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ココ の ブログ

長生き(8)

長生き(8)

 長生きについて書いて来て、たまたま妻の病気治療で手術を受けたのが成功し、7年が経過した祝いとして病院の近くの大仏に参った事と奈良ホテルで食事をした事を締めくくりとして書いておこう。それも一種の長生きの為の行為だからだ。5年が過ぎた一昨年以来、年に一度の定期健診に切り替わっていて、今年の検査状況を担当医から「検査の結果、大丈夫でしたヨ。来年の診察予約もしておきましょうネ」と初めて笑顔で言われたとホッと気を良くして待合室に戻って来た妻を観て、ボクは病院に来る前に予め心積もりをしていた事を言った。「この横の大仏さんにお礼参りをしておこうか」「お礼参り?」と彼女は訊き返し直ぐに納得した。久しぶりに秋の奈良公園の散歩も良いと想った。朝は涼しかったのに診察を受けている間に少し蒸し暑く成っていた。時計を観ると10時半と時間的には昼食までには余裕があった。

1.南大門 1.南大門

 車を病院の駐車場に残し、ブラブラと奈良公園を春日大社の方面へ向かって行くと紅葉が目に付き始めた。途中、小鹿を相手にしたり風景写真を撮ったり志賀直也宅前を通って30分程で大仏殿に着いた。既に観光客が大勢居た。修学旅行生に混じって外人観光客も多く、すれ違いざま聴こえて来る話し声は、フランス語だったり中国語だったり英語だったりと様々な国際語が飛び交っていた。彼等の服装は未だ夏のスタイルで、少々肉付きが良いものの手足が長い分スタイルが良く観えた。すり減った南大門の石畳には鹿の小さな糞が散っていて踏まない様に歩いた。大仏殿に入ると空気がひんやりとしていた。線香を挙げ手を合わせ拝んでから片隅の腰掛けで休んだ。病院から僅かな距離ながら、それでも歩きづめだったから汗ばんでいた。ポシェットから扇子を取り出して煽ぐと次第に疲れが取れて行く様だった。 

2.運慶の仁王像 2.運慶の仁王像

 ボクは年がら年中、扇子は持ち歩いている。京都の鳩居堂の白扇は大きく風もゆったりとしていて気に入ってる。妻も同じように扇子を取り出したが、派手な柄物だった。ボクの真似をして矢張り何時もバッグに忍ばせていると言う。扇子を仰ぐ姿を観て、妻は老け込んだと想った。乳癌手術と言う大病のせいもあったが、痩せた事も助長していた。冗談ぽく「姉さん女房のようだ」と言うとプッと頬を膨らせた。一つ違いだけだから老けて観えるのは仕方が無いにしても手術前はそれでも若く観えた。7年で大分変わった。その分、落ち着いた様にも観える。歳相応と言えば言える。今や日本人女性の16人に一人の割合で乳癌患者が居ると言う。特に若い女性に多いそうだ。これも時代のせいだろう。食生活の激変と生活様式の西欧化の影響なのだろうが、アメリカでも乳癌患者が多いと言うから、他に原因があるのかも知れない。

3.大極殿 3.大仏殿

 周りの若い白人女性を観ながら、彼女等も乳癌の可能性を持ちながら意識もせず気楽に居るのだろうと想像した。女性にとって自分がそうだと知れば大変な悩みに成る。妻がそうだった。死を覚悟して手術前に遺書を書いたと言う。手術が上手く行ったので破り捨てたそうだが、勿論、見せてくれなかったものの、その表情から内容は大方読み取れた。人間、死を覚悟すると物静かな表情になるものだ。悟りを得た修行僧の様に観えたものだった。それ以来、妻の言動に凄味が垣間見られる様になって、息子も妻には口でこそタメグチを叩くものの一目置かざるを得ない態度をとる様になった。尤も、ボクは徹底して馬鹿息子と想って居るから、まともに話しかける事も無く無視したままでいる。そのせいで大きな壁が出来てしまっていて、まともに話し掛けてて欲しければ態度を改めよという無言の圧力になっていると想っている。

4.奈良大仏 4.奈良大仏

 それが自分で打ち破れない限りは親子の情は無いものと想えと教えているのだ。仮にその意味が理解出来ないのであれば死ぬまでそう想っていろとボクは考えている。昔から馬鹿は死ななきゃ分らないと言う通りだ。親が死ねば初めて有難味が分るだろう。若い内は老いる事なぞ気にもしていないから死なぞ尚更考え様ともしない。命の大切さや生きる意味や目的を自覚する様に成れば少しはましな人間に成るだろう。が、それも自分の力で自覚しない限りは無理だ。唯ノウノウと生きているだけでは生きている目的すら掴めないだろう。仕方なく生きている無目的な若者は意外と今の時代多い。しかし、何時の時代にもそういう連中は居るものである。反対に、人生を意気に感じて社会の為に生きる者も居る。自分の人生での役割を意識して目的に向かって生きるのである。偉いとか偉く無いという次元の前に、そうする事で生甲斐を見出しているのだ。短絡的に如何にすれば金が稼げて遊んで暮らせるかという事しか考えない連中は理解すら出来ない事だろう。

5.大仏側面 5.大仏側面

 奈良の大仏を間近に観るのは何十年ぶりだろう。小学生の頃は遠足で何度も来て嫌に成る程観ているから何処に何が在るか分っていても改めて大仏殿の内部を見上げると建築学的に面白く感じられる。高校時代、友人らと奈良の寺院巡りをしたのが懐かしく想い出される。京都と違って田舎臭く粗野で荒削りな寺院や仏像が大陸的で妙に懐かしく記憶に残っている。数十年経って妻と健康を祈ってお礼参りに来るなぞとは想像だに出来なかった事だ。病院への帰り道の途中に奈良ホテルは在って、行き慣れた地階のレストランに入った。メニューを観て「今日のお勧めは?」とマネージャーに聴いたが、もうひとつ料理の特色が観えず、中途半端な懐石よりも何時も食べている万葉弁当を選んだ。果たしてそれが正解だった。と言うのは料理人が替わったのか盛り付けや味付けが良く成っていて満足の行く味だったからだ。徐々にではあるが古い田舎の観光都市も洗練されて京都の様に成って行く。長生きすればもっと変わって行くだろう。

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