遜で、西欧に卑屈なのは日本人の白人崇拝主義が明治期以来、未だ続いているようである。特に原子爆弾を2発も日本に落としたアメリカには卑屈な程へりくだる。先の原油備蓄の放出もその現れである。沖縄の米軍基地の問題にしても思いやり予算(実質的な賄賂)を付けてまで居残って欲しいと外務省がアメリカ様よと平身低頭している。

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 だから逆にアメリカの方から東北大震災と福島原発のメルトダウンで日本経済が疲弊している現状を憂えて気遣う発言が出たりする有様である。外務省の事を国賊官僚の巣であると言った人が居た。伏魔殿と言った人も居た。アメリカも大不況なのに原油備蓄を大量に放出せざるを得ない理由は、中東のオペックへの対抗手段もあるだろうが、とってつけたような表向きの理由なぞではなく真意は大統領の人気浮揚策に過ぎず、アメリカの中流社会にガソリン値上げの評判が悪いのと、先日も述べた中国経済の超インフレを助ける為のものだろうとも言われている。何故なら、日本だけでなく中国経済に巨額を出資している外資を守るには助けざるを得ない訳である。しかし、一ヶ月間の放出でも備蓄は大分無くなってしまう。

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 だから直ぐに補充しなくてはならない。その費用負担を考えれば一層の財政負担になり不況を助長するだけである。それでも政府は自国を護る為には大金を投じなければならない時がある。今の日本がそうだ。それなのに補正予算と称して、1次、1.5次、2次、3次(予定)と小分けにして貧乏人の銭失いのような効果の薄い使い方をする。国家予算という大規模な金額の配分をやった事のない連中がミクロな見方でしか判断がつかないのか、マクロな金の使い方が分からないせいで未だに原発事故の終息の姿が観えないのだ。だから貧乏人は駄目なのだ。自民党のような金にルーズな連中も駄目だが、民主党のような貧しさを美徳とするような連中が俄かに金を持つと手が震えて使い方が分からないのである。

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 その中間のような連中が官僚である。毎年、国家予算からむしり取った天下り先への予算を自分達の懐にする小物連中の彼等は長年の悪癖を既成事実として太平楽を決め込んで来たのだった。これからも既得権を守る為に必死に成って政治家どもをたぶらかす事だろう。要するに、資金が枯渇すれば税金を充てれば良いという発想である。消費税もその一つである。国民から広く薄く集めた金は莫大な額に成る。何せ、1億人からの人口だ。一人1千円だけでも1千億円にもなるのだ。消費税1%は2兆円になるというから笑いが止まらない筈である。集めた税金は官僚の使い放題なのである。自分達が国を動かしているという自負は、馬鹿な政治家連中を見れば分かる。言いなりに成る政治家は可愛いのだ。延命工作も可愛いものだ。

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 かくして日本はボロボロになりながら恥も外聞も構わず突き進んでいる。突き進むべき道が正しければ時間を掛ければ何とかなるだろう。しかし、今の世の中の動きは敗戦後の日本の空気よりも活気が無い。そう活性化していないのである。夢が無いから目標が定まらないのだ。上がいい加減な姿勢で居るから下までが同じようにいい加減なままで居て「これで大丈夫なのだろうか」と上目遣いで動くのだ。夢も希望もなくした国家は死に体である。それに似た現象は「八百長はありませんでした」とか「暴力団はお断り」と相撲協会が発表しても人々は信じず「まあ、そんなもんだろう」と斜視で観ながら体質が変わらない事を肌で感じているのと同じである。言わば刹那主義である。鎌倉時代と似ている。今こそ、救国の師が現れるのを民衆は心を活性化して待っているのである。

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 活性化とは何か?とボクはこの一週間考え続けて来た。つまり心の活性化は行動になって現れるから人々が情熱を持つ事が出来るものは何かと考えたのだ。今のように情報過多になれば余分な情報の氾濫で真実が観辛くなっている。その交通整理をしながら人々は真実を求める。様々な現象に振り廻されながら失敗し痛い目に遭いながら残ったものの中から之だけはと想えるものを人々が手にした時、初めて方向性が見出せるのだろう。失敗は成功の母という。諦めずに信じられるものを模索しながら、何れ救国の師が現れるだろうという淡い希望を持ち続けるのだ。その気持ちを持続させる一つの方法が祭りだったと想う。祭りの最初は、雨乞いや無病息災や五穀豊穣を願った。その願いが一つになって社会を動かし国家を動かしたのだ。今の時代、そういう動機が活性化の種になる時ではないだろうか。

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