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ココ の ブログ

諦観(8)

諦観(8)

 要するに、時間は止まらず、世の中の流れに翻弄されながら我々は自分の夢を実現させるべく頑張っているのだ。が、頑張りようにも限度があって、賢い人は最初から自分が分かっているから程々の生き方をする。それだけに大怪我はしないものの、無難な生き方をするから大化けする事もなく、運が良ければそこそこの人生を歩むだけの事である。だから人生は運で決まると前にも書いたが、それは神様が決める事なので神様に気に入られる生き方をすればチャンスは向こうからやって来ると想うのだ。神様に気に入られる生き方とは出来るだけ自然な状態を保つ事だが、案外難しいもので、人は人に影響を受け易い生き物だから、相手が良い人なら良いが、良くない人の場合は神様の望まない方向に向いてしまう。

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 現代社会が神様から程遠い社会である事は誰もが知っているから、出来るだけ自然に近いものを人は望む。食べ物であったり住まいであったり環境であったりする。着るものまで自然素材にこだわったりする。自然素材でなくとも機能性がそれに近い繊維や材料や建材を用いる事もある。8年前にリノベーションした我が家の内壁には珪藻土の壁を塗りまわした。漆喰にしようかと想ったが、身体に良い自然素材だという事だったから飛びついただけの事だった。所謂、我々夫婦はミーハーだから良いと言われれば直ぐに飛びつくのだ。暖房は出来るだけ空気を汚さず人に優しいものという事で電気式の床暖房を取り入れた。流しにはアルカリイオン浄水器が取り付けてあるから水道水が美味い。スコッチの水割りもそれで出来る。

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 手洗いも光センサーで蛇口から水が出るからカランも無い。夏場は各室の空調機が涼風をなびかせてくれ、壁の扇風機が空気を撹拌し効率の良い空気が漂う様に成っている。電力会社の下請けでは無いのだから節電なぞ気にせず無関係に好きなように使って快適な生活を味わって居る。しかし、それは電気のお蔭で出来る事であって電気が無ければたちまち不便な生活になるという事だ。仮に機械による冷暖房設備の無い田舎で生活をするようになるとすればお手上げだ。今更、不便な生活に戻れないという事は、疑似自然の生活ではあっても本来の自然の生活とは違うから身体が軟弱化してしまっているのだ。過保護な環境のせいで抵抗力が弱まった身体は過酷な暑さ寒さには適応し難いのだ。

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 暑い中や寒い中ををウォーキングして汗を流したり足腰を鍛える事は今では御無沙汰になってしまった。歩く距離の度が過ぎたせいか、それとも他に何か原因があったのか原因が分からないまま片方の耳が突発性難聴になってしまったからだった。それ以来、4年近く不便な生活を余儀なくさせられている。無理はいけないとウォーキングを止めゴルフも夏場は止めた。熱中症になって倒れては何にもならない。人に迷惑を掛けるだけでなく自分の生き方に疑問を抱く事になってしまう。そういう体調になった事が、つまり老化現象の現れと自覚すべきなのだ。にも拘わらず何時までも若い積りで自分の現実を知らずに行動する事の危険性を知るべきなのだ。人生もっと己を知って楽しみながら生きるべきなのであろう。

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 総括すれば、それが自然を知る第一歩という事なのだ。自然の中で生かされているのだから、自然を知らずして簡単に生きて行けるという考え方は無謀であり傲慢でもある。人間は何時からそういう考え方をするようになったのだろう。科学文明の発達で人間は地球をコントロールできると勘違いするようになってからの事だろう。狭い了見で総てを知った積りになった愚かな人間は今や自然からしっぺ返しを受け、雨・風・気温・台風・地震・津波に翻弄されているのである。それでも人間の知恵がそれを乗り越える事ができると信じている。それよりもタチが悪いのは原子力をもコントロール出来るとしてそれを使いだし暴走させ止めるどころか振り廻されているではないか。「何でもあり」の社会にしたのは人間だ。

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 「何でもあり」が散見されるのは気象や原子力のせいだけではない。人間が総ての原因なのだ。だからと言ってボクは人間を否定する訳ではない。馬鹿な生き物だからこそ己の無知を知って謙虚に生きるべきなのだ。畏敬の念を持つべきなのだ。地球上で人間が一番偉いのだという考え方を捨てるべきなのだ。そうすれば神様が微笑んで道を指し示してくれるだろう。そう考えると、青雲の志も軌道修正し、目標設定も変える事も可能なのだ。それは弁解でも誤魔化しでも無く、無知だった己を恥じ謙虚になれば良い事なのだ。賢い人間も居れば馬鹿な人間も居る。自分が賢い側に廻りたければ謙虚になる事だ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」とはよく言ったものだ。死にたくなければ馬鹿を乗り越える馬鹿になるしか無いのだ。(つづく)

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