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カテゴリ:エッセイ
ピッチング練習をしていると横の濡れ縁にココが寝そべってそれを観るのが第二の朝食後のココの日課である。寝そべっている様に見えて、チャンスがあればパッと飛び出してボールを追いかける。ボクの行動が気に成るのか、それともボールの転がりが気に成るのか分からないが、ボクがピッチング練習に飽きて表の前栽の方へ廻ってポストを覗いて郵便物を取るとココも一緒に付いて来る。だが「わざわざ付いて来た訳では無いのヨ」という様な顔をして塀の上に登って通りを見張るポーズを取る。近くではこの辺りでは最後の空き地だった処に新築工事が始まって騒音がし出している。どうもそれが気にかかるらしい。300坪ほどあるからかなり広い敷地だ。優雅な生活をしようと想えば矢張りそれ位は必要なのだろう。庭園の他に花壇もパティオも要るだろう。池も欲しく成るだろう。ゴルフのピッチング練習もしたくなるだろう。ボクの家は300坪も無いのでボクの本音ではもう少し余裕が欲しいところだが、周りは家が建っているので広げる訳には行かない。何処かへ引越せば在るだろうが、一から作り直さねばならない。金も要る。運が良ければ手に入るかも知れないが、今のところは此処で辛抱するしかない。ココはそれでも満足して家の周りを走り回って楽しんで居る。 女のマンションに行く様に成ってからは直ぐに風呂に入るのが癖になった。冬でも歩くと汗をかく性分の私には、ひと風呂浴びるのが至福のー時なのだ。湯あがりに新しい下着をつけ糊の利いた浴衣を着て冷えたビールを飲む。唯それだけの事ながらー日の疲れが取れる気がする。ホッとー息ついたところで舞子の体調を訊き、大きくなった腹を撫でながら胎児の様子をみる。そして生まれ出る日を数えてみる。長年忘れていた新婚当時の雰囲気を想い出し、女達との団欒を楽しみながら心地よい家庭的な雰囲気に浸る。食後はカウチに座って両脇に二人を抱き三人してビデオ・ドラマを観る。やがてドラマが終わる頃には私はうつらうつらと眠り掛ける。「あらあら、もううたた寝なんかして、風邪をひくわヨ。ー寸起きて頂戴ヨ。ベッドで寝なきゃ駄目ヨ」女が私を揺り動かし起こしにかかる。よろよろと立ち上がりベッドに入ると私はそのまま眠ってしまう。 女達は、それから食卓と流し台を綺麗に片付け、食洗機に食器類を入れタイマーをセットした後、二人ー緒に残り湯に入る。そしてお互いの身体を洗い合い、上気した顔で出るとドレッサーの前に座り髪を整えてから舞子のベッドに二人して寝る。私が女のマンションに行った日はそういう段取りになる。つまり女のマンションでは決して情事はしないと決めている私の気持ちに沿う暗黙の了解ができているのだ。が、多分、外で女が私と会って居る事は舞子も知って居るだろう。女の表情で分かる筈だ。しかし、それは別の世界の事なのだ。「母は、母ヨ」と割り切っているのは、自分が横取りした様な形になった後ろめたさと、もう年齢的に母親が絶対に妊娠なぞしないという安心感があるのだ。私との束の間のデートで母の精神状態が安定してくれるのなら自分にとっても安心なのだろう。それほど舞子は私の心を完全に掴んで居ると信じて居る様だ。 そうこうする内に三月末になって舞子は陣痛の初期症状をもよおす様になり、大事をとって病院に入院させると二日目には女児を出産した。出産の事を私は静岡で知った。大学の工事打合せ中に携帯に女から入ったのだ。会議中だからと一旦切って後で掛け直すと「名前は、どれにしよう?」と訊いて来た。事前に四つほど候補名を書いて渡しておいたのだった。「舞子は、どれを望んでいる?」「二つ目の麗奈を気に入っているワ」「君は?」「私は、最初の麗子ヨ」「じゃあ、麗奈を第一候補に、麗子は第二候補としておこう。舞子とよく話し合って決めれば良い」「貴方は、どれが気に入っているの?」「四番目の麗だけど、二人に任せる」翌日、病院へ行くとガラス越しに小さなしわくちゃの赤ん坊を見せられた。女児ながらどう見ても猿の子の様で可愛いとは想えなかった。唯、小さな手を広げたり握りしめたりしているのが非常に可愛く見えただけだった。 子供が生まれた時、舞子は感激の余り嬉し涙を流したと女が言っていたのを私は漫然と聞いていた。女というものは実感体験としてそういうものだろうとしか想えなかった。それは妻が息子を生んだ時も同様だった。私には子供への愛着が無いのだろうかと真面目に考えたものだった。しかし、息子の時は女児を希望していたのだから失望したのだろうという気があった。が、今回は女児なのだ。嬉しい筈なのだ。それなのに可愛いというよりもまるで感激からは程遠い気持ちだった。女児であった事を素直に喜べば良いのに複雑な気持ちの方が優先したらしい。それでも、数日が過ぎ、舞子が退院して来てマンションで赤ん坊に授乳して居る姿を観ると、ほのぼのとした母子の姿として目に映り、何か神々しいものを観る想いもして来るのだった。そうなれば横に居る女がもう立派な祖母にも観え、数日間でこうも気持ちが変わるものかと驚かされた。 「二人で話し合った結果だけど、麗に決めたワ」女は想い出した様に言った。「ほう、そうかい。ボクの顔を立てた訳か」「そうでも無いのヨ。舞子がー文字の名前も良いわネというから私も考え直したの。それにレイってナウいじゃない。少し男っぽいゴロで活発で良いのじゃない?」「文字を観れば女と分かるから大丈夫さ。麗か・・・この名前なら、きっと別嬪になるぞ」私は改めて赤ん坊の顔を覗き込んで舞子に言った。言ってから私が次第に赤ん坊に傾いて行く自分を意識した。この分だとマンションに来る回数も増えるだろうとも感じた。今の仕事がー段落すれば少しは暇に成る。そうなれば毎日の様に来る様に成るかも知れない。女郎蜘蛛の巣に引っ掛かった様なものだ。じわじわと真綿で締められる好々爺の様に私はいよいよ覚悟せねばならないのだろうか。その日、女にせがまれて一緒に区役所へ出生届を出しに行った。 そうなれば次は当然ながら認知の問題が浮上する。尤も、摂りあえず届けだけ出しておき、その事は後日話し合えば良い。父親の欄に私の名前を書き、母親の欄に舞子の名前を書けば明らかに未婚である事が分かるが、それは喫緊の問題では無い。落ち着いた頃に女達と協議すれば良いのだ。尤も女は認知に拘るだろう。私の子としての証明になるものが欲しいのだ。しかし、肝心の舞子は女とは意見が違う。舞子は戸籍には拘らないと言って居る。母親の世話になってはいるものの自立精神では舞子の方が余程しっかりしている様に想え、デザイン事務所の所長の事を当てにはせず、寧ろ母親がデザイン事務所と未だに関係をもっている事に嫌悪感すら持って居るのだ。父親として認めて居ないかの様な言動を取る事もある。ニューヨークのマンションを手放した時にそれを決意した様だった。女が厳しい顔でアメリカから戻ったのは母娘間でその事を話し合ったからだろう。(1月下旬へつづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/01/19 11:17:53 AM
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