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ココ の ブログ

諦観(10)

諦観(10)

 崖から落ちかけて死にそうな目に遭う時とか生命の危機が迫った瞬間にバ―ッとスライドのように過去の場面が観えるというが、ボクも一度そういう目に遭った事がある。40歳頃の事だった。車で、対向車とあわや激突して死ぬのではないかと恐怖に襲われた数秒の出来事だった。衝突する僅か50cm位のところで奇跡的に交せて助かってホッとする直前迄の僅かな時間だから相手は別として、付近の人は気付かない一瞬の事だった。助かってそのまま走り去ったが、興奮していた為、停車して対向車に文句を言う気も起こらなかった。そのスライド場面を想い出しながらその日はそれが頭から離れなかった。実に鮮明に観えた各場面はすっかり忘れていたものばかりだった。子供時分から近年の出来事までディテールまでもが観えたのだった。仕事を終えて夕方帰宅すると勿論その事を妻に興奮気味に話した。

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 ところが、聴かされた彼女にすれば「スピードの出し過ぎは事故の元ヨ、注意してネ」という程度の返事しか返って来なかったから、ボクの言いたかったスライド場面の事なぞ関心もなかったのだろう。その場面は次第に消えて行き、1週間もすれば亦日常の忙しさの中に埋没してしまった。それが生きている一つの証なのだろう。次から次へと新しい記憶が重なって行き、過去は下の方に追いやられる。やがて記憶が薄れ、淡く懐かしい想い出になって行く。だからこそ人間は辛い過去の事なぞ忘れて新しい現実に向かって行けるのだ。その切り替えが上手く出来ず過去にばかり拘り続ける人は頑固と言われ、老人にそういう人が多い。それは一種の老化現象の現れであり、誰もが通る道であるものの、そうでない人も居る。

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 頭の柔軟な人は切り替えも早い。環境や状況に即応できる能力があるのだ。それは頭だけの問題ではなく身体自体も機敏に反応する人も居る。スポーツ選手なぞは常日頃鍛えているから老化は遅い。老人でも農林業や漁業関係者は比較的健康な人が多いのも日頃から身体を動かしているからだろう。ボクなんか歳の割には比較的若く見られるのは、かつて柔道や陸上をやっていたお蔭だろう。が、近年は運動らしい運動はやらず、ゴルフを少しやる程度だから運動不足気味で見掛けよりも内実は悪い筈だ。その上、毎日酒を飲むんでいる。たまたま1週間ほど前から右手首が痛むので常備薬を貰いに行った時、先生に相談すると、カルテを見ながらの色々な問診の結果、酒を少し控えるように言われた。通風の発作がぶり返したのではないかというのだ。

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 日頃から健康に気をつけている積りでもこうなのだから余程節制しないと身体の方が悲鳴を上げているのかも知れない。今度の日曜にはゴルフに誘われているので体調を整えておかなければダウンしてしまうかも知れない。6月に行ったゴルフでは真夏でもなかったのに暑さでダウン寸前まで行きかけたのだった。だから用心して7月と8月は自粛していたのだ。9月になれば目白押しに月例会やコンペがある。楽しいゴルフにする為には先ず体力が何よりも大事だ。ボクのような人間が最近では多く、車に乗って殆ど歩かないのが悪いのは百も承知なのに、暑い日中をウォーキングして熱中症にでも成れば大変とばかりに涼しい部屋でデスクワークやテレビを観たり読書をしたりしているだけだ。無理な運動は身体に悪いと想うからだ。

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 確かに命よりも健康が大事とばかり自分の体力の限界にまで挑戦して身体を壊す人が居る。全くナンセンスな話だが本人は真剣そのものだ。それもその筈、本人は限界なるものを知らずして挑戦しているのだからぶっ倒れる迄分からないのである。その上、脳内モルヒネが生じて快感すら覚えるのだから処置なしである。尤も、人の事は言えない。と言うのは、ボクがウォーキングにのめり込み過ぎ、次第に距離が伸びて最後の方では山を越え帰りの距離が長過ぎて他府県の駅から電車を乗り継いで帰宅したぐらいだったからだ。お蔭で体調を崩し、突発性難聴を誘発したらしいのだ。当時、他の事でストレスが溜まっていた事もあってウォーキングで憂さ晴らしをしていたのも悪かったのだ。ウォーキング・シューズも数足履き潰す程だった。今考えても無茶をしたものだと想う。

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 人生、神様の定めた路線なり期間があるなら、どうあがいたところで限界がある事になるから真摯に精一杯生きる事で良しとすべきなのだ。それを様々な可能性や慾が心をそそのかすから望外の事を望む事に成り易い訳だ。ボクも自分の能力の限界を知ろうと頑張った積りだったが、矢張り半分も達成出来なかった。観方を替えれば半分近くも達成できたのなら上出来だと言う事も出来るのかも知れない。上を観ればキリが無い。そう想って程々のところで手を打つべきなのだろう。最近そう想う事で少しは気が楽になって居る。単純なものである。それでも未だまだギラギラした部分もあるから救いようのない凡夫だと言う事になる。それならそれで満足するまでやり続けるしかない。但し無茶は出来ない。それは自分でも知っているから命の範囲内で何とか世の中の為に成ればこそ、世の中のゴミに成らないように気をつけるしかないのだろう。(つづく)

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