小説「猫と女と」(12)何処の馬の骨か分からない男に可愛い娘の貞操を奪われるかも知れないと心病む世の父親の気持ちを察している割には、自分に娘が居ない事を幸い、若い女との不倫を正当化してしまう身勝手さに我ながら苦笑いしてしまう。日頃から自分の事を棚に上げて他人の様を批判する連中を怒るくせに、自分には甘い。つまり所詮は私も一介の凡庸な男に過ぎないという事だ。その証拠に、結婚した翌年に自分に子供が生まれる事となって意外にも本音で女の子が欲しいと望んだのだ。考えた名前も女の名ばかりだった。男の子なぞ自分の分身でしか無く嫌で、今時男の子を望むのは古いと考えていた。ところが意に反して男の子が生まれ大いに落胆してしまった。そんな中、家族で唯一喜んだのは母だった。孫の誕生の知らせを受けわざわざ遠くから出掛けて来て「でかした!」とベッドの妻に満面笑みで言ったという。仕事の合間に病院に立ち寄った時、妻からそれを聴かされ「何と時代観念のずれた親よ」と鼻で笑ってしまった。 数年ぶりに母親が来た事なぞより女の子が欲しかった気持ちの方が強かった。可愛いと想えばこそ女の子を切望したのに男子に失望しながらも妻の出産適齢期が遅かった事もあって一人っ子で止めてしまった。為に女の子を諦めざるを得ず、それだけに可愛い女の子を連れた親子連れを観ると羨ましく想えるのだった。月日と共にその気持ちは諦められたものの、どうしても女の子には優しく甘くなってしまい、行きつく処、若い女と不倫となってしまうのは単なるロリータ願望では無く女性への愛着がそうさせるのだろう。が、若ければ良いというものでも無く、言わば年増は年増なりの良さを見出し、若い女には未熟ながら若さの持つ魅力を感じる。好きなタイプには年齢を意識しないのだ。もっとも不倫による天罰か何等かのしっぺ返しが来るのではないかという一抹の不安が無いでも無いのは一種の良心の呵責かも知れない。 子供時分から男というものは英雄色を好む式で好色なものと教えられて来た私には、男と女が居る限り世間のしがらみで男女の関係を絶たねばならない間柄こそ不自然に想えるのだ。舞子が私と肉体関係まで持ったのは自然の成り行きだったと信じている。恋愛に年齢差なぞ無関係だというのが私の持論でもあるのだ。但し、舞子は彼女の母親と私との実際の関係を知らないからこそ自然に振舞っていられるだけの事かも知れない。もし仮に知ったとすればどういう反応を示すだろう。裏切り、嫉妬、絶望、不信感、対立、憎しみ、妥協と様々な場面を想定するが実際の処何も分からない。その結果、舞子を失うか、それとも益々関係が深まるか、果ては三人の抜き差しならぬ関係が続くかのどれかだろう。私とすれば気持ちの上ではスッキリと清算して母子共に元通りの生活に戻って欲しいとは願うものの身体では下半身が熱く成って来て今にも抱きたくなる葛藤に苛まれる。 その衝動を抑えるのに苦労し晩酌の量が増える。酒で気を紛らわせても、若くも無い身体なのに情熱だけは旺盛なのだ。それでも自宅で飲んでいる分には自制心が働き何とか抑えられるものの、外で飲んで居る時はつい舞子を呼び出してしまう。舞子も呼び出されるのが嬉しいのか、いそいそとやって来る。落ち合う場所は独身時代から通い続けている心斎橋の英国調パブに決めている。其処のカウンターで舞子を待つ間、青年が恋人を待つ時の様なワクワクと心が浮き立つ気分で居られる。それでも、かつて同じ事を何度も経験しているくせに今は妙に落ち着いていられる。どうしてだろう。年齢的なものだろうか。もう青年では無いのにその頃と同じ事をして焦りを感じないのは先が読めるからだろうか。半分ヤケッパチになって居直っているせいかも知れない。が、もし私と女との関係を舞子が知ったならどういう行動に出るだろうという考えばかりが脳裏から離れない。 「お待たせ」小声が耳元で聴こえ、スッと隣の席に舞子が入って来た。最近では顔見知りになったバーテンが舞子に笑顔で会釈する。「ジン・ライムを、お願いネ」彼女は慣れた口調で言った。口触りがサッパリして飲み易いからだと言う。「舞子は強いんだ」冷やかし気味に言うと「ニューヨーカーの若者で流行っていたのヨ。学校の帰りに友達とパブによく行ったの」「女の子同士でかい?」「そうヨ。ビールなんてダサイわ」「カクテルは、酔い易く無い?」「そうでも無いワ。がぶ飲みしないもの」「ふーん、女の子はワインが似合うと想っていたヨ」「映画の観過ぎじゃ無い?ワインも良いけれど、シャンパンも軽いし飲み易いワ」舞子が饒舌になっているのは機嫌が良い証拠だ。そんな彼女を観ていると母親の事をどう分からせようかと憂鬱になってしまう。「何考えているの?心配事でも?」横目でチラリと観ながら私の気持ちを察したのか畳みかけて来る。 「お母さんは?留守番をしている間、何をしているの?」舞子の勘の良さに警戒しながら女の様子を訊いてみた。「韓国ドラマを観ているワ、ビデオでネ。最近ハマって居るのヨ」「ほう、面白いの?」「馬鹿ばかしい程単純でおかしいけれど、情念の世界が抒情詩のようで綺麗だワ。美男美女が出るから良いのじゃ無い?私はたまに付き合いで観る程度だけど」「所謂、男と女の愛憎ドラマだろ?」「そうヨ。韓国人って情が厚いのよネ。日本人には忘れられたレトロな感情ヨ」舞子は饒舌に説明する。この数年来、あれよあれよと怒涛の様に入り込んで来た韓国ドラマをインターネットで数本観ただけだが、斜陽化した日本のテレビ界や映画界が韓国ドラマに喰われているのが分かる。私の様に毛嫌いする者も居れば、舞子や彼女の母親の様に抵抗なく受け入れる者も居る。ひょっとして彼女には韓国人の血が流れているのではないかと疑ってしまったりする。(つづく) |