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ココ の ブログ

異常社会(6)

異常社会(6)

 必ずしも両親の離婚が今回の様な殺人犯を生む要因に成る訳ではないが、子供には精神的に大きな負担やハンディキャップに成る事は疑う余地の無い事実である。そして貧困では無く、逆に裕福である場合は複雑な問題を抱える事に成る。何故なら、貧しくて若くしてあくせくと働かなくてはならない環境に居た場合は、多少は社会性から観て精神的にいじけていても何とか頑張ろうとするものであるが、なまじ金があるとそういう生活面での苦労が無いから、不満のはけ口に親を恨んだり世間を偏って観る様になるからである。全部が全部そういう訳では無いにしても片親が自分の子に世間並みの親で無いという負い目があるから甘やかせてしまう。そこで子供は長じるにつれて自分の立場を考え、自分なりの世界観を創ってしまう。

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 上手く良い方向に育ってくれれば問題は無いが、偏った考え方になってしまった場合は反社会性を帯びた性格にならないとも限らない。まともに両親が揃って居ても犯罪者になる場合もあるぐらいだから、自分のハンディキャップを恨んでグレてしまった場合は、誰か良い相手に巡り合って感化されるとか自分で立ち直る以外は難しい。グレる子供は何か心に不満を持っているもので、その不満が解消されないままだと何れ何かの拍子に爆発する事もあるだろう。ボク個人の事例で言えば、ボクが中学三年の時に両親が離婚したせいで受けた精神的なショックが大きかった。それで一時グレて不良仲間に入った事があった。しかし、立ち直りも速かった。高校受験に没頭するようになったからで、親のせいで馬鹿な事をしていては自分が損だと想ったのだ。

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 お蔭で余計な事は考えず、受験勉強に集中し目標の公立高校に上位で入学できたのだった。その代わりボクの心の中からは父親は亡くなったも同然で消えてしまった。母も似たようなものになって、ボクは母子家庭というよりも下宿人のような立場になった。三つ下の妹も精神的なショックのせいか其れまでの活発な性格が消え、高校へ行くようになってからはグレ始めたようだった。その頃はボクは大学生になっていて家には殆ど居なかったから妹にも構ってやれなかった。要するに一般家庭というものが破綻してしまっていたのだった。あれから50年ほど経って様々な事を経験し、ボクと妹は別々の人生を歩んできた訳だが、当時を振り返ってみて、もう少し妹に構ってやれば良かったのではないかと反省する事がある。

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 しかし、結果論では何でも言える。当時は自分の事だけで精一杯だったのだ。無責任な両親は、生活さえ経済的に何とかやって行ければ子供なぞ勝手に育つと想ったのか、精神的には家族全員がバラバラの状態だった。「よくそれで不良にならずに行けたものだ」とボクの友人達は言うが、世の中にはもっと悲惨な状態の人々が居るという事実を何となく感じていたし、人は人、自分は自分として両親を憎み続け、大学を卒業すると家族とは没交渉のまま自分の世界を構築して行ったのだった。多分に、それは個人の性格に依る処が大きいだろう。ありふれた三面記事になるような事件を起こせば自分がどうなるか分かっていたし、世間体も考え、何とか世間並みの生活が出来れば充分だった。

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 が、充分とは言え、若者に在りがちな欲望は人一倍あったし、単純にサラリーマン生活だけで満足出来る性格でも無かった。それは父親も母親も派手な性格で生活もそうだったから子供時分から自分の家庭が世間よりも違っている事は自覚していたし世間もそういう反応で一目置く接し方をしていたのだった。そのせいか地味な生活は理屈抜きで合わなかった。友人間の付き合いも意識せずとも派手に成りがちだった。それなのに、今も続いている友人関係は、同窓生は別にしても、学生時代から青年時代にかけてボクと似た境遇の一人の男だけである。彼は青年時代に東京で所帯を持ち、今は悠々自適に暮らしていて孫も居る。毎年のように京都に墓参りにやって来ては、ボクと二人で花見をするだけの付き合いだ。

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 彼とは多くを語らなくとも以心伝心のように何を考えて居るか分かりあえる。青年時代に京都と東京とに別れ別れになって夫々の生き方をして来たが、東京へ遊びに行っては彼の下宿先や家に寝泊まりし、単身赴任の頃は新宿でよく飲み回ったりもした。たまたまそういう交友関係があった事もボクには幸いしたのだろう。両親を恨んだ事もやがては過去の想い出に成り、結婚後も疎遠ではあったが、かつてのような激しい感情の起伏を抱かないまま淡々と遠い親戚のような状態で居られた。異常と言えば異常な親子関係だったかも知れないが、自分の身に背負わされた宿命として割り切っていたのだった。だから結婚して出来た自分の家庭だけは両親のようなものにはしたくないという気持ちだけは強かった。(つづく)

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