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ココ の ブログ

運転(3)

運転(3)

 車を運転しない人には分からない事だが、ボクなんか幼稚園の頃から運転をしていたから運転そのものが自転車を漕ぐような気軽な気分のものである。尤も、自転車に乗り始めたのは小学校の低学年の頃だったから車の運転の方が早かった。車はひっくり返る事も無く、簡単だった。しかし、車と言っても遊園地の楕円形のコースを小型の一人乗り電気自動車で走るだけのものだから簡単でスピードも精々時速20km程度のものだった。早く言えば玩具のようなもので、最初は大人が運転する膝に乗せてもらってハンドルを持ち、アクセル・ペダルを踏むだけの事だった。アクセルから足を離すと減速して勝手に止まるからブレーキがある訳でも無く、スピードの出し過ぎでコーナリングが上手く行かない事もあった。

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 遠心力で身体を放り出されそうになる下手な運転を繰り返す内に次第にコツが分かって来て、そこそこのスピードで走り回れるようになる。その遊園地では、ハガキ大のプレートを10枚ほど渡され、コースを一周する度にスタート地点の横の芝生にプレートを一枚ずつつ放り投げて、プレートが無くなる迄走れる方式だった。そういう方式の理屈が呑みこめていなかった園児のボクは、コースを運転する楽しみもさるものながらプレートを投げる行為そのものが面白く、輪っかで束ねてあるプレート全部を一挙に投げるとドサッと音がするのを観てケラケラと笑ってそのまま運転を続けるのだった。係員が慌ててプレートの束から一枚を抜きとり、束を持ってボクを追いかけ、車に置く。ボクは亦そのプレートの束を投げる。それを何度も繰り返した。

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 そういう光景をジッと観ていた親父が「この子は頭の悪い奴だ」とでも言いたげな顔でいる場面を覚えているぐらいだから何故プレートを投げるのかの意味も分からず唯、ドサッとプレートの束の金属音がするのが面白いのと、後はわざわざプレートを投げる煩わしさもなく走れるのが嬉しいのだった。考えてみれば、そんな面倒くさいやり方では子供は馴染めず、投げるのを忘れれば何周でも余計に周れるのだ。要領の良い子ならわざとそうするだろう。その遊園地は市内のデパートの隣の広大な空き地を利用して親父が経営していたものだった。建設業をやる傍ら、空き地の利用方法として暫く続けていたのだった。が、長続きせず、直ぐに連続した貸し店舗を建てて店子を入れてしまった。店舗の裏は空き地のままだった。 

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 ボクの車を運転する原点であった遊園地は今は証券会社のビルになって跡形も無いが、60年以上も昔の記憶がふと浮かんでは、ガソリン・エンジンの時代がそろそろ終焉を迎え、ハイブリッド車から電気自動車に替わりつつある時代のうねりが循環作用として働いているのを感慨深く観るのだ。時代が無公害のものを求めるというのは大量の不純物質が世界中の空気中に撒き散らされ、人間だけでなく地球そのものが影響を受け、異常気象現象を目の当たりにしやっと気付いた結果である。プルーストの小説「失われた時を求めて」の時代はまだ公害問題や地球規模の異常気象がないのどかな時代であった。蒸気機関を発明し産業革命に入った頃からジワジワと地球が蝕まれている事に気付いた人は居なかった。

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 戦争による公害も問題にされなかった。人々はより効率の良い文明社会を望み、それによるリアクションなぞ考えようともしなかったのだ。唯一、考えたとすれば、ヒロシマ・ナガサキでの戦争という名目の原爆実験による人類への脅威であったろう。だが、それも都合の良い解釈で、その後60年以上も放置され続け、やがて原発事故を米(スリーマイル)・ソ(チェルノブイリ)・日(フクシマ)等で数件経験するに及んでやっと重い腰を上げ真剣に取り組まざるを得なくなったのである。それも世界の主要国という国で起きた人災だけに人々のショックは大きかった。我が身に迫る脅威となって初めて人々は気付き慌てたのだ。悪夢が現実になり、核が最早世界平和への貢献どころか足かせになり二進も三進も行かなくなってしまったのである。

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 同じ運転でも車の運転では無い原発の運転で大きなミスを犯した我々は、ヒロシマ・ナガサキの原爆よりも数十倍もの放射性物質を撒き散らし大きな教訓を学んだと共に人間不信という人間にとって根本的な問題を突き付けられたのである。原発推進派の連中の口車に乗せられ戦後60年も騙し騙しやって来て、未だ解決の目処も付いていない原発事故処理を横目に、それでもなお原発に頼ろうとする効率主義者達は性懲りも無く再びわが世の春を求めて暗躍しようとしている。国民を馬鹿にして自分達の利益のみを考える輩に踊らされるマスコミも国会議員連中もそういう意味では同罪である。我々はその都度、一番良いと想える選択をしながら今日までやって来た積りだった。だが、選択肢を選ぶ前に人間不信という十字架を背負ってしまった以上、単純には選べないで居る現実をどう解決していくかを先ず考えるべきではなかろうか。(つづく)

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